4.

 夜の川辺は不吉に美しい。魚の跳ねる音と蟲の鳴き声が、暗く底の見えない水面に反響して闇に不気味さを沿える。人々が夜に魔性を見る訳が解る気がした。

 神田上水沿いに当てもなく歩いていると、小さな橋に差し掛かる。その下に視線をやると、橋向こうの街灯にぼんやりと照らされて、背中を丸めた人間の形をした小さな影が見えた。
 驚いて視線を凝らすと、ほっそりとした小さな体と白い横顔が目に入った。事もあろうに、その面差しに見覚えがある。静雄は眉をしかめて舌打ちした。橋げたを乗り越え、川岸へと下りながら声をかける。

「おい、蚤蟲」

 低くどすの利いた声が耳に届いたらしく、彼は緩やかに振り向いて、いつものあの薄い微笑を唇の端に浮かべた。

「シズちゃん」

 やあ、と。
 大学の構内ですれ違うときと何ら変わらない平然とした口ぶりで挨拶をされてしまうと調子が狂う。馬鹿じゃねえのか気でも狂ったか、脳裏に浮かぶ罵りは萎んでゆき、代わりに口をついて出たのは「てめえ何やってんだ」という、ごく在り来たりな問いだった。

 問いには答えようとせず、臨也は「こっちにおいでよ」と言って手招いた。閃く細い手の白さにつられるように足は進む。橋桁を乗り越え、川岸へと降りる。招かれるままに隣に腰を下ろすと、見下ろした視界に襦袢の襟元からのぞく繊細なうなじからうっすら浮き出た背骨が続くのが見えて、慌てて目をそらした。

 思えばこうして間近で彼の顔を見るのは久しぶりだった。最後に会話したのは確か一ヶ月以上前だ。定期的に姿を現しては静雄に声を掛けていた彼が、急にぷつりと顔を見せなくなったのがその頃だった。それまでも気まぐれに現れたり消えたりしていた彼だが、これほど長いこと顔を見せないのは初めてのことで、学生たちの間にはまことしやかに何か事件に巻き込まれたのではないかという噂が広がっていた。あの抜け目のない男に限ってそれはないだろうと頭からその噂を否定していた静雄は、しかしこうして目前に彼の姿を捉えて、何処か否定できない安堵の念が胸に広がるのを感じている。自覚して、愕然とした。

「久しぶり」

 事もなげに言ってのける彼に苛立ちが募る。乱暴に「てめえ今まで何してた」と唸ると、臨也は「怖いよ」と笑った。

「どこにいた、じゃなくて、何してた、なんだ」

 流石に鋭いねえ、とぼやくように言って彼は溜め息をつく。いくつか年上のはずの横顔は依然として年齢を感じさせず、正体不明の様を濃くする。

「何がだ」

 別段鋭いことを言ったつもりではなかった。何気ない問いだ。そう言うと、臨也はうっすら笑って「君のそういうとこ嫌だなあ」と嘆いた。

「まったく何気ない、直感の部分でそうやって本当のこと言い当てるんだよね」

 ほんと、動物並み。
 声に含まれたひそやかな毒に胸を貫かれた様な気がして、静雄は息を呑む。臨也は首を傾け、からかうようなまなざしで静雄をまっすぐに捉えた。水の音がする。耳の奥でぽちゃりと鳴った。濁って重い音を掻き消すように甘く鋭い声がシズちゃん、と呼ぶ。

「ねえ、シズちゃん」
「・・・何だ」
「もし目の前に白い巾着があったとして、その中に、白のビードロが七つと赤のビードロが一つ入っていたとしたら、シズちゃんならどうする?」
「・・・は?」

 唐突すぎる話題転換に脳がついていかない。

「ほら答えて」

 早く早くと急かされて、言葉の意味を噛み砕くより先に反射で答えを返す。

「・・・赤いやつだけ別の袋に分けるな」
「そうだよね、場違いだもんね。それじゃさ」

 色濃く紅い唇が、嘲笑うような形に吊り上がる。

「幼い子が七人、妙齢の女性が一人。同時期に姿を消したとしたら、シズちゃんならどう考える?」

「――――てめえ、まさか」
「答えて」

 静かな声が答えを迫る。

「・・・女だけ場違いだから、別の事件として考える・・・?」
「ご名答」

 背筋が一気に冷える。薄ら寒い思いで、静雄は尋ねた。

「・・・臨也、てめえ」

 こいつは、この男は、一体何をしてきた。


・・・

 臨也は淡々と語る。

 この神隠しは八つの事件で構成されている。最初に女性とその子供が二人、それからは幼い子供が一度に一人ずつ姿を消した。
 一ヶ月半前、とある場所に埋められていた死体を偶然犬が地面を掘り返して発見したことが全ての始まりだったと臨也は言う。埋められていた死体は二つ、どちらも酷く損壊されていたが、骨格から幼い子供のものだとわかった。まとめて埋められていた衣服の残骸や持っていたらしい玩具などから、どうやら神隠しに遭って行方がわからなくなっていた子供たちのうちの二人だということもわかった。

「もし天狗だか烏天狗だかの仕業なら、殺すだけならともかく、死体を埋めて隠そうとなんてするわけないよねえ」

 絶句していると、彼は「シズちゃんは妖怪の仕業だとでも思ってたの?」と聞いてきた。

「そんなんじゃねえよ」
「何それ」

 楽しげに笑いながら、この世に『本物の』怪異なんて滅多にないよ、と臨也は言った。

「まあシズちゃんがそういうのを信じちゃう気持ちはわかるけど」

 意味深な口調でそんなことを言う。

「シズちゃん自身一種の怪異だもんね」
「・・・うるせえ」

 ともかく、明白に殺人だと証明された以上、これ以上事件が繰り返されるのを防がなくてはならない。だが、手がかりはまるでなかった。攫われたものたちの間には何の関係もなく、恐らく無差別殺人、さらに言えば快楽殺人である可能性が高かったからだ。
 少しだけ講義をしようか、ここは大学じゃないけど。臨也はそう言って笑った。

「快楽殺人について前話したの、覚えてる?」
「・・・・・・」
「さては寝てたね」

 倫敦の『切り裂き男』の話を覚えてない?切り裂き魔の名前の由来の。言われて思い出した。人を殺すことで死への恐怖を和らげたいと願うもの、死体を愛するネクロフィリア、種類や動機はさまざまだが、快楽を目的に殺しを行う人間は確かに存在するのだ。
 恐らくこの事件は、そうした嗜好を持つ人間によるものだろう。その点に関しては納得していた。

 でもね、と臨也は言う。

 四つの事件全てを同じ「神隠し」として一括りにするのは危険なのではないか。事件を見比べれば浮き上がる違和感、言ってみれば、一連の神隠しのうち最初の事件だけが「浮いている」のだ。被害者が二人であること、その片方が妙齢の女性であること。
 主な見解は、犯人は幼児性愛者であり、最初の女性は不運にもその巻き添えに遭った犠牲者である、というものだった、と臨也は言う。事実その方が辻褄が合うのだ。最初の事件、まだ手際もよくなかったのだろう犯人が、子供を攫おうとしてその母親に発見され、仕方なく母親ごと拉致した、と考えれば。
 捜査は難航するだろう。無差別殺人だとしたら犯人と被害者の間に繋がりは望めない。犠牲者が出ることを覚悟して現行犯で捕まえるか、証拠を集めて少しずつ探していくか、採れる選択肢はいくつもない。長い時間がかかるだろうし、迷宮入りする可能性が大きかった。

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