5.

 だが、と臨也は言う。
 だが、あるいは、こうは考えられないだろうか。

 最初から母親とその子だけを拉致殺害するのが目的だった犯人が、二人を始末したあと、何らかの形で自分の嗜好、つまり殺人することによって快楽を得る嗜好に気づいてしまったのだとしたら。幼児を選んだのは嗜好からではなく、体が小さく拉致しやすい、ひいては殺しやすい相手だったからなのだとしたら。

 殺された女には夫がなかった。切り詰めて粗末な生活ではあったようだが、女で一人で子供と二人分の暮らしを支えていくのは難しいことだったはずだ。私生児を生んでいるのだから、親からの保護も望めない。何事もなく生活できるのには理由があるはずだった。
 女の隣人達に聞いて回ると、どうやら父親らしき男が時折家に出入りしていたらしいことが解った。それなりに金のある人間らしく、いつも品の良い身なりをして、荷馬車を使って乗りつけるのだという。

「囲われ者だったのか」
「そういうこと」

 そういうことだ。
 どこにでもあることと言えばそのとおりだ。孕ませておいて放置しなかっただけましな男だと言えば言えるのかもしれない。ともあれ、それならば女を囲っていた男の家の者には誰にでも女を殺す理由があることになる。

 聞きこんだ話から男の身元を調べ上げるのは大変だったが、臨也は成し遂げた。やはりそれなりの身分と金のある男で、没落氏族が授産して成功したたちらしい。
 だが男の使用人たちは口が堅かった。代々主家に使えてきた血筋らしく、金だけでは忠誠心を翻さない。時間をかけて丸め込んで口を割らせても良かったのだが、その間に次の犠牲者が出てしまう可能性もあった。


 「奈倉」と名乗る貧しい身なりの書生が屋敷に出入りするようになったのは、ちょうどその頃のことだ。大学に合格して上京してきたはいいが生活が苦しく、下宿先を探している彼の面倒を見てやってはくれまいか、と学長から頼まれた男は快くそれを了承した。学長に恩義があったというのもその理由の一つだが、何よりいくらか言葉を交わした奈倉にすっかり魅了されてしまったのだ。

 彼は氷のように鋭い美貌を持つ細い体躯をした男で、そして大変な頭脳の持ち主でもあった。政治経済について自在に論じられるだけでなく、日英露少なくとも三ヶ国語を自在に操り、はたまた芸術や文学についても並の学生など及びもつかぬほどに造詣が深い。何をたずねても即座に返事が返ってくるのだ。

 それだけの頭脳を持ちながら、奈倉は優しかった。屋敷の最も低い身分の使用人にすら丁寧な物腰を忘れず、誰もが「若いのに大した男だ」と彼を評した。

 使用人たちと打ち解けるたび、少しずつ屋敷の内情がわかるようになる。男は妻と十五年連れ添ったが、妻には未だ子がないのだという。恐らくは生まず女であろう妻への関心を男は次第になくしてゆき、社交場を遊び歩くようになる。ところが三年ほど前から男ははたりと夜遊びを止め、その代わりに時間を見つけてある女のもとに通うようになった。女は男の子を妊娠していたが、その事実を男はごく身近な使用人にしか教えず、内密にしていたのだという。

「このあたしだって最近までお子様のことを知らなかったんだからね」

 奈倉に主人のことを語り聞かせた使用人は、若いころから妻に仕えていた女中らしく、男の所業に些か腹を立てている様子だった。

「まったく、何年も連れ添ってきた奥様を大事になさらないで、愛人を囲って子供を生ませるだなんてねえ。これだから男ってやつは始末に負えないよ」

 僕も男なんですけどね、と奈倉が苦笑すると、女中は慌てたように「あんたは別だよ!あんたならきっと、たった一人大切な人をずっと大事にするだろう?」と言った。

「そうですね。そうしたいと思います」
「本当にあんたは大した男だよ、まだそんなに若いのにねえ」

 気をよくした女中はさらに色々詳しいことを話してくれた。
 屋敷のもの皆が女とその子のことを知ったのは、実は最近のことだという。夫が妻に女のことを話し、生まれた子供は男児で、この度三歳になったので正式に跡取りとして養子に迎えたいと言ったらしいのだ。
 妻は流石に嫌がったが、それでも仕方なく養子の件を受け容れた。ところがその最中、神隠しが起き、女とその子は何処へともなく姿を消してしまったのだ。

「旦那様には悪いけどねえ、あたしは天罰だと思ったね」

 それもこれも奥様を大切になさらないからだと女中はぼやき、奈倉は紳士的にその愚痴に付き合っていた。

 やがて奈倉は妻の話し相手をするようになる。子もなく夫にも見捨てられた惨めな女は、若く美しい男にすぐさま魅了された。奈倉、奈倉と頬を染めて書生の名を呼ぶ奥方のことを、屋敷の者たちは寛容に受け容れた。奥方が楽しげな顔を見せることなど、久方ぶりのことだった。
 また、以外にも夫も奈倉と妻に対して寛容だった。囲い女に子を産ませた以上、妻が若い男と火遊びをしても自業自得だと思っていたのかどうか。あるいは真実関心がなかったのかもしれない。視界に入らないところで妻が何をしようと興味もなかったのだろうか。
 ところが皮肉にも、その寛容な態度が使用人たちの間で新たな噂を呼ぶ。夫が妻と同じくことさら奈倉を気に入り、自室に呼びつけては話をしていたことも噂に信憑性を持たせた。

 主は男色であり、奈倉はその愛人である。書生の身分を名乗らせたのは、彼をこの屋敷に間借りさせるための口実なのだと。

 奈倉の美しさ、微笑みに湛えられた淫靡、魔物のような赤い瞳は、男に抱かれているのだという噂を尤もらしく響かせた。

 そして――

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