とがびとの祈り


1.

 濃厚な夏草の臭いが鼻につく川辺に腰かけていると、蚊の細かな羽音と蛙の拉げた低い鳴き声だけが克明に聞こえる。辺りは呼吸さえ躊躇われるような重い静寂に満ちていた。

 静雄は一人でそこに居るわけではなかった。川べりに極近い荒れた砂利の上には、猫のように身を丸めた華奢な男が一人、こちらを見る事も無しにじっと腰を下ろしている。男はその髪色と同じ黒一色の衣服を纏い、身動き一つせず水面を凝視していた。常ならば止め処無く垂れ流される悪意に満ちた揶揄はすっかりと鳴りを潜め、濃密な虫の音だけが隙無くそれを覆い隠す。

「・・・シズちゃん」

 甘ったるく整えられた囁きが耳に届いたとき、静雄はまるで何時間もの間そこで蹲っていたかのような疲労を見に覚えていた。基より疲れを知るはずのない体である、そう感じさせたのはこの常ならぬ情態であり、口を開くことも無く静雄の傍に居た彼の姿に他なるまい。
 だが、静雄の重苦しい胸中には構わず、彼は暗い興奮に濡れた声で言葉を継いだ。

「見つけたよ」

 差し伸べられる右手の白さにしたがって水面を眺めると、正しく橋桁に掛かって止まろうとしている白い布の包みが見えた。頼りない川の流れに押し流され揺られながら流れ着いたのだろうそれの、引き揚げて解かねば知りえないはずの中身を、幸いにして―不幸にして、というべきか―静雄は当に知っていた。

「それじゃ、彼女とご対面しようか」

 赤い瞳を猫のように吊り上げ、彼は音もなく立ち上がる。静雄もそれに倣った。あのままじゃきっと寒いだろうし、嗤う彼の唇は妖しく美しい。
 包みの中身を彼女、と呼ぶべきであるのかどうか静雄には解らない。それは当に女性であること、いや、人であることを終えてしまった残骸に過ぎない。

 静雄も、そして彼も、その中身が何であるのか当の昔に知っている。
 さらしに包まれ厳重に隠されているそれは、若い女性の、死体だった。

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