11.

 らしくねえことしたかな、とサンジは少々後悔していた。だが、したこと自体には後悔はしていない。するべきことだったと思うし、しなくてはならないことだったと思う。記憶をなくした今の自分として、ゾロときちんと向き合って話す。それが、かつての自分に対するせめてもの責任だと思った。
 ゾロが、サンジのことを、彼なりの不器用なやり方で気遣ってくれていたことも、かつての自分は知っていた。それでも、その手を振り払ってきたのは、勘違いしてしまいそうな、誤解してしまいそうな自分を戒めるためだったのだと灰色のノートには記されていた。
 でも、もう十分のはずだ。もう素直になってもいいところだ。受け入れられないなら、終わりにすればいい。この二日が過ぎたら、二度と話せなくなる可能性だってあるのだから。チョッパーと自分を信じないわけではない。こんなところで終わるつもりもない。だが、世の中に絶対はないということを誰より知っているのはサンジ自身だ。今すべきこと、しなくてはならないこと。それがきちんと判断できる自分でありたい。だから、やみくもに逃げるのではなく、彼の目を見据えて話をした。言いたかったこと、したかったことを素直に伝えた。
 きっと彼は今頃、わけがわからずに途方に暮れているだろう。考えすぎて疲れ果てて眠ってしまっているかもしれない。無理もない。彼の知る「サンジ」なら絶対にしないだろうこと、言わないだろうことだ。
 けれど、彼の知る「サンジ」が、したくて言いたくてたまらなかったことだ。


 夕食を完成させて、一息をつく。扉をあけて、匂いを嗅ぎつけたらしい男連中がすでにそこに待機していたことを知り、思わず笑ってしまった。ルフィ、ウソップ、チョッパー。名前をなぞりながら、一人ずつの顔を確かめる。うっかりしているとすぐに薄れてしまう細かな顔の印象を、忘れないように何度も繰り返しなぞる。「入っていいぞ」と声をかけると、全員が飛びつくように食卓に座った。
 そうこうしているうちに、匂いにつられたのか女性陣も姿を現した。若々しさに満ちた勝気な瞳をしているのがナミさん、謎めいた笑みを浮かべた大人の女性がロビンちゃん。椅子を引いて二人を優雅にエスコートする。「ありがとう」という言葉に、「どういたしまして」と微笑む。見ているだけで幸せになれる彼女たちの美しさを愛しく思う。それは彼女たちが外見だけでなく、内面もとても美しい人達なのだと知っているからなのかもしれない。
 そしてそれは他のクルーも同じだ。この船に乗っているものは皆、宝石のような綺麗な魂を持っている。苦しくて道を踏み外しても、他人の血で手を汚しても、決して譲らない大切なものを心の中に宿している。例え皆の顔を完全に忘れてしまう日が来ても、それだけは決して忘れたくないと思っている。
 汚れるのは俺だけでいいから。
 他の皆を決して汚したくないと思う、この感情だけは忘れたくないのだ。

 全員が席に着いたところで、どこか気まずそうに緑の剣士が姿を現す。ゾロ、だ。彼が夕食に遅れず現れることなどめったにない・・・はずだ。もしかしたらあの後一睡もしていないのだろうか?考えすぎて逆に眠れなかったとでも?
 視線を合わせるようにして「おい、クソマリモ。早く座れ」と言ってやると、思い切りぎこちなく顔をそらされ、「・・・わかった」とぼそっと呟かれた。なんとまあ解りやすい。思わず「可愛いじゃねえの」などと思ってしまった。こいつ、賭け事には向かねえな。そう考えて小さく笑う。
 ともあれ、全員が席に着き、ナイフとフォークを手に取ったのを確かめて、サンジは給仕に回ろうと再びキッチンの方を向いた。

 しばらくして、背後から間の抜けた声が聞こえた。誰の声だったか思い出せない。振り向いて、発したのはルフィだと知る。ルフィはチョッパーに思い切り抱きついて匂いを嗅いでいるところだった。
「おーい、チョッパー?お前スモモ喰ったのかぁー?」
「ち、違う!スモモなんか食べてないぞ!」
「でも、すんごいいい匂いするぞー。甘酸っぱくて、うまそうで・・・」
 スモモ・・・?スモモなど食わせた覚えはねえが、と言いかけて、はっとした。
 ぜってーお前食っただろー!ずりぃ!
 そう絶叫するルフィをよそに、サンジは緊張したまなざしでチョッパーを見た。チョッパーはサンジの視線に気づいて顔を上げ、小さく頷く。
 届いたのだ。予定よりも少しばかり早く。
「あー、ルフィ」
 何気ない風を装った声が、ひきつってはいなかっただろうか。ロビンが訝しげに顔を傾けるのが視界の隅に映ったが、気にしてはいられなかった。
「悪ぃな。冷蔵庫に一つだけスモモが残ってたもんだから、昨日の不寝番お疲れ様ってことでチョッパーにやっちまった」
「えーずりぃ!俺も食いたかったーーー!」
「あー、だから、悪かったっつってんだろ。今度てめえにもなんかやることにするよ」
 半分上の空で答えながら、小さく息を吸って、吐いた。
 届いたのだ。
 では、泣いても笑っても明日がXデ―なわけだ。
 込み上げる感情をかみ殺して、望むところじゃねえか、と内心で不敵に呟く。
 今晩ゾロとちゃんと話すことを決めといてよかった、と静かに思った。



###########



 外は暗い。他のクルーたちは既に全員が寝静まっている。
「明日で上陸か・・・」
 酒の入ったグラスを傾けながら呟く金髪のコックをテーブル越しに見つめながら、ゾロは妙な居心地の悪さを感じていた。こんな風に穏やかに語り合ったことなどいつ以来だろうか。少なくとも、関係を持つようになってからは一度もなかった。二人きりになるたびに即物的な欲に身を染め、誰かがいればろくに話もしない。それがいつからか当たり前になっていた。向かい合って座り、出されたつまみを食べながら酒を呑む。こんな安らかな時間を、いつからか忘れていた。
 こんな時間が好きだったのだと、やっと思い出した。
「・・・てめえ、上陸すんの嫌なのか」
 酒を呑む彼の横顔が妙に憂鬱そうだったので、そう聞いてみた。
「・・・え?何で?」
「いや、そう聞こえた」
 驚いたように目を丸くされる。
「・・・図星か」
「いや・・・そういうわけじゃねえんだけどよ」
 歯切れが悪い。
「上陸自体が嫌ってわけじゃねえんだ。ただ、片づけにゃならん事があってな」
 そのせいで少しばかりナーバスになってんだよと、彼はテーブルに突っ伏した。
「・・・片づけにゃならん事ってのはなんだ」
「あー・・・何つったらいいのかね」
 上手く言えねえなあと彼が頭をがしがしと掻く。
「まあ、言ってみればチョッパーの研究の手伝いだな」
「何だ?薬草でも探すのか」
「まあそんなとこだ。探すっつーか、試すっつーか」
「はあ・・・」
 わけわかんねーなと率直に呟くと、「ハハッ!」と笑われた。
「脳味噌まで苔のマリモに正確な理解は期待してねえよ」
「んっだとコラ」
 いつものやり取り。それでも、他のクルーたちがいないせいか、いつものような激しい口争いにはならない。穏やかな時間だった。あれだけ避けられていたのが嘘のようだ。
 あの時、怒りに任せて抱くのではなく、こんなふうに話を聞いてやればよかったのかもしれない。
「なあゾロ」
「・・・何だ」
 問いかけには答えず、テーブル越しにコックが体を伸ばしてきた。そのまま顔を引き寄せられる。驚いて何も言えずにいると、綺麗なアーモンド形をした二重の瞳が視界いっぱいに映る。美しい青い目の中に、驚いて目を丸くしたゾロ自身の姿が映っているのが見えた。
 てめえ何してやがる。そう言おうとしたとき。
 唇に温かな感触が触れた。
 頬に当たる、自分のものとは違う呼吸。首に細い腕が回るのを感じた。そのまま抱き寄せられて、後頭部をそっと撫でられる。不器用なその仕草にはっと我に返った。

 これは、キスだ。
 あれほど優しい触れ合いを拒絶していた男が、今、自分にキスをしている。

 茫然と垂れたままだった両手を、ためらいながらそっと男の背に回す。いつもならすぐに振り払われるだろうその拙い抱擁を、しかし彼は拒絶しなかった。代わりに、ゾロの頭を撫でる手に、ほんの少し力が込められるのが分かった。
「・・・・・・っ」
 激情に駆られる。思い切り抱きしめようとして、腰に当たるテーブルの感触に内心で舌打ちをした。そっと唇を離す。物問いたげに見つめてくる彼に、ぼそりと「ちょっと黙ってろ」と言った。
「何・・・」
 肩のあたりに回していた腕を、男の腰まで移動する。同性と思えないほどに細い腰を、負担をかけないようになるべく気遣いながらがっしりと掴む。
「え、ちょ、」
「黙ってろ」
 文句を言われる前に行動に移る。腕に力を込め、あまりの軽さに戸惑いながら、彼の体を抱え上げる。そのまま自分の隣に下ろした。
「てんめえ・・・!」
 文句をわめき散らそうとした口を、自分の口で塞ぐ。
 いつものような強引さを、今だけは封印して。優しく、そっと、いたわるように。
 あれだけ何度も抱き合ってきたのに、キスをするのはこれで二度目だ。さっきの彼からのキスと、今のこれの二回だけ。
 どうして今、らしくもなくこんな風に触れることを許してくれているのだろう。解らない。解らないが、ずっと触れたいと思ってきたゾロにとってこれは信じられない時間だった。
 まだもごもごと何かを言おうとしていた彼が、諦めたかのように体の力を抜いた。それを合図に、そっとノックをするように舌先を彼の唇に触れさせる。彼もすぐに意図を了解して、閉じていた唇を開いた。開かれた歯列をそっと舌先でなぞり、口内の彼の舌を探る。彼が舌を伸ばしてくるのが分かって、思わず抱きしめる腕に力を込めた。すっぽりと腕に収まる細さに驚きながら、舌と舌を絡ませる。欲望を伴ったものではなく、ただ、純粋に彼と触れ合いたいという感情からきた行為だった。
 息苦しさを感じ、そっと唇を離す。らしくもない柔らかな表情をした彼に戸惑う。
「てめえ・・・どうした」
「どうもしてねえよ」
「いつもは怒り狂うくせに、何を今日は大人しくなってんだ」
 直球で問いかけると、彼は困ったような笑みを浮かべてゾロの肩に顔をうずめた。
「特に理由はねえよ」
「・・・なんだそりゃ、誤魔化すな」
「誤魔化してるわけじゃねえ。・・・ただ」
「ただ、・・・何だ」
 言い淀む男をせかすと、肩口でそっと微笑む気配がした。
「ただ、・・・触ってみたかったのさ。考えてみりゃ、俺はてめえの肌の感触もろくに知らねえんだ」
 覚えてねえのさ。
 呟く声にはっとする。
「てめえ・・・」
「普段からあの調子なんだろ?やるだけやってお終いじゃねえか。感触忘れちまうのも無理ねえだろ」
「・・・・・・」
「だから、触ってみたくなった。それだけだ。それ以上の意味はねえよ」
 どこかしら違和感を覚えた。口調が妙に他人事だな、と思ったのだ。だが、その違和感の正体をしっかりとらえる前に、サンジがまた口を開いた。
「あと・・・たまには、まともなセックスをしてみたかったってのもある」
 てめえ一遍下になってみやがれ、あんな乱暴にされたらめちゃくちゃ痛いんだぞ?と。不敵な笑みを浮かべて、彼がゾロの肩口から身を起こした。
 らしくない事を言う。いつもめちゃめちゃに乱暴に抱かれることを望み、ゾロを煽るのは彼なのに。
 なにもかも、らしくない。
 それでも。
「ゾロ」
 囁く彼の髪に指を差し入れて、そっと梳く。暗い夜でも自ら発光しているかのようにくっきりと綺麗に輝くそれに、ずっと触れたいと思っていた。思う存分梳いて、撫でつけてやりたいと思っていた。
 今、やっとさわれる。
「・・・忘れられなくなるくらいに、めいっぱいてめえに触ってやるよ」
 長椅子の上にそっと横たえ、シャツのボタンを一つ一つ外しながら耳元に囁く。
 彼は挑戦的に笑って言った。
「触ってみろよ」
 圧し掛かるゾロの首に腕を回して、続ける。
「俺の記憶に、二度と忘れられねえくらいにてめえの感触を刻み込んでみろ」
「上等だ」
 挑戦的に笑い返して、彼の頬に手を触れる。
 拒まない彼をいとしく思いながら、三度目のキスをした。

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