[72]再起
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満の引退会見が開かれたのは、保科が帰国した三日後だった。
W杯を終えた直後に、そのチームのキャプテンの引退会見である。
当然それは世間の注目を集め、全国に生中継された。
丁度その日までオフを取っていた保科も、リビングで彼女と一緒にその会見を見守った。

会場には、千葉、大阪、オランダ、満が所属したチームそれぞれのユニフォームが並び、当然そこには数日前まで着ていた日本代表のユニフォームもある。
フラッシュの中姿を見せた満は、黒のスーツを身に纏っていた。
冒頭の挨拶で、今回のW杯を最後に引退することを、昨年末頃から決めていたという説明がされる。
満は静かに、だが落ち込んだ様子もなく、穏やかな表情で流れるように説明を終えた。
質疑応答に移っても、特に何かを言い淀む様子は見受けられない。
弟だからこそ分かることかもしれないが、満は本心を語っているように思えた。

ーー 今のお気持ちは?
「後悔が全くないとは言えませんが、やりきったと感じています。充実した十四年間でした」

ーー 引退は重大な決断ですが、その決め手は?
「世界を舞台に一年を通して戦い続けられる身体ではなくなったと感じたことが、最大の理由です。嬉しいことに、周囲は皆早すぎると言ってくれました。ですがだからこそ、パフォーマンスの質を落とす前にここを引き際としたかったという思いがあります」

ーー 先日までのW杯について、率直な感想をお聞かせ下さい。
「代表のキャプテンという大役を任せて頂いた身としては、当然満足していません。私の役目はチームを優勝させることでした。それを果たせなかったことについては深く後悔しています。しかし私個人としては、思い出深い、いい試合でした」

ーー それは、ご兄弟のことですか?
「はい。あちこちで公言していますが、昔から、二人の弟たちと日本代表で共にプレーするのが夢でしたからね。勿論、その上で世界の頂点に立つというのが目標でしたが、しかし二人と一緒にプレー出来たことは素直に嬉しかったです」

ーー お二人とは引退についてどのような話をされたのでしょうか?
「実は、二人には何の相談もなく決めました。今頃テレビの向こうで私を睨んでいてもおかしくないんですよ。二人に引退すると説明したのも、W杯が終わってからです。申し訳なかったとは思っていますが、正直、私の引退をW杯に持ち込んでほしくなかったというのが、黙っていた一番の理由です。あの二人はああ見えて兄思いで優しいですからね。気を遣わせたくはなかったんですよ」


テレビを見つめる保科の手を、彼女がぎゅっと握り締めた。
保科はその手を、同じように強く握り返す。


ーー オランダでのプレーについてはどうお考えですか?
「正直、圧倒されたというのが本音です。海外の選手と敵対することは多いですが、向こうに行くとまず味方に圧倒される。まずは味方を倒さないと始まらない、みたいなところがありました。大変でしたが凄く燃えたし、この経験があったからこそ日本代表でプレー出来たと思っています。貴重な体験でした」

ーー 今後については何か決まっているのでしょうか?
「いえ、帰国して日本で生活するということ以外、殆ど何も決まっていないというのが正直なところです。でも、サッカーが好きだということは変わらないので、指導者ライセンスを取るなり何なりして、これからもサッカーに関わっていければいいなとは思っています」


その後も、質問がいくつか続いた。
終始穏やかな雰囲気で、会見は進む。
負けた直後なので心配していたが、満の彼にしては珍しい態度が影響しているのか、記者たちも随分とあたたかい雰囲気だった。


ーー 日本代表のキャプテンを務めた選手として、後輩たちに何か伝えたいことはありますか?
「はは、そうですね。負けて辞める私が言うことでもないんですが、ベストエイトに満足してほしくない、というのが本音です。まだまだ行けますよ、日本は。この国のサッカーはこんなところで終わらない。今回の結果を乗り越えていってほしいですね。私は四年後を誰よりも期待しています」

ーー 四年後は、どのようなチームになっていると思いますか?
「身贔屓で申し訳ないですが、私の弟たちが今度こそ世界を獲ってくれると確信しています」


それまでずっと、質問してきた記者の方に視線を向けて答えていた満が、不意に真正面を見据えた。
恐らく、カメラを真っ直ぐに捉えているのだろう。
穏やかで丁寧な口調が、唐突にいつもの調子に変わる。


「聖也、タク。立ち止まるなよ。何も恥じるな、胸を張れ。お前達は、俺の自慢の弟だ。こんなところで諦めるな。四年後、お前達が世界のてっぺんを獲って帰って来るのを、俺は待ってるからな」


そう言って、満は兄の顔をして笑った。
息が、詰まる。
どうしようもなく寂しくて悔しくて、そして誇らしかった。


満の十四年間に終止符を打つ会見が終わる。
どこぞの誰かのコメントを聞く前に、保科はテレビを消した。
そうして静かになった空間で、彼女と顔を見合わせる。
泣きそうな顔をした彼女を見て、保科も目頭が熱くなった。
だが、もう泣かない。
もう、泣いている時間はない。
満の夢を聖也と二人で背負い、四年後、今度こそ必ず金メダルを獲ってみせる。
日本が世界一になる瞬間を、絶対に満に見せてやる。

「……練習、今日から行って来る」
「はい。いってらっしゃい、拓己さん」

彼女は、保科を見て柔らかく笑った。


保科がW杯を終えて国内リーグ戦に復帰した最初の試合は、七月の二週目。
東京でのアウェー戦から始まった。
ピッチに上がった途端、相手チームのサポーターから盛大なブーイングを受ける。
覚悟していた保科は、敢えてぐるりとスタンド席を見渡した。

どこかに、彼女がいる。

この試合を観に行くと言われた時、保科は一度反対した。
こうなることが分かっていたからだ。
W杯後の初戦、ホームならまだしもアウェーだ。
間違いなくブーイングを受けるだろう。
それに、優しい彼女が傷付いてしまわないか、保科は心配だったのだ。
だが彼女は意思を曲げず、結局保科の方が折れた。
保科も昔から頑固と言われてきたが、彼女も相当なものである。
普段は決して自らの意見を押し通そうとしないから分かりにくいが、こうと決めたことは絶対に譲らない頑固さがあって、そうなるともう保科はお手上げだ。

飛んで来る野次や罵倒を聞きながら、保科はアップを始める。
チームメイトたちが、気にするなと保科の背を叩いた。
保科はそれに頷き返す。
実際、予想していたよりも堪えはしなかった。
どこかに彼女がいるからだろうか。
ここにいる何万人が保科を責め詰ったとしても、彼女だけは味方でいてくれる。
真っ直ぐに曇りのない瞳で、今日の保科を見ていてくれる。
それだけで、何も怖くはなかった。

事実から逃げはしない。
だが、そこに付随する他人の負の感情までは背負わない。
ここで立ち止まってなるものか。

崩れ落ちた保科を、彼女が支え抱き締めてくれた。
疲弊しきった心を包み込み、保科がもう一度立ち上がるその瞬間まで、何も言わずにただただ全てを許して守ってくれた。
そして満が、立ち上がった保科の背を押してくれた。
立ち止まるな、胸を張れ、こんなところで諦めるな、と。


「流石に腹立ってきたな」
「やりすぎっすよこんなん」

保科の背後で、キャプテンとDFの一人がそんな会話をしている。
キャプテンは、先日まで代表で共にプレーしていた選手だ。
保科へのブーイングに、彼は忌々しそうな顔をした。

「タク!黙らせるぞ!」

キャプテンが吠える。
保科は彼を見た。
双眸が、真っ直ぐに保科を捉えている。
そこに信頼の色がある。

「はい」

保科は静かに頷いた。

結果として、試合は保科たちの圧勝に終わった。
六対零。
どうやら本当に切れたらしいキャプテンが、ハットトリックを達成。
全て保科のアシストである。
保科自身もワンゴールを決めた。
他のチームメイトたちも、いつも以上に奮戦してくれた。
相手チームのサポーターは完全に沈黙。
ヒーローインタビューでキャプテンが何を聞かれ何を答えたのか保科は知らないが、満足げな表情で戻って来た彼を見て保科は安心した。

そしてその夜保科が帰宅すると、先に帰っていた彼女がいつもように満面の笑みで出迎えてくれた。
玄関先で、保科が帰国した日とは反対に、彼女の方から保科に飛び付いて抱き締めてくれる。
そんな彼女を抱き留め、保科は強く決意した。
もう二度と、彼女をあんな風に泣かせるものか。




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