[42]代表
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七月四日。

保科です。
先日、仙台で国際親善試合があり、U-22コスタリカ代表に勝利しました。これにて一旦、U-22代表としての試合が終わり、来週からチームのリーグ戦に戻ります。来年の頭から選手権本戦が始まるので、それまでチームでプレーし、また代表選考に残れるよう精進します。
あなたは、そろそろ試験の時期でしょうか。どうか無理のない範囲で、頑張って下さい。


「よ、タク」
「満兄っ?!」

自宅の最寄り駅で電車を降り、駅の改札を抜けると、相変わらず全身をスーツに包んだ人目を引く兄が立っていた。
なにげない所作で片手を挙げられ、保科は目を剥く。

「どうして日本にいるんですか?」
「あっちは今オフシーズンだよ」
「あ……ああ、そうでした」
「アムステルダムからの直行便の時間が、たまたま東京行きより大阪行きの方が好都合でな。だったら久しぶりにこっちに寄るかと思って」

そう言って、東京ではなく大阪に帰って来た理由を説明した満がさっさと歩き出したので、保科もその後に続いた。

「クラブハウスに顔出したら、お前がそろそろ帰って来るって聞いたから。飯、今からだろ?」
「はい」
「よし。いつもの店行こうぜ」

駅を出て、満は慣れた足取りで馴染みの居酒屋を目指す。

「ったく、こっちはあっついなあ。蒸し暑い」
「オランダの方が過ごしやすいですか」
「ああ、もっと涼しいしカラッとしてるよ」

不快だと文句を言いながら、しかし満は言葉ほど嫌な気分ではないらしい。
恐らく、この後のビールが楽しみなのだろう。
案の定、店に入って座敷に案内されるなり保科の意見も聞かずに「生二つ!」と叫んだ満は、ジョッキを傾けて大層美味しそうな顔をした。
保科も、控えめに最初の一口を含む。
最近この美味しさが少し分かるようになってきたが、まだ、一気飲みして喉を鳴らすほどではなかった。

「親善試合だったって?ニュースで見たぞ」
「はい。コスタリカとの試合が仙台でありました」
「ちゃんと決めてきたか?」
「俺はMFです。そう毎回シュートを狙うわけではありません」
「分かってるよ。ちゃんといいプレーが出来たか?って話だ」
「課題は多いですが、今の実力は発揮出来たと考えています」

ん、と満足そうに満が笑う。
今回保科は大阪のチームでプレーする時のようにウイングバックとしてではなく、ワンボランチとして起用され、司令塔の役割を担った。
保科にとっては、より馴染みのあるポジションである。

「満兄は、どうですか」
「俺かぁ?まあぼちぼちだな」

満がオランダのチームに移籍してから、丁度一年だった。

「当たり前だが、あっちは皆フィジカルが強い。同じだけやってたんじゃとても太刀打ちできない。何倍もトレーニングして、やっと対等だ。根本的に、その点で張り合うのは賢くないんだろうな」

満が、運ばれてきた胡瓜に橋を伸ばす。

「だからと言って、じゃあスキルでこっちに分があるのかって聞かれりゃ、それも違う。ったく、エースなんて呼ばれなくたってどいつもこいつも普通に化け物クラスだ」

ぼり、と胡瓜の砕かれる音がした。

「まあ、おかげで毎日必死だ。楽しいよ。見上げても見上げても上ばっかりだ」

恐らく、言葉以上に苦労しているのだろう。
だが満はそれを楽しいと言い切った。
昔から満は保科のことをサッカー馬鹿と呼ぶが、保科から見れば満も負けず劣らずだ。

「別に俺は、海外のチームに移籍するのが凄いとか偉いとか、そういう風には思ってない。国内の選手だって、凄い奴はいっぱいいる。それが駄目なわけじゃない。でもお前は早く、世界を見に行け」

ふた切れ目の胡瓜が、満の口に消えた。

「圧倒的に強い奴等の中でもがけ。ぼろっぼろにへこんでから立ち上がれ。お前は絶対、その方が伸びる」

満がジョッキを傾け、一杯目を空にしてから、不意に保科の方をまじまじと見つめる。

「お前、そんな真面目に聞くなよ。食え食え」
「はい」
「ったく。相変わらずだな。酒飲んで説教臭くなる兄貴の言うことなんか、話半分に聞いてりゃいいんだよ。わざわざ膝の上に手ぇ揃えて聞く奴があるか」
「すみません」

保科もようやく、胡瓜に箸を伸ばした。

「……いや、そうでもないな」
「はい?」
「お前、なんか雰囲気変わったな」
「……そうですか?」

じっくりと眺められ、流石に居心地が悪くなった保科は誤魔化すようにビールを飲む。

「なんつーかさ、……色気付いた?」
「はい?!」

聞き慣れない単語に、保科は唖然とした。
だが頭の中で意味を考え、余計に驚く。
色気付くとはつまり、異性に関心を持つだとか、性に目覚めるだとか、そういう意味合いだ。

「なんですか、それは」
「何って聞かれても、そのまんま」

どうしてこの兄は、変なところで鋭いのだろうか。
保科は内心冷や汗を掻く。

「さてはお前、好きな女でも出来たな?」

こういう時、さらりと否定出来ればいいと思った。
だが生憎保科にそういう芸当は不可能だ。
図星を突かれ言葉に詰まった一瞬を、満は見逃さなかった。

「当たりだな」

正直、いつか気付かれるだろうと覚悟はしていた。
彼女への想いを自覚してから約四年。
隠し事が、特に兄に対するそれが絶望的に下手な保科にしては、むしろよく保った方かもしれない。
この一年、満がオランダにいなければ、もっと早くに気付かれていただろう。

「なんだよお前、そういうことは早く言えよ」

次のビールを注文した満が、人の悪い笑みを浮かべた。

「……特に、報告出来るようなことはなにも、」
「お前の片想いか」
「はい」
「ふぅん。で、相手は?」
「……黙秘して構いませんか」
「俺が知ってる奴ってことだな」

ああ嫌だと、保科は眉を顰める。
満相手に口で勝てた試しなど、この二十余年で一度もないのだ。

「……直接の知人ではないと思いますが、言えば分からなくもないかと」
「なるほどな。まあ、相手についてはこの辺で勘弁してやるよ」

弟の初恋話は、兄にとってそんなに面白いものなのだろうか。
満は機嫌の良さを隠そうともしなかった。

「そうかそうか、ついに堅物のお前をどこかの誰かさんが陥としたか」

これは、明日にも聖也が弟の初恋を知ることになる流れである。
電話かメールが来るだろうなと、保科は覚悟した。

「よかったな」

不意に柔らかな声音で言われ、保科は満に視線を戻す。

「どんな恋愛してんのかは知らないし、多分いいことばっかじゃないだろうが。でも、いいもんだろ?」

いいもの。
保科は、脳裏に彼女の笑みを思い浮かべた。
いいことばかりではない。
会えないつらさ、彼女のことを知れない寂しさ。
己の中に醜い嫉妬心があることも知ったし、みっともない姿も見せただろう。
それでも、彼女に出会う前に戻りたいとは絶対に思わない。
この四年、彼女への想いに、彼女の優しさに支えられて耐えられたことがどれほどあっただろう。
もう、彼女への想いを知らない自分には決してなれない。

「……はい」
「ほらな。だから俺はずっとそう言ってただろ?」
「はい」

恋愛感情を知った今となっても、満の恋愛観が理解出来るようになったわけではないが。
それでも満が恋愛をいいものだと言う気持ちの根本は、少し分かった気がする。
男にはないもの、自分にはないものを持っている存在だ。
これまで自覚していなかった、己の欠けた部分を埋めて貰えるような、そんな気になる。
それは深く満たされる感覚だ。


試合、お疲れ様でした。今回も見事なアシストでしたね。まるで当たり前のように綺麗なパスが繋がる、そのことが、何千本という練習の末の一本なのだと思うから、プレーを見ていると力を貰えます。実は前から伝えようと思っていたんですけど、日本代表のユニフォーム、凄く似合いますね。また、あの青いユニフォームを着た保科さんの試合を観たいです。


「お前は昔から、これと決めたことに対しては徹底的に諦めが悪いからな。ちゃんとモノにしてこいよ」
「………精進します」

今のところ、その可能性は見えてこない。
だが満に言われるまでもなく、諦めるという選択肢はない。
それこそ、不可能というものだ。

いつの日か、彼女を兄に紹介出来る日が来るといい。
保科はそう思った。



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