[12]理由
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「あと五十本、付き合って貰えますか」
「いいぞ!いくらでも!」

午後の個別練習。
保科はチームメイトのGKに声をかけ、フリーキックの練習に付き合って貰っていた。
タクのシュートは最高の練習になると、彼も快く頷いてくれる。
互いに汗だくで息切れしていたが、やめる理由にはならなかった。

「何かあったのか、タク」

しばらく前から近くで練習を見ていたチームのキャプテンが、声をかけてくる。

「何か、とは?」
「いや、今日はいつもと雰囲気が違う気がしてな」

このチームで一番の年長者は、兄のような顔で保科を覗き込んだ。
そういえば彼は聖也と同い年だと、保科は気付く。

「ああ、別に何か問題があるとか、そういうことじゃないから気にしないでくれ。ただ、いつもより気迫が凄いことになってるからな。何か心境の変化でもあったのかと思っただけだ」

余計なことを言ったかなと、キャプテンが申し訳なさそうに苦笑した。
保科は一言「いえ」と否定するに留める。
他に、何と言えばいいのか分からなかった。
新しいチームで、言葉を惜しむことなく出来るだけ自分のことを話すよう心掛けてはいるが、一朝一夕で口が達者になるわけではない。

「無理しすぎるなよ」

ひらりと手を振って去って行くキャプテンに頭を下げ、保科は再びゴールに向き合った。

心境の変化は、ない。
何かが変わったわけではない。
ただ、認めただけだ。
自分は彼女のことを忘れられないと、その想いを抱えたままでいることを自分に許し、そして自分に課しただけだ。
やることは、何も変わっていない。
サッカーをする。
誰よりも練習し、誰よりも上手くなってみせる。
試合で好成績を残し、J1の本チームに行ってみせる。
この想いを抱え、大事にしたまま、サッカーを続けるのだ。

「いきます!」

それに、と保科は思った。
そんなことを理由にしたら、怒られるだろうか。
J3とは異なり、J1の試合はテレビで放送されることも多い。
満を見て知ったが、特に活躍すれば新聞やスポーツ雑誌にも載り、世間に顔と名が知れ渡る。
言うまでもなく、これまでの保科にとってそれはどうでもいいことだった。
有名になりたいわけでも、人気の選手になりたいわけでもない。
保科は中高の六年間で取材慣れてしているが、そういった活動は些か面倒だと感じるタイプの人間である。
それでも今は、そこに意味と価値を見出しているのだ。
テレビにプレーが映れば、新聞や雑誌に記事が載れば、彼女が見てくれるかもしれない、と。
彼女が、特別にサッカーが好きなわけではないことは知っている。
だが少なくともあと二年、聖蹟のマネージャーを務める間は、彼女の関心は常にサッカーの方を向いているだろう。
参考までに、プロの試合をテレビで観ることがあるかもしれない。
部員たちから、サッカー雑誌を借りて読むことだってあるかもしれない。
保科の姿を目にする機会がもしあれば、思い出してくれるのではないだろうか。
ホテルの部屋で意見交換をしたこと、保科が病院に見舞いに行ったこと、一緒に試合を観戦したこと。
保科が大切に憶えている、彼女にとってはきっと忘れゆく過去の一部の、そんな出来事を、懐かしんでくれはしないだろうか。
浅ましい下心だと嗤うしかないが、それ以外、保科に出来ることはないのだ。
こちらに関しては、最初から負け戦だと知っている。
そもそも、勝負になるかどうかさえ分からない。
でも、一方的に諦めないでいることは自由だ。
馬鹿みたいでも、傍から見れば無意味でも、保科にとっては価値があった。
何よりも、理屈でどうにか出来ることではないのだ。
忘れよう、諦めようなどという努力は意味をなさないのだと知ってしまった以上、受け入れるほかない。
保科は、彼女が好きだ。
だから好きでいる。
理由はそれだけで充分だった。


月末に、今度は聖也から電話があった。
といってもこちらは毎月の恒例で、四月五月に続き今月も、わざわざ時間を見つけて連絡をくれた。
曰く、何かあっても素直に兄に甘えられない弟のためらしい。
いつまでも子ども扱いをされていることに幾分かの気恥ずかしさと情けなさはあれど、反発する気は全く起きなかった。
保科にとって兄とはそういう存在だ。
最強のライバルであり、同時に、最強の味方でもある。
子どもの頃から、ずっとそうだった。
兄たちは、そう在り続けてくれた。
保科が追うべき、格好良い背中。
何度も悔しい思いをした。
本気で勝負して勝てることなど、昔から殆どなかったのだ。
年齢差からくる経験の差はなかなか埋まらない。
追いかけても追いかけても届かない背中に、悔し涙を流したこともある。
それでも兄たちは、時に振り返り時に手を差し伸べながらも、常に本気でいてくれた。
特に満など、保科と七つも離れているのだ。
小さな弟相手に本気になる満を、大人気ないと言う者もいた。
それでも満は、保科を相手に手加減をしなかった。
それは圧倒的な長男の姿だった。
そして聖也もまた、常に弟を気にかけながらも、サッカーにおいて保科を甘やかそうとはしなかった。
保科はいつだって、全力で立ち向かうことを身体の芯まで叩き込まれた。
優秀な兄がいると苦労するなと、チームメイトに同情されたことがあるがとんでもない。
保科は、環境に恵まれたのだ。
二人の兄が常に最大の壁として立ちはだかってくれたからこそ、今の保科はある。
そのことを、保科は心から感謝している。

『満に聞いたぞ。いよいよスタメン確定だってな』
「いえ、まだ先発だったのは二試合だけです」
『とか言って、大活躍だったんだろ?あいつ、嬉しそうに報告してきたぞ。俺に言うならお前に直接言ってやればいいものを』

呆れたように笑う聖也に、保科も口元を緩めた。

『まあ、お前なら大丈夫だと思ってたさ。早くJ1に上がって来いよ、試合が観たい』
「努力します」

ああ、と聖也が頷く様子が目に浮かぶ。

『そういえば、浦あたりから聞いたか?お前の後輩たちがやってくれたぞ』
「はい、聞きました。無事、全国への出場を決めたと」
『ああ、よかったな、タク』

最初に知った時は聖蹟の試合結果に気を取られ、浦と喜びを共有し損ねたが、東院の全国出場は純粋に嬉しかった。
送られてきた写真は、何度見ても誇らしくなる。
最後の大会で、保科は彼らを全国に連れて行ってやれなかった。
チーム競技である以上誰のせいでもないと分かってはいるが、やはり三年生として、主将として、後輩たちに申し訳なく思う気持ちは誤魔化せない。
今年のインターハイ。
保科たちの分も、なんてことは言わない。
新しい代の、新しい東院サッカー部として、全国制覇を目指してほしい。
彼らにはそれだけの力がある。

『本戦の間は、俺も少し余裕がある。お前の分まで、応援してきてやるからな』
「はい。よろしくお願いします」

次の試合も頑張れよ、と、聖也は最後にそう言って電話を切った。



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