[7]観戦
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一月十二日。
全国高校サッカー選手権大会決勝。
四千百五十校の頂点を決める戦いが行われるその日、会場となる埼玉では珍しく雪が降った。

試合開始の十分前に会場に着いた保科は、超満員のスタンド席を見渡す。
両校の応援団、父兄、全国から集まった選手たち、OB、プロや大学のスカウト陣に、取材陣。
特に、桜高は地元が近いということもあって、多くの生徒が応援に来ているようだった。
兄二人と、浦や石動も来ているはずだし、もしかしたら他にもチームメイトが観戦に来ているかもしれないが、この人混みの中から探そうとは思えない。
保科はスタンド席後ろの通路を通り、ピッチ全体が見渡しやすい位置を探した。
実は、観に来るつもりはあまりなかったのだ。
今日は聖蹟の試合ではない。
彼女の姿をベンチで見つけることは出来ない。
そうなると、部を引退する保科に、他校の試合を観る意味はあまりない。
実際、兄や浦たちに誘われた時は、練習をするからと一度断ったのだ。
だがその後、ふと思い直した。
もしかしたら、彼女は観に行くのではないか、と。
聖蹟にとっては、来年以降も対戦する可能性のある相手だ。
彼女が情報収集に来る確率は高い。
そう思い至り、保科は予定を変更して急いで会場に足を運んだ。

「……この人混みでは流石に無理があったか」

生憎と、人ひとりを探せる環境ではない。
彼女がチームメイトと共に観に来ている可能性を考慮し、黒いジャージの一団を探してみたが、聖蹟の部員らしい姿は見当たらなかった。
仕方ないと、肩を落とした保科は目星を付けていた場所で足を止める。
立ち見ならこの辺りが一番両チームの動きを把握しやすいだろう、とピッチを見下ろしたところで、視界の端に映った姿に目を見開いた。

彼女だ。

スタンド席後方。
恐らく、考えることは保科と同じだったのだろう。
バインダーとペンを持った制服姿の彼女が、そこに立っていた。
その姿を見つけた途端、保科の鼓動は速くなる。
この人混みの中から見つけられたのだという事実が、ひどく嬉しかった。
この機会を逃すわけにはいかない。
大会最後の試合だ。
今日を逃せば、保科にはもう、彼女に会うチャンスがない。
保科は一度ゆっくりと深呼吸してから、足を踏み出した。

「ーー ミョウジさん、」

彼女の隣に並べば、呼びかけに反応した彼女がはっと保科の方を振り仰ぐ。
その表情が驚きに染まる様子を、保科はじっと見つめた。
間近で彼女を見るのは、病院に見舞いに行った時以来だ。

「え、あ……保科さん!」

彼女の左隣。
今にも保科の二の腕と彼女の肩が触れ合いそうな、至近距離。

「びっくりしました。保科さんも、観に来てたんですね」
「はい。……あなたが、来ているかと思って」
「ーー え?」

前に向き直りかけていた彼女の視線が、再び保科を見上げた。

「ベストフォー、おめでとうございます」

きょとり、と、栗色の瞳が瞬く。

「チームとしては、不本意な結果かもしれません。誰にとっても、最良の結果は全国制覇。しかし聖蹟にとって、過去最高の順位となったのもまた、事実でしょう」

二年前、聖蹟が全国に出場した時、結果は初戦敗退だった。
それが今回は、準決勝まで残ったのだ。
本人たちにとっては悔恨の敗戦でも、客観的に見れば大躍進だろう。

「……そう、ですね。確かにそうです」
「ですから、おめでとうございます」

保科はもう一度、同じ言葉を繰り返した。

「それは、選手たちに、」
「いえ、あなたに向けた言葉です」

遠慮がちな言葉を制し、そのまま続ける。

「あなたは、選手たちにそう言う側の立場でしょう。だからこそ、俺はあなたに言いたい」

おめでとう、凄かった、よくやった、と。
誰もが、実際にピッチでプレーした選手を讃える。
マネージャーにそう言う人間は、まずいない。
だが、保科は知っている。
彼女の献身を、彼女の尽力を。

「満足していないことは分かっています。でもあなたは、チームをここまで支えた自分を労うべきだ」

聖蹟というチームは間違いなく、彼女に支えられていた。

「……ありがとう、ございます」

どこか居心地悪そうに、視線を逸らし。
周囲の喧騒に負けそうなほどの声量で呟かれた言葉は、しかし確かに保科の鼓膜を揺らした。
よかった、伝えられた、と保科は安堵する。
どうしても、それが言いたかった。
だがまさか、桜高戦に負けた直後の彼女を待ち伏せて言うわけにもいかなかったので、やはり今日ここに来て正解だった。

その後、選手たちが入場し、試合が始まる。
雪は散らつく程度で積もることはなさそうだったが、多少なりともプレーに影響は出るだろう。
彼女は目紛しく展開するゲームを追いながら、バインダーに挟んだノートに気付いたことを書き出していった。
視線はピッチに固定したまま、勢いよく書き殴られていくメモ。
保科は時折、そっと目線を落としてそれを盗み見た。
お世辞にも丁寧とは言えない筆跡だが、読めないことはない。
相変わらず面白い着眼点だと、目を瞠るものも多かった。

「……今の十番は、フェイントを狙ったってことなんですか?」

キックオフ以降、ひたすら無言で試合を追っていた彼女に話しかけられたのは、試合開始から約十分後。
不意打ちに驚いて保科が隣を見ても、彼女の視線は選手を見据えていた。
恐らく、保科に話しかけたというよりは、抱いた疑問に答えてくれる存在を無意識のうちに探したということだったのだろう。
自分で言うのもどうかと思うが、確かに保科は、この場においては絶好の解説役だ。

「はい、恐らく。あの動きは、目の前でやられると騙されやすい。一瞬、視界から消えたように感じます」

光栄だ、と保科は思った。
彼女と話すことが出来る。
自分が彼女の役に立てる。

「なるほど……」

情報収集とその分析に優れた彼女に足りない点を敢えて一つ挙げるならば、それはプレー経験だった。
彼女には、実際にピッチでプレーした経験がない。
だからどうしても、プレーしている者にしか分からない感覚というものは理解出来ない。
それは当たり前のことで、むしろその慧眼と洞察力でカバー出来ていることを彼女は誇るべきだろうが、彼女は貪欲だった。
満足せず、高みを目指す。
より正確に、より詳細に、より的確に。
彼女は、チームのための情報を掻き集めていた。
彼女にしてみれば、今隣に全国区のプレイヤーがいることは都合が良いだろう。
そして保科にとっても、それは同じことである。

「犬童さんの動きがいつもと違うように感じるんですけど、保科さんの目にもそう見えますか?」
「はい、確かに違和感がある。何か狙いがありそうですね」

どうやら彼女は、保科を有益な解説役と認識してくれたらしい。
それからは、何かある度に話しかけられた。
保科からも、気付いたことを口にした。
彼女はその都度、得た情報をメモしていく。
普通とは異なる柔軟な発想、論理的な思考。
冷静な顔をして、保科は何度内心舌を巻いただろうか。
リアルタイムで彼女と試合を観戦するのは初めてのことだが、保科は純粋に、この時間を楽しく感じていた。



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