[2]興味
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「すみません、夜分遅くに」

聖蹟が、二回戦で一星学園を下した夜。
保科は、聖蹟サッカー部の宿泊するホテルを訪ねた。
時刻は夜の八時過ぎ。
女性を訪ねるには不躾な時間だったが、保科も、考えた末の行動だった。
誰かに訊ねるまでもなく、偶然、階段の途中で見つけた姿。
直接言葉を交わすのは、これが二度目だった。

「東院の、保科さん?」

急いでいたのか、階段を駆け下りて来た彼女が、踊り場に保科の姿を認めて立ち止まる。
聖蹟のマネージャー、名前は確か、ミョウジだ。
聖蹟のメンバーがそう呼んでいるのを、耳にした覚えがあった。
ジャージのズボンと、黒いTシャツ。
印象的な長い髪。
生憎保科には女性の外見に関する知識などないが、恐らくは、人に好まれやすい容姿なのだろう。
改めて互いに自己紹介をしてみれば、彼女がまだ一年生だと判明する。
交換条件を提示すれば、彼女は唐突な訪問に戸惑った様子を見せながらも保科を部屋に招いた。
保科からは、聖蹟が明日対戦する梁山高校について、知る限りの情報を提供する。
その代わり対価として、彼女の明日の試合展望を差し出してもらう。
その取り引きを、彼女は飲んだ。

招かれた部屋はそこそこ片付いており、窓際に鉢植えが飾られていた。
ホテル側のサービスではないはずだから、恐らく彼女自身が持ち込んだものなのだろう。
それは半円状の、不思議な形をしていた。
キャベツか、否、レタスだろうか。
鉢植えに入っているのは初めて見た。
保科はコスモスが好きだが、だからといって植物全般に詳しいわけではない。
残念なことに、保科はそれが葉牡丹だとは知らなかった。

「では、自分の知る梁山の情報。それを先に話しましょう」
「お願いします。その後こちらの分析を」

窓際に腕を組んで立った保科は、持参した梁山の試合映像を元に、約束通り、東院が把握している梁山の情報を全て説明した。
今年のインターハイ、東院は準決勝で梁山と当たって負けている。
何度思い返しても、あれは不甲斐ない敗戦だった。
ベッドの端に腰掛けた彼女は手元のバインダーに挟んだ紙に、保科の説明を片っ端から書き付けていく。
保科の番が終われば、今度は彼女がたった今手に入れた情報も加味した上で、梁山の分析を披露した。
落ち着いた声音で淡々と語られるそれを、保科は一言も聞き漏らすことなく脳に叩む。
見事としか言いようのない、周到かつ的確な分析力だった。
応用力も高い。

「なるほど、梁山の分析は理解しました。しかしこちらが知りたかったのは、明日の展望。あなたはどう攻めどう守り、どう攻略するのがベストだと考えているのか。あくまであなたの個人的な見解を聞きたい」

だが、それはもう知っているのだ。
彼女による東院の分析結果が正しかったことは、先日の試合が証明している。
ここから彼女がどのような作戦を立てるのか、保科はそれを知りたかった。

「それは言えません」
「……なぜ?」

拒否する彼女の横顔を、保科は見下ろす。

「私はただのマネージャーです。対戦校のデータを集めたりチームの現状を分析を把握する義務はありますが、でも戦術的なことまで進言するべき立場ではありません」

一瞬、それは本音に聞こえた。
実際、嘘ではなかったのだろう。
だが進言するべき立場ではないということは即ち、進言出来る何かを用意しているということだろう。
保科を警戒しているのか、それとも他に理由があるのか。
どちらにせよ、ここまで来て本命が手に入らないのは勿体ない。
保科は近くにあった椅子を引いて腰掛け、彼女に目線の高さを合わせた。

「では他言はしない。自分にだけ、ここだけで聞かせてくれないか」

何か有益な情報があれば、来年以降のため、後輩たちに伝えようかと思っていたが、それはもういい。
今保科を支配するのは、純然たる興味だった。
そして、しばらく悩んだ末に彼女の口から語られた、対梁山の攻略戦術。
正直、それは保科には到底思い付かない、大胆かつ斬新な発想だった。

「なるほど。今は女性でも幼い頃からサッカーを観ている。そういう環境が、柔軟な発想を育むんでしょうね」

男兄弟がいたり、父親がサッカー好きだったりするのかもしれない。
そんな保科の予想に反して、彼女は慌てたように首を振った。

「いや、私なんてただのド素人なんで。マネになったのだって高校に入ってからだし、真面目に勉強し始めたのだって夏からで」

その事実に、保科は驚愕する。
直感的に、天才だ、と思った。

「……うちの弱点には、なぜ気付きましたか?」

そんな素人がどうして、盤石と言われる東院を攻略出来たのか。

「いや……なんか、リズムが……」
「リズム?」
「上手く言えないんですけど、試合にはリズムがあります。そして、それぞれのチームは各々のリズムを持っています。独特の。東院のそれが崩れたのはインターハイの準決、対梁山でのダイレクトプレーでした」

一体どれだけ見れば、そんなことに気付くのだ。
保科はすぐに、彼女への認識を改めた。
確かに天才的な洞察力を持っていることは間違いない。
着眼点の鋭さは、一種の才能かもしれない。
それをもとに分析し対応策を考案する能力は、今はサッカーに対して発揮されているだけで、きっと何にでも応用出来る彼女自身の頭の良さだろう。
だが何よりも恐ろしいのは、その努力だ。
執念とも言えるだろうか。
保科が一日も欠かすことなく日々ボールを蹴るように、彼女もまた、ひたすらに試合映像を見続けたのだ。
そして、言葉にすると酷く曖昧なリズムという感覚を掴んだ。

「少し思い違いがあったようです。ブレがなく冷静で、意志の強い鉄の女。そんなイメージでしたが、実際は自らの意思も押し通せない、サッカーは素人の普通の女子高生」

それは、どれほどの献身だろうか。
臼井はある程度気付いていたようだが、果たして聖蹟に、彼女の献身を真に理解している者はいるのだろうか。

「会いに来てよかった。ずっと引っかかっていた問いの答えが出ました」

立ち上がり、俯く彼女に告げる。

「我々が聖蹟に敗れた理由。それが今日、少し分かった気がします」

驚きに、彼女の顔が上がった。
その前を、保科はゆっくり通り過ぎる。

「チームに与える影響は大きい。思っている以上に」

来年の聖蹟は、今年以上に強いチームとなるだろう。
保科は確信した。
確かに今年の三年、主に水樹と臼井の抜ける穴は大きいだろう。
だが間違いなく、来年はもっとクレバーで、トリッキーなチームになっているはずだ。
東院のようなエスカレーター式でない聖蹟は、新入生によほどの人材を確保しない限り、インターハイは厳しい戦いとなる。
聖蹟が本領を発揮し強敵となるのは、きっと来年の選手権だ。
後輩たちに、それだけは伝えておこうと思った。

「あなたが聖蹟の重要なファクターとなっていること、忘れてはならない」

少し振り返れば、彼女はぽかんと口を開けて保科を見ていた。
戦術を語った時と同一人物であるとは思えないほど、無防備な姿だ。
普通の女子高生、十五、六歳の、女の子。

「明日はスタンドで応援します」

今はまだ、未熟かもしれない。
何事においても、経験は重要だ。
だが、年数を重ねればいいというものでもない。
その証拠に、たとえば水樹は高校からサッカーを始めたというが、今や十傑の一人である。
彼のように、きっと彼女も、爆発的に成長するだろう。
試合を一つ重ねるごとに、階段を登るのだ。

「あなたが正しいと思うことをすべきだ」

それを、保科は見てみたい。



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