非淑女同盟[3]「それにしても楽しみだなあ。アンタの子なら絶対可愛いよ」
「そんな予定はない」
「ええ?なんで、うちで産んでよ」
「君は救命でしょうが」
「うちの産科結構評判いいよ?」
「人の話聞く気ないでしょ」
二つ目の、今度は苺のショートケーキを突きながら、伊鈴が笑った。
「先に結婚式だね。友人代表のスピーチとか緊張するなあ、何言えばいい?」
「だから、その予定もないんだって」
苺にフォークを刺した伊鈴が、今度は本気で驚いた様子を見せる。
「ないの?」
「ないの」
「なんで?」
「そう言われても。別に、する理由もないし」
「しない理由は?」
「それもないけど」
なんだか最近よく耳にする単語だと、ナマエは脳内でそれを復唱した。
多くの人が経験する人生の選択について、興味が全くないわけではない。
だが同時に、その願望もない。
「……抵抗、ある?」
不意に静かな声音で問われ、ナマエは苦笑した。
その気遣いは必要ない。
「別に、親のことは気にしてないよ」
本心だった。
親が離婚しているからという理由で、結婚にマイナスイメージを抱いているわけではない。
「可愛い憧れもないけどね」
「アンタにそんな気持ち悪いもんがあったら産科の前に脳外だね」
「精神科よりマシ」
「アンタの花嫁姿、見てみたいんだけどなあ」
下らない応酬を不意に真面目な声遣で切り返され、ナマエは目を瞬かせた。
「……人に押し付けないで自分でやんなさいよ」
「ええ?私?それこそ予定ないって」
「知ってる」
「うっさい」
小さくなったショートケーキが、皿の上で横倒しになる。
伊鈴は「男なんて所詮」と文句を言いながら、スポンジにフォークを突き刺した。
「まあお互い、もう少し独身を謳歌しても罰は当たんないでしょうよ」
「まあね、気楽でいい。親泣かせかな」
「お母さん、元気?」
「うん。最近昔懐かしの手芸に嵌ってるよ。そっちは?」
「こっちもみんな元気だと思う。しばらく忙しかったから連絡してないんだけど」
ナマエは伊鈴の母と、そして伊鈴はナマエの父と、それぞれ面識がある。
といってもそれは学生時代の話で、もう随分とご無沙汰だった。
「それだよ。アンタ今日よく来れたね。どうせ無理だと思ってた」
「ああ、うん」
伊鈴は勿論、ナマエの仕事を知っている。
一月の異能騒ぎがセプター4にどれほどの影響を与えたのか、ある程度察してくれていたのだろう。
「事後処理は一通り終わってね。今はむしろ、前より暇になったよ」
「へえ、そうなの?」
「そ。ついにあのブラック企業も労働環境の改善に乗り出したってわけ」
石盤云々の話はしなかった。
互いに、内密にしなければならない事柄の多い仕事をしている。
言葉にせずとも伝わることは多かった。
「そりゃよかった。ああ、だから合コンする余裕なんてあったんだ」
「そういうこと。人数集めてくれてありがとね」
先日、ナマエが日高のためにセッティングした合コンの女子側を担当してくれたのは何を隠そう伊鈴である。
「いいよ。みんな楽しかったってさ」
「はは、名誉なんだか不名誉なんだか」
「まあ、うちの人たちは理想ばっかり高いから」
「看護師ってそういうもん?」
「特に救命なんて毎日屍みたいな医者ばっかり見てるからね、理想が無駄に高くなんの」
「君も、ね」
ナマエと異なり、伊鈴は昔から恋愛に対して積極的だった。
恋愛に依存するわけではない。
だがいつも、気になる相手がいれば進んで声を掛け、出会いに対しても貪欲だった。
そのため、恋人が途絶えることは殆どない。
今は別れたばかりのようだが、どうせ来週には新しい彼氏が出来ているのだろう。
忙しいくせにどこにそんな暇があるのか、ナマエとしては一向に理解出来ないままだった。
「煩いな。彼氏持ちの余裕か。アンタだって油断してたら振られるんだからね?」
「その心配はあんまりしてないかなあ」
「うわ、なにその自信。二年でしょ?マンネリ化して振られちゃえ」
「結婚してほしいのか別れてほしいのかどっちよ」
矛盾に呆れ、ナマエは苦笑する。
どちらにせよ、今のところ期待には応えられそうになかった。
前者については、ずっと一緒にいてほしい、という話をされたことはあるが、具体的に将来のことについて話し合ったことはない。
一方後者についても、別離を感じさせるような気配は特になかった。
マンネリズムと言ったって、元々大した新鮮さもない関係だ。
ピークがなければ、下降の仕様もないだろう。
「どうせアンタ、ちゃんと恋人らしいことしてないんでしょ」
「それなりにしてるつもりだけど」
「セックスすればいいってもんじゃないんだからね」
「誰がそんなこと言ったよ」
「弁当作ってあげるくらいの可愛げ見せときなよ?」
「弁当?うち食堂あるからいらないんだけど」
「いいから作んなさい」
「だから、必要性が、」
「作れ」
強引な指南に嘆息し、ナマエは肩を竦めた。
手作り弁当なんてナマエの柄ではないし、そもそも必要ないというのに。
家庭的な一面のアピールということだろうか、それとも愛情を時間と労力で表現しろということだろうか。
数日前まで秋山に熱烈なアピールをしていた経理課の彼女は、そういえば手作りの弁当を持って来ていた。
流石に秋山は受け取らなかったようだが、ナマエが作れば喜ぶのだろうか。
間違いなく答えはイエス一択だと、ナマエは一人苦笑した。
「分かった分かった、いつかね」
いつか、そんな蜜月風の恋愛アイテムを用意してみるのも悪くないかもしれない。
親友の口車に乗せられただけだ、というみっともない言い訳を脳内で組み立て、ナマエはカップに残った紅茶を飲み干した。
「いつかじゃなくて明日!善は急げ。証拠写真撮って送んなさいよ」
「やだよ、馬鹿。自分で作った弁当の写真を撮る趣味なんて、」
ない。
というナマエの反論は、タンマツの電子音に遮られた。
テーブルに置いたタンマツに視線を落とせば、画面には秋山氷杜の文字。
ナマエは今日、友人と食事に行くことを事前に秋山に伝えている。
それでも電話を掛けてきたということは、仕事関連の連絡だろう。
「仕事でしょ、外そうか?」
秋山の名前を目にした伊鈴の気遣いを手で制し、ナマエはタンマツを取り上げた。
こういう時、ナマエはこの友人をとても好ましく感じる。
先程まで興味津々とばかりに話題にしていた恋人からの着信を面白がることなく即座に状況を察してくれる、そういう頭の良さがありがたかった。
「はいミョウジ」
念のため片手でバッグの中を漁って財布を探しながら、電話に出る。
『秋山です。お休みのところ申し訳ありません』
鼓膜に流れ込んできたその声音から、緊急の用件だと理解した。
「どした?事件?」
『はい、今どちらですか?』
「清宿のミルネ」
『ストレインの運転する大型トラックが暴走し、現在、湖袋から清宿方面に向けて都道三◯五号を南下中です』
「……そりゃ見事に大当たりだねえ」
ナマエは、ガラス張りの店内から外を見遣る。
まさにこのビルが、都道三◯五号沿いにあった。
『特務隊が追跡中ですので、合流するまで安全な場所に、』
「逃げろって?」
『……気を付けて下さいよ』
渋々といった様子の秋山は、恐らく今、指揮情報車の中で顔を顰めているのだろう。
ナマエは短く了解の意を伝えると通話を切り、財布から札を三枚抜き取った。
「ごめん、行くわ」
「ん、気を付けて。また連絡するよ」
一切の説明を省いても余計なことは言わず快く送り出してくれる伊鈴に感謝しながら、立ち上がってバッグを肩に掛ける。
ハイカットのスニーカーに包まれた足首をそれぞれぐるりと回してから、ナマエは店を飛び出した。
「弁当期待してるよー!」
背後から掛けられた見送りの声に、思わず笑う。
もしも事件が早めに片付いたら、その時はスーパーにでも寄って帰ろうかと思案した。
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