恋人たちの写真事情[2]
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今年も花見をしようと言い出したのは、誰だったのか。
大抵イベントの発端となる日高だったような気もするし、意外と榎本辺りだったのかもしれない。
発案者が誰にせよ、特に反対する者がいなかったことだけは確かだった。
勿論伏見は面倒臭そうに舌打ちを零したが、今更、そのようなことで怯えたり遠慮したりするような隊員は少なくとも特務隊にはいない。
かくして、四月の頭にセプター4特務隊の花見は開催されるに至った。

加茂が食堂のスタッフの手を借りて用意した豪勢な弁当に、布施と日高が買って来た大量のジュース類。
グラウンドの端に何枚ものブルーシートを敷き、短時間で用意したにしてはなかなかに盛大な花見が始まった。
一応は勤務終了後の夜六時スタートだが、当然ノンアルコールである。
だがこの面々、特に元剣四組の男たちにとって、アルコールの有無はさほど関係ない。
酔っていようがいまいが、賑やかに駆け回る姿に変わりはなかった。
花より団子を通り越して、公園で遊ぶ子どもさながらである。
大人組ーーといっても特務隊のメンバーは皆成人しているのだがーーはコップを片手にブルーシートに座し、その騒ぎを眺めながらゆったりと会話を楽しんでいた。
加茂の料理は相変わらず美味いだとか、最近ようやく公務員らしいシフトになってきただとか、ストレインへの職業斡旋がどうのとか、そのような他愛ない話題である。
この四月からついに、セプター4では二十四時間シフトが廃止された。
基本は朝八時から夕方五時までで、間に昼休憩が一時間という、非常に健全な勤務時間が設定され、早番や遅番という括りはもう存在しない。
勿論事件には二十四時間対応するため、宿直というシフトが新たに設けられたが、全体で見ればこれまでとは比べ物にならないほど身体に優しい勤務体制となったことは間違いなかった。
その恩恵を最も受けているのが、何を隠そう特務隊である。
皆がこの役所勤めに相応しい勤務体制に感謝感激していることは、宗像の持つ紙コップへと引っ切り無しに注がれる茶が物語っていた。
これまでの過酷な勤務時間が宗像の悪意によるものであったわけではないし、それが改善されたこともまた宗像の厚意によるものではないのだが、気持ちの問題なのだろう。
室長万歳、というのが元剣四組の合言葉となっていた。


「楽しんでいますか、秋山君、弁財君?」

その熱烈な接待に辟易したのか、宗像が秋山と弁財の座るブルーシートに避難してきた。
二人は苦笑と共に宗像を迎える。

「はい、おかげさまで」
「大変でしたね、室長」

コップになみなみと注がれた緑茶を零さないように気を付けながら、宗像が正座した。
特務隊の面々は皆ラフな私服を着ているが、宗像は和装である。
落ち着いた着流し姿がまるで一枚の絵画のように様になっていた。
相変わらず、桜が似合う人である。

「ミョウジ君から連絡がありました。もうすぐ帰って来ると思いますよ」

その口から零れた名前に、秋山は少しばかり息を飲んだ。
だが宗像の口調から、かつてのような含みは感じ取れない。

「そう、ですか」

それでも、秋山は慎重に返答した。
ナマエは今、外務省に赴いている。
恒例の、海外のストレイン対策に関する会議だと聞いていた。
出来れば全員揃って花見を始めたかったのだが、ナマエのスケジュールだけがどうしても調整しきれなかったのだ。
それでも、無事時間通り会議が終わったのならば幸運だろう。

「ふふ、あまり警戒しないで下さい。と、私が言ってもあまり効果はありませんか?」
「……いえ、そういうわけでは、」

秋山が僅かに身構えたことを敏感に察したらしい宗像が苦笑した。

「重ね重ねになりますが、私にもうその気はありませんよ」

恐らく宗像は、秋山が弁財に粗方の事情を話していることを分かっているのだろう。
何の躊躇もなく、弁財の前で秋山の込み入ったプライベートに踏み込んだ。
その弁財は、無言のままに視線だけを寄越して秋山と宗像の会話を聞いている。

「ミョウジ君には、散々惚気られましたからね。意趣返しをしたい気持ちがないとは言い切れませんが」

は、と秋山の口から間抜けな音が漏れた。
当然のことながら、そんなことは初耳である。

「君の淹れるコーヒーの方が美味しいだの、君の手の方が好きだの、絶対に別れないだの、私のことはただの上司としか思っていないだの。それはそれは容赦なく振られましたから」

並べられた宗像の言葉に、秋山はぽかんと口を開けた。
そんな秋山を横目に、宗像がくすくすと笑う。
その横顔は、まるで憑き物が落ちたかのようにすっきりと晴れやかなものだった。

「……ええと、それは……」

混乱した頭では正しい応えなど導き出せるはずもなく、秋山は口籠る。
それは宗像の予想通りだったらしく、くすりと喉が鳴った。
宗像にここで嘘を吐くメリットはない。
だから恐らく、大いに誇張されているとしても、元はナマエの発言で間違いないのだろうと秋山は思った。
それが、嬉しくないはずがない。

「その……ありがとう、ございます」
「はい?」
「……教えて、下さって、」

秋山がようやく絞り出した言葉に、宗像はそれまで桜を眺めていた視線を秋山に向け、一拍置いてから柔らかく笑った。

「君がもう少し、嫌味な人間なら良かった」

発言の意図が分からず、秋山は沈黙する。

「それなら、私も気兼ねなく嫌がらせが出来たのですが」

宗像は再び舞う花弁を見上げてから、静かに続けた。

「生憎私は、君のその不器用で実直な人間性を大変好ましく思っています」

眼鏡の隙間から、柔らかく細められた宗像の瞳が覗く。
部下を優しく見守る、上司そのものの視線だった。

「君も、勿論ミョウジ君も、私にとっては大切な仲間です。君たち二人の幸せを心から願っていますよ、秋山君」

再度、宗像の視線が秋山を捉える。
そこには、誠実で真摯な瞳があった。
かつて秋山は宗像から、似たような趣旨の言葉を告げられたことがある。
あの時は、まるで宗像が己の所有物を一時的に秋山に貸し与えていると言わんばかりに聞こえた。
だがたった今の発言から、秋山がそのような意図を読み取ることは出来ない。
純粋で言葉通りな、宗像の願いに思えた。

「はい、室長」

姿勢を正して、顎を引く。
宗像の誠意に応えるための、そして己の意思を伝えるための返事だった。
よろしい、と宗像が鷹揚に頷く。
その時、不意に宗像が何かに気を取られたかのように視線を他所へ向けた。
何事かと釣られて秋山も首を捻れば、寮棟の方から淡島がグラウンドに近付いて来る。
その両手に抱えられた盆の上に何が乗っているのかは、遠目に見ても明白だった。
宗像の頬が僅かに引き攣る。

「……さて、私はそろそろ退散させて頂くとしましょう」

宗像が、幾分か慌てた様子で立ち上がった。
淡島の餡子攻撃を真っ先に食らうのは、言わずもがな、上官である宗像だ。
そそくさと逃走を図る宗像に、秋山と弁財は顔を見合わせて苦笑した。
淡島はしばらく、不在の上司を探すことになるだろう。
再び弁財と二人きりになった秋山は、ゆっくりと肩から力を抜いた。

「……器が大きいな」
「ああ、そうだな」

ぽつりと零した秋山に、弁財が同意する。
仮に逆の立場であった時に秋山が同じ言動を取れただろうか、自問自答するまでもなく、不可能だと分かりきっていた。
だがもう、そこに劣等感は覚えない。
秋山は、コップに残っていた烏龍茶を飲み干した。
同じタイミングで、ブルーシートの上に放置されていた弁財のタンマツが短く鳴る。
弁財がタンマツを取り上げ、画面に視線を落として指を滑らせた。
恐らく、メッセージの着信だろう。
内容を確認するその双眸が一度驚きに見開かれ、そして柔らかな弧を描いた。

「どうかしたのか?何か嬉しそう、」

嬉しそうだな、と言い切ることは出来なかった。
唐突に、肩に掛かった重み。

「ーーぅわっ、…………ミョウジ、さん?」

反射的に振り向けば、そこには背後から秋山の肩に腕を回したナマエがしゃがみ込んでいた。
あまりの至近距離に、秋山の心臓が跳ねる。

「こぉら、隙だらけじゃん」

指摘通り、見事に背後を取られた。
だがその声音は叱責の色など全く含まない楽しげなもので、秋山は目を瞬かせる。

「お疲れ様です」

タンマツを片手に、弁財が声を掛けた。
そこでようやく我に返った秋山も、慌てて同じ言葉を口にする。

「お疲れ様です。今戻ったんですか?」
「うん、着替えて真っ直ぐ来た。随分盛り上がってるねえ」

秋山の肩に腕を回したまま、ナマエが視線を遠くに投げた。
そこでは道明寺と日高が木の枝でちゃんばらに興じ、布施や榎本らが見守っているのか囃し立てているのか、とにかく賑やかだ。
だが、羽目を外しすぎだと怒るには健全すぎる、微笑ましい光景だった。

「………あの、ミョウジさん……?」
「んー?」

同僚たちを眺めて口元を緩めるナマエが一向に体勢を変えないので、秋山は恐る恐る声を掛ける。
秋山の左隣にしゃがんで秋山の肩に右腕を回したまま、ナマエは呑気に缶の炭酸飲料を飲んでいた。
決して、この距離感とこの接触が嫌なわけではない。
むしろ大歓迎ではある。
だが、いくら就業後とはいえ今は周囲に同僚たちがいて、弁財なんてすぐそばで見ているのだ。
ナマエが普段徹底している公私の区別は一体どこに行ってしまったのか、秋山は落ち着かない気分でナマエから視線を逸らした。
その瞬間。
ちゅ、と可愛らしい音を立てて、頬に触れた柔らかな温もり。
それがナマエの唇だと一拍遅れて理解した秋山は、飛び上がらんばかりに驚いた。

「ーーっ、な、ナマエさんっ?!」

思わず下の名前で呼んでしまったことにも気付けないまま秋山が焦っていると、顔を離したナマエが前に向き直る。

「どお?」
「ばっちりです」

ナマエと弁財の間で短く交わされるやり取りに、秋山はさらに困惑を深めた。
弁財が満足げに手元のタンマツを見つめ、ナマエが唐突に秋山の肩から腕を離す。
その手が弁財に向かって伸び、弁財はさも当然とばかりに彼自身のタンマツをナマエに手渡した。

「うん、いいんじゃない?」

弁財のタンマツを眺め、ナマエが頷く。
そして徐に、何が起きているのか全く理解出来ていない秋山の眼前にそれを突き付けた。

「…………え?」

視界に入ったタンマツの画面。
そこには、分かりやすく驚いた顔をしている秋山と、その頬に口付けるナマエの姿が写っていた。
あの一瞬を弁財に撮られたのだと、遅れて気付く。
そういえばあの時、カメラアプリのシャッター音が聞こえたような気がしたことを思い出した。

「送ってやるよ」

ナマエから返されたタンマツを再び操作しながら、弁財が言う。
不完全な文章だったが、弁財が秋山にその写真を送ってくれるのだ、ということは理解出来た。
しかし、経緯と思惑が全く分からない。
秋山の当惑に気付いたナマエが、胡座を掻きながら頬を緩めた。

「こないだのアレよりはマシなツーショットでしょ」

その一言がようやく、秋山に全てを理解させる。
その途端に込み上げた喜悦を、秋山は持て余して顔を片手で覆った。
嬉しい。嬉しい。嬉しい。
それしか考えられなくなって、心が震える。

「………一生の、宝物にします……!」

本気でそう言った秋山の隣で、ナマエが笑った。





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