たかが愛だと知っていても[1]
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ナマエは、特務隊に所属する隊員たちの靴音を、ほぼ完璧に近い正確さで聞き分けることが出来た。
元々、人並み以上に優れた聴覚を有している。
その上ナマエは、特徴を掴んでそれを記憶する術に長けていた。
足音は、身体的特徴やその人の生活環境、性格などを如実に表す。
幼い頃からそれを他人に対する判断材料の一つとして活用してきたナマエは、ほぼ無意識的に、人の足音を記憶する癖があった。
百パーセントの自信を持って当てられるのは、耳にする機会が最も多い秋山だ。
反対に、身長が同じで歩き方が似ている加茂と五島については、稀に聞き間違えた。
ナマエにとっても、分かりやすい足音とそうではないものがある。
前者の中でも、特に伏見のそれは間違えようがないほどに明瞭だった。
決して煩いわけではないのだが、気怠げな、常に少し踵を引き摺るような歩き方。
その度合いで伏見の機嫌の良し悪しや体調まで察することが出来る程だった。

そしてどうやら今、ナマエのいる情報処理室に向かって廊下を歩く伏見は、そこそこ機嫌が良いらしい。
ナマエは鼓膜を揺らすそれに口元を軽く緩めながら、パソコンの文字を追った。
数秒後、部屋の扉が雑に開かれる。
振り返れば案の定、普段よりも幾分か眉間の皺を薄くした伏見が入って来るところだった。

「お疲れ様です、伏見さん」

ナマエの姿を認めた伏見が、驚いたように目を瞬かせる。

「……いつ退院した?」
「三時間くらい前ですかね」

正直に答えたナマエに対し、伏見は短く舌を打ったが、別に機嫌を損ねたわけではないことをナマエは知っていた。

「……退院おめでとーございます」

見事な棒読みに、ナマエは苦笑を零す。
礼を返せば、もう一度舌打ちをした伏見が荒々しく椅子に腰を下ろした。
二月十日、午後十時。
石盤の完全解放及びその破壊から、十日後のことである。

石盤の力が徐々に波及し、やがて全人類を一時的に異能保持者とした一連の事件は、全世界同時超多発異能関連事件群と称された。
勿論そんな仰々しい名称は精々書面上や公式な場でしか用いられず、巷では"一月の異能騒ぎ"と呼ばれている。
その異能騒ぎのクライマックスとなった日から十日後、世情は未だ定まるところを見せていないが、無数発生した異能者による暴虐の氾濫、という末世的な状景にも程遠かった。
確かに石盤の完全解放は人類の存亡に関わる未曾有の大事件ではあったのだが、幸いにして、石盤が解放から僅か数十分で破壊されたことにより、その異常事態は然程長引かなかったのだ。
全人類が特異能力を発現させたのは、時間にして約十二時間。
日付が変わる頃には、殆どの人間からその異能は失われていた。
勿論、クランズマンも含め、まだその身に能力を有している者は多く存在する。
だがその分母を世界人口とすれば、割合は限りなく微小と言ってよかった。
問題の十二時間で情報は酷く混乱し、また物的被害も頭が痛くなるほどの甚大さではあったが、それに対して人的被害は拍子抜けするほどに小さかったこともまた、幸いと言えるだろう。
当然皆無ではなかったが、少なくとも日本国内においては、既存の治安組織、医療機関が激務の範疇内で対応出来る程度に収まったのだ。
当事者たちにとってみればとんだ災厄だが、最悪のケースとして人類が滅亡する可能性もあったことを考えれば、まだましだったという表現では足りないほどの僥倖である。
国内で最も被害が多かった首都圏の街並みは、観測史上最も大きな台風の直撃を受けたかのような様相を呈しているものの、人間とは強かな生き物で、すでに復興作業が始まっていた。
一般人にとってみれば超常現象としか言いようがなかったであろう事件も、その対応における引責として総辞職した内閣も、人々にとってはさしたる問題になり得なかったというわけだ。
自分の家を、自分たちの街を、と、各々は自らの手が届く範囲の復興に努め、それらが延いては国の復興に繋がっていく。
人間は、自らが認識しているよりもずっと分別のある生き物だった。


「怪我はもういいのか?」
「はい。サーベル片手に伏見さんと追いかけっこが出来る程度には平気ですよ」
「ふざけんな、俺は御免だ」

ナマエは石盤が破壊された翌日、宗像の手によって強制的にセプター4の提携病院に押し込まれた。
石盤の完全解放から十二時間、パニックを起こした市民らの暴走や各地で起きた暴動の対応に、遊撃隊というポジションで尽力した結果、全身に大小様々な怪我を負ったのだ。
より戦況の不利な現場ばかりを転戦し続けたため、流石のナマエも最終的には出血多量で意識を失ったほどだった。
それは一時的なものではあったが、自らの状態をある程度正確に把握していたナマエは、文句も言わず抵抗もせず、大人しく病院であれやこれやと緊急手術を受けた。
術後、ナマエは一晩眠ってすぐに退院するつもりだったのだが、しかし宗像がそれを許さなかった。
全治二ヶ月という診断を受けたナマエに対し、宗像は最低でも二週間は入院するよう言い渡し、流石にそれは退屈だと反発したナマエを命令という形で丸め込んだ。
これでも譲歩しているんです、とやけに厳しく叱責され、ナマエは渋々その命令に従った。
だが生憎と然程従順ではないナマエは、その入院期間を四日程縮めてしまったのだが、すでに正式な手続きを踏んで退院してしまった以上、宗像が何か言ってくることもないだろう。
二週間も病室に缶詰めなんて、退屈すぎて逆に疲れるのだ。
幸いどこにも骨折はなかったので、完治はせずとも日常生活に支障はない。
伏見に伝えた言葉に虚偽はなかった。
むしろ、十日間も大人しくしていたのだ。
鈍った身体に感覚を取り戻させるためにも、早急に稽古が必要かもしれない。
伏見には断られたが、明日にでも誰かに、竹刀片手の追いかけっこに付き合って貰おうか。
そんなことを考えながら、ナマエは最新の報告書に目を通した。
それは各地の被害報告から新たなストレインの登録書類、政府の動向等多岐に渡る。
入院の前、ナマエが宗像の私兵として動いていた時期に前もって用意していた事後対応策は、概ね思惑通りにその効果を発揮していた。
たとえば、宗像は政府の要請を受けて室長職に復帰し、セプター4は以前と同様の権利を取り戻した。
国政における宗像の存在は、かつてよりも重要な人物として扱われている。
今後、国と対等な立場で物事を進められることは間違いなかった。
さらに、アメリカへの根回しも功を奏し、数時間前に宗像からは海外のストレイン対策について是非協議したいという要請が政府経由であったと連絡を受けている。
後日、マシューには改めて礼をしなければならないだろう。



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