貴女がいる、ただそれだけで[3]
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どこから、どうして。

窮地を救われた秋山が振り仰いだ先、夕暮れの空に一機のヘリコプターがホバリングしていた。
濃い灰色の機体に記されたセプター4の標章が、秋山の目にとまる。

「……ナマエ、さん……?」

開け放たれたキャビンスライドドア。
そこに、アサルトライフルを構えたナマエの姿があった。
ナマエが歩道橋の上にいる敵の手首を正確に狙撃した後、ヘリコプターは高度を上げてぐるりと旋回する。
それと同時に、ナマエが秋山と弁財を取り囲む敵の内側に、円を描くような弾幕を張った。
敢えて敵を直接狙わなかったことは、先程の射撃の腕前を鑑みれば明らかだ。
例え相手がこちらを殺す気でいるとしても、セプター4の隊員が民間人を殺害することはあり得なかった。
役目を終えた銃を捨てたナマエが、操縦士に何らかの指示を出すような仕草の後にヘリコプターから飛び降りる。
茜色の空に青い制服が翻り、そしてナマエは異能で作り出した力場をクッションに地面へと着地した。
十数メートル先に立つナマエの姿を、秋山も弁財も呆然と見つめる。
確かに増援の要請はしていたが、まさかこんな派手な登場で、しかもナマエが現れるとは想定の範囲外だった。
まるで掃除中に埃を払うような気軽な仕草で制服の乱れを直しながら、ナマエが秋山たちの方に歩み寄って来る。
距離が縮まるにつれ、その行動が全くの無駄であることが明らかになった。
ナマエの制服はあちこちが裂け、さらにその内の数箇所には血が滲んでいた。
手で叩いて整うような状態ではない。
見るからに満身創痍なさまを認識し、秋山は先刻自らが死にかけた時よりも余程血の気の引く思いに陥った。
しかしナマエはまるで負傷を感じさせないような足取りで秋山と弁財に近付き、二人の前まで来ると目元を柔らかく緩めた。

「よく耐えてくれた、ありがとう」

心の底からそう思ってくれたのだと分かる、沁み渡るような声音。
ナマエは並び立つ二人の間を通り過ぎざまに、秋山の右肩と弁財の左肩をそれぞれ軽く叩いた。
慌てて振り向けば、ナマエの華奢な後ろ姿。

「ミョウジ、抜刀」

先程まで銃を構えていたその手が、敢えてそれを捨ててサーベルを抜いた。
それは恐らく、セプター4の隊員として戦うという宣誓なのだろう。

「まずは屯所方面を突破する。行くよ?」

サーベルを構えたナマエが、ちらりと肩越しに秋山を振り返った。
秋山とは比べるべくもないほどに小さな背中。
だが、その凛と立つ後ろ姿と不敵な笑みを浮かべた横顔は、秋山に勝利を確信させた。
いつも、いつもそうだ。
出会ってから約五年、ナマエは何度も秋山の命を救い、そしていつだって秋山を引っ張ってくれた。
頼もしい、絶対に大丈夫だと思わせてくれる、勝利の女神。
男としては、情けない話かもしれない。
逆の立場であった方が、余程格好付くだろう。
だが仲間として、これほど誇らしいことは他になかった。

「「了解!」」

限界など、もう感じない。
体内に満ちた気力は溢れんばかりだった。
恐れるものなど、もうどこにもありはしない。
力強く応えると、正面を向きかけたナマエが肩を揺らしてもう一度振り返った。

「あんま、無茶しないでよ?」

場違いなほどあまりにも柔らかな、苦笑。
それは、秋山の肩から不必要な力を抜き取った。
ふっと自然に零れた笑み。
一つ頷けば、ナマエが口角を少し上げてから前に向き直った。
刹那、一変する空気。
研ぎ澄まされた、まるで一振りのサーベルのような気配を纏って地を蹴り駆け出したナマエの背を、秋山は力強く追った。

唐突な空からの銃撃に怯み、慌てふためいた男たちに、真正面から吶喊する。
距離さえ詰めてしまえば、近接戦闘はセプター4の十八番だった。
相手の軽傷で済むよう留意しながら、次々に敵を昏倒させていく。
自然と、秋山と弁財が正面への攻撃に徹し、ナマエがその背後を守る陣形を取った。
我に返ったらしい男たちが後方から銃弾を撃ち込んで来るが、それはもう恐れるに足りない。
秋山と弁財は、振り返る必要さえなかった。
全ての弾丸をナマエが防いでくれると、知っているから。
秋山は背後で踊るようにサーベルを捌くナマエの気配を感じながら、正面の突破に力を注いだ。
そこに、合図や言葉は必要なかった。

きっと、互いに不器用なのだ。
秋山はこれまでずっとナマエは器用な人だと思っていたし、勿論概ねそれは間違っていないのだろうが、ナマエにも不器用な一面があった。
今、共に戦ってようやく分かることがある。
秋山は、話してほしかったのだ。
ナマエに信用してほしかった。
何を考え、何を行動に移し、何を望むのか。
宗像ではなく秋山に、それを伝えてほしかった。
だが恐らく、信用の問題ではないのだろう。
ナマエは不器用な誠実さで、信念と愛情を分けてしまった。
それらは一緒で良かったのに、別個として捉え、一方を宗像に、そして一方を秋山に寄せた。
それを悪いとは言わない、その方法を否定もしない。
ただいつか、全てを秋山に預けてほしいと願うばかりだ。

君に負けたと、宗像は言った。
その理由や真意を秋山はまだ知らないが、少なくとも、その発言から導き出される結果だけは理解している。
つまり宗像はもう、ナマエに手を出す気はないのだろう。
元々宗像にとっては秋山など敵になり得る存在ですらなかったはずなのになぜか同じ土俵に上がって戦い、そしてなぜか宗像は身を引いた。
世界広しといえども、宗像の恋敵を演じた男は秋山を除いて他にいないだろう。
ましてや、その宗像が負けを認めるなんて。
恋愛が勝ち負けで決まるとは思わない。
一概に、選ばれた方が勝ちでそうでなかった方が負けと言えるわけでもないだろう。
だが宗像は、ナマエに相応であるのはどちらかという点において、天秤が傾いたのは秋山の方だと納得した様子だった。
当の本人である秋山に、その自信は全くないというのに。
だからあんなにも嫉妬し、憤慨し、そして絶望したのだ。
暴力など嫌いな秋山が許されるならば殴ってしまいたいと思うほどに、無意識下でサーベルに手を伸ばすほどに、宗像を憎んだ。
だがあのような、まるで憑き物が落ちたかのごとき柔らかな笑みを浮かべられては、手が出せるはずもなかった。
淡島に殴られて腫れた頬を見て、溜飲を下げたというのも正直なところである。
きっと宗像も秋山と同様、彼に出来る精一杯の恋をしたのだろう。
そこに、様々な思惑は複雑に絡み合っていたかもしれない。
利害、責務、大義、多くのことを加味した上で選択した行動もあっただろう。
だがきっと、根本は秋山と同じ、ナマエへの恋慕だった。
立場を利用して人の恋人に迫り手を出した宗像を、恨み責める気持ちがないとは言えない。
それでも秋山は、私人としての宗像礼司を嫌いにはなれなかった。

宗像がもう手を出さないと言うのであれば、後は秋山とナマエとの問題だ。
秋山は先月、人として許されないことをしてしまった。
それ以降、二人で纏まった会話をしたことは殆どない。
気にするなと慰めてくれたナマエの言葉を真に受けるつもりは毛頭なかった。
許されるとは思っていないし、そもそも、許されたいと願うことすら烏滸がましいと分かっている。
傷付けた、裏切った、これまで二人で積み重ねてきたものを壊してしまった。
でも、それでも、この手だけは離せない。
我儘でも傲慢でも、それだけは譲れなかった。

「正面、突破します!」
「お見事。手薄な右方向に展開、今度はこっちが包囲する」

背後から聞こえたナマエの指示に諾と応え、秋山は戦場を駆ける。
許されるならば一秒でも早く、その身体を抱き締めたかった。





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