最大幸福数[2]
bookmark


秋山のそれよりも温度の低い唇を温めるかのように、何度もキスを繰り返した。
柔らかく食み、啄み、甘噛みし、舌でなぞる。
僅かに顔を離して視線を落とせば先程までよりも明らかに赤く染まった唇が目に入るようになってから、秋山はようやく舌でナマエの歯列を割った。
互いの舌と唾液が絡まって、静寂の中に唯一の音を奏でる。
さらに舌を押し込んでナマエの上顎や歯列の裏を刺激すれば、そこに甘やかな声が交じった。
鼻から抜ける気持ち良さそうな音が、秋山の興奮を煽る。
腰が徐々に重くなり、確認せずとも下肢がすっかり熱く反応しているのは明らかだった。
口付けだけでは物足りなくなり、秋山はナマエの後頭部に添えていた手を背中に滑らせる。
ブラウスの上から背骨に沿って手を這わせ、やがて辿り着いた腰を包み込むように撫でた。
秋山の手が大きいのか、それともナマエの腰が細いのか。
何度も何度も抱いた身体は、まるで秋山に合わせて設えられたかのようにしっくりと馴染む。
触覚さえ残されていれば、仮に五感の他全てを失ったとしても秋山がナマエを間違えることはないだろう。
そう思えるほどに触れ慣れた身体、それなのに決して飽きることはないのだから不思議だった。
回数を重ねていく毎に馴染んだ安堵感は強くなる。
同時に、抱く情欲も弥増していく。
際限なく膨れ上がるこの愛欲に、果たして終着点はあるのだろうか。
少なくとも今は、到底見つけられそうになかった。
それよりもこの瞬間に大事なのは、直接その柔肌に触れることである。
秋山はナマエのスラックスからブラウスの裾を引っ張り出し、その間に右手を滑り込ませた。

「馬鹿、ここじゃだめ、ーー 氷杜」

指先がナマエの肌に触れた途端、それまで黙って秋山の行為を受け入れてくれていたナマエが制止の声を上げる。
秋山の手が、本能的な欲求とは裏腹にぴたりと硬直した。

「え……、あ、」

ナマエの首筋に埋めていた顔を上げてようやく、秋山はここが自身と弁財の相部屋であることを思い出す。
さらに言えば老朽化した青雲寮、壁の薄さはよくよく理解していた。
つまりナマエの指摘は尤もで、風紀的にも倫理的にも、セックスをするに適した環境ではない。

「……卑怯ですよ、ナマエさん」

そう、正しいのだ。
ナマエは正しい。
だがそれなら、ただやめろと言ってくれれば良かった。
最後に余計な一言を付ける必要はなかったはずだ。

「なら、なんで呼ぶんですか」

秋山は、昂った腰の熱をスラックス越しにナマエの太腿へと押し付けて呻く。
ここでは駄目だということはつまり、いつも通りナマエの部屋であれば良いということだろう。
だが、ここまで煽っておいてお預けを食らわせるのは些か意地が悪すぎやしないだろうか。
元はと言えば、秋山が自室にいるにも関わらずキスを仕掛けたことがそもそもの間違いなので、これはただの責任転嫁なのだが、熱に浮かされた秋山の脳はすでに理性的な思考を放棄していた。
熱い呼気をナマエの耳元に零して、秋山は強請るように腰を揺らす。

「俺、そんなに利口な犬じゃありませんよ」

この状況で待てが出来るほど、ナマエに対して禁欲的ではない。
髪の隙間から覗く薄い耳殻を舌先で擽りながら、秋山は乞うた。

「ね、はやく。弁財なら、あと二時間半は戻って来ませんよ。隣の加茂と道明寺も同じシフトです」

だから今すぐ繋がりたいと、秋山はナマエの牙城を崩しに掛かる。
秋山は、ナマエが理性的な人間であることを知っていた。
然程性欲が強くないことも、我慢強いことも、勿論理解している。
だが同時に、ナマエが秋山のみっともないお強請りには甘いことにも、気付いてしまっていた。
よく、周囲からナマエの忠犬やら飼い犬やらに喩えられる秋山の、ペットとしての特権だ。
案の定、数秒の時間差で鼓膜を揺らしたのはナマエの短い嘆息だった。

「しょうがないなあ」
「貴女のせいですって」

互いに責任を相手に押し付け合って、もう一度唇を重ねる。
ブラウスの下に忍び込ませた手で背中を弄っても、もうナマエに叱られることはなかった。
合意を得てしまえば、後は欲望のまま先に進むだけである。
状況的にも、あまり時間を掛けすぎるわけにはいかなかった。
しかしながら秋山にとってナマエとのセックスは、どんな場面においても決して繋がることが出来れば良いというものではない。
我儘を言うこともあるし、無理を強いることもある。
だがそれでも行為そのものがナマエの苦痛になることだけは、絶対にあってはならなかった。
だからこそ秋山は慎重かつ丁寧に、時間を掛けてナマエの身体を溶かし、準備を整える。
手の甲を口元に押し付け、必死で嬌声を抑えんと耐えながらも感じ入るナマエの様子は、見ているだけで射精出来そうなほどにいやらしくて愛おしかった。

「上、でする?」
「あぁ……どうしましょうね。音、煩いかな」

そろそろ挿入という段階になって、ナマエが素朴な疑問に首を傾げる。
それまでは床の上で互いを高め合っていたが、流石にこのまま床に押し倒して行為に及べばナマエが背中を痛めるのは確実だろう。
腰への負担も大きくなってしまうかもしれない。
ブラウス一枚を羽織っただけのしどけない格好で立ち上がったナマエに倣い、秋山も腰を上げた。
秋山のベッドは上段だ。
言うまでもなくそこで繋がったことはないが、秋山一人が寝転ぶだけでその拍子に軋む二段ベッドがセックスの律動に耐えてくれるとは考えにくい。
ナマエも同じことを思ったのだろう。
秋山の意見を伺うような目を向けられ、絡んだ視線に秋山は息を呑んだ。
瞳は情欲に濡れ、頬は僅かに上気し、そして赤く染まった唇は艶やかに潤んでいる。
ブラウスは前ボタンを秋山が全て外してしまったせいで、頼りなくナマエの肩を包むだけだった。
ホックが外れ、引っ掛かっているだけとなった黒い光沢のある下着とのコントラストがいやらしい。
秋山は一歩ナマエに近付いてその身体を抱き寄せると、華奢な肩からブラウスと下着を落とした。
素肌が触れ合い、常よりも速い鼓動が重なる。
秋山はナマエの蟀谷にキスを一つ落としてから、そっとナマエの身体を反転させてベッドの支柱の前に誘導した。
即座に秋山の意図を汲み取ってくれたらしいナマエが、小さく笑う。

「珍しいね?」

正確に言うと、二人の間では初めてだった。

「駄目、ですか?」
「んーん、いいよ。来て、」

支柱に両手を添えて身体を支えたナマエが、僅かに上体を倒し、臀部を秋山に差し出す形で肩越しに振り返る。
秋山は、自ら提案しておいて、いざ目の前に晒された痴態に眩暈を起こしかけた。
上体を反らすことによって常よりくっきりと浮き出た肩甲骨と、真っ白な背中に散る僅かに乱れた黒髪、そして突き出された形の良い尻と、そこからすらりと伸びる綺麗な脚。
扇情的な光景は秋山の昂りを限界まで怒張させるに充分な威力を孕んでいた。
これまで秋山はナマエと正常位だったり騎乗位だったり、真正面から顔を見られる体位でしか繋がったことがない。
こんな風に後背位で行為に及ぼうとするのは初めてだった。
興奮で明らさまに震える左手を支柱に押し当てる形でナマエの身体に覆い被さり、誘うように薄く開いたナマエの唇に噛み付くようなキスを仕掛ける。
ナマエにとってはつらい体勢だろうに、健気にも必死で応えてくれる口付けは激しさを増すばかりだった。
飲み込みきれなかった互いの唾液が、重力に従って顎を伝い床に落ちる。
空いた右手をナマエの身体に回して膨らみを揉みしだけば、唇の隙間からあえかな嬌声が漏れ聞こえた。
堪らなくなって、胸の尖りを指先で弄りながら、柔らかな尻の間に屹立を押し付ける。

「ん、ァ……っ、あ、ひもり、ぃ……っ」
「は……ッ、ぁ……ナマエさ……っ」

我慢など、出来た時間は無きに等しかった。
上体を起こし、ナマエの腰を両手で掴み直して熱を当てがう。
誘うように震える白い尻臀を赤黒く怒張した欲望が割り開く様は、あまりに卑猥だった。

「挿れて、大丈夫ですか?」
「ん、んっ、いい、いいからぁっ」

必死で首肯するナマエの姿に最後の理性も呆気なく奪われ、秋山は常よりも性急にナマエの中へと侵入を果たす。

「ひ、あっ、ぁぁぁああッ」
「ぐ……っ、ぅ……!」

互いの咽喉が、堪えきれなかった快感に震えた。
体位が変われば、擦れて刺激される箇所も僅かに変わる。
普段とは異なる締まり方に、痺れるような奔流が秋山の腰から背骨に沿って這い上がった。
ナマエの中が秋山の形に馴染むまで待ってあげるべきだと分かっているのに、あまりの気持ち良さに思考回路が焼き切れて腰が止まらない。
即座に律動を開始すれば、悲鳴のような喘ぎ声が空気を揺らした。
ナマエが慌てて片手を支柱から離し、自らの唇に押し付ける。
いくら隣室が不在とはいえ、全体的に壁の薄い老朽化した男子寮だ、部屋の前の廊下を誰かが通れば嬌声を聞かれてもおかしくはなかった。
つまりナマエの自制は必要なものであり、秋山もそこに協力するべきなのは理解している。
だが、必死で声を抑えながらも感じてしまうナマエの姿があまりに愛おしくて、秋山は協力どころか手加減すら出来ずに奥を穿った。
粘着質な水音と、肌のぶつかり合う音が空気を割く。

「まっ、て、ーー まって、ひもり、だめ……っ」
「ーーっ、は、すみま、せん、止まれない……!」

まるで獣のようだった。
雌の上から覆い被さってマウントしがむしゃらに腰を振る雄と、雄の下でされるがままに喘ぐ雌。
秋山は律動を続けながら上体を屈め、しっとりと汗ばんだ白い背中に唇を押し付けた。
何度も位置を変え、時に舌で舐めながらキスを繰り返す。
翼のような肩甲骨は見事に左右対称で、ナマエの身体がいかに綺麗なバランスで成り立っているのかを如実に表していた。
この部位を、天使の羽と称したのは一体誰だったか。
ナマエに飛んでいかれては困ると、そんな非科学的なことを頭の片隅で感じながら、秋山はその翼をもぐべく肩甲骨に歯を立てた。
微かな痛みはそれすらも快楽に変換されたようで、ナマエの腰が跳ね、熱い中が別の生き物のように畝る。
何を仕掛けても全て自身に跳ね返されるのはいつものことで、秋山はナマエの背後で奥歯を食い縛った。




prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -