だってずっと欲しかった[2]
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外側から鍵が閉められる音を最後に、部屋が静寂に包まれる。
淫靡な気配だけが、空間を満たした。
一人きりになってようやく、自身の呼吸が乱れていることに気付く。
下肢に視線を落とせば、全く萎えることのない昂りが相変わらず先端から先走りを零していた。

こんな放置プレイが他にあるだろうか。

まさに、寸前だったのだ。
後は避妊具を被せ、中に埋め込むだけだった。
もう少しで快楽を得られるはずだったのに、予定は一瞬で覆された。
期待した分、直前で奪われた喪失感は計り知れない。
待ての出来ない犬よろしく擦り付けたせいで、中途半端な刺激はさらなる渇望を生み出した。
思惟が浅ましい欲望だけで埋め尽くされる。
ナマエの中に突き立て、熱い内壁に包まれたい。
この熱を擦って、刺激して、欲望を吐き出したい。
想像するだけで、腰がもどかしさに揺れた。

出したい。いきたい。

それしか考えられなくなる。
しかし秋山は必死で淫欲から意識を逸らした。
ナマエを想って自身を慰めた回数は、正直数え切れないほどにある。
最近では性欲の全てをナマエに受け止めてもらっているためしなくなったが、以前は何度も勝手に想像したナマエの痴態を脳裏に浮かべて欲望を吐き出していた。
しかし、それは常に罪悪感との戦いだった。
秋山にとってナマエは、男の下劣な欲望で穢していい相手ではなかったのだ。

素数を数えてみたり、伏見の怒声を思い出してみたり、弁財の呆れ顔を思い浮かべてみたりと、秋山はあの手この手で気を紛らわせようとした。
恐らく、十分近くは本能と理性が鬩ぎ合っただろう。
しかしナマエの部屋の匂いと残された淫靡な気配は秋山の本能に加担するばかりで、なかなか振り払うことが出来ない。
抗い難い淫欲に苛まれ、秋山は髪をぐしゃりと掻き乱した。
激しく扱いて、溜まったものを吐き出してしまいたい。
決定打となったのは、何気なく巡らせた視線が捉えた枕元のTシャツだった。
一時間前にナマエが脱ぎ捨てたものだ。
蠱惑的な所作でシャツを脱ぐナマエの姿を思い出した瞬間、天秤は大きく傾いた。
なけなしの理性を遂に失った秋山は、背中からベッドに倒れ込む。
左手でナマエのシャツを掴み、鼻頭に寄せればナマエの匂いが鼻腔をいっぱいに満たした。
それだけで、腰から首筋に掛けてぞくりと震えが走る。
秋山は右手を下肢に下ろし、天を向いてそそり立つ欲望に指を絡ませた。
ようやく与えられた刺激に、熱芯が脈打つ。

「……ぁ、………は……っ、」

秋山はナマエのシャツを顔に押し付け、夢中になって昂りを扱き始めた。
加減など出来ようはずもなかった。
ナマエの匂いに満ちた空間で、ナマエのベッドで、ナマエのシャツに顔を埋めているという背徳感。
数分前までのナマエの痴態を脳裏に浮かべ、ナマエの嬌声を思い出し、ナマエが仕事をしているのに自分は行為の続きをしているという罪悪感。
それらは纏めて興奮を煽る材料になった。

「……ふ、ぁ……っ、ナマエさ……っ、」

今夜は施されていないが、時々してもらえるナマエの口淫を思い出す。
秋山の下肢に顔を埋め、赤い舌で焦らすように昂りを舐めてくれる。
もどかしさに打ち震える秋山を嗤うように目を細め、舌先で先端を抉る。

「……ぁ、ーーっ、ン……、ナマエさ、ぁ……ん、」

時間を掛けて丹念に、余すところなく全体を舐めてから、ナマエはようやく秋山の熱芯を咥内に収める。
それも、じわじわと少しずつ、焦らすように。
まるで挿入を彷彿とさせるような動きで、窄めた唇が欲望を咥え込む。
まさか秋山がナマエの喉の奥を目掛けて腰を突き出せるはずもなく、されるがまま、気の遠くなりそうなもどかしさに耐えるのだ。

「……ひ、ぁ……っ、ナマエさん……っ、も、っと……っ」

限界まで、ナマエの小さな口が秋山を包み込む。
入りきらない部分に指を添え、ゆったりと扱いていく。
的確に裏筋を辿る舌先のせいで、欲望が暴れ回る。

「……ぅ……あ……っ、……は、………っ」

秋山は自らの手をナマエに見立て、必死になって昂りを擦った。
先走りのせいで、聞くに堪えない水音が聴覚を犯す。
いかに下劣で情けないことをしているのか、それは充分に理解していた。
恋人が夜中に緊急で呼び出されトラブルの対応に当たっている中、一人で欲望を慰めているのだ。
どう考えても最低である。
だが、我慢出来なかったのだ。
長い時間を掛けてようやく辿り着いた楽園の門を、すぐ目の前で閉ざされた旅人のように。
散々に煽られ、惑乱され、その結果が放置なんて耐えられなかった。
先に寝ていていい、なんて優しい言葉を掛けられたが、生殺しも同然の仕打ちである。
もちろんナマエに罪はないが、まさか限界まで膨れ上がった欲望をそのままに眠れるはずもない。
少なくとも一度吐き出さなければ、痛くて下着すら穿けなかった。
時宜を得ない男だと、日高を呪ってみても埒が明かない。
対応にどれほど時間が掛かるか読めないこの現状で、ナマエの帰りを大人しく待つなんて選択肢はなかった。

だらしなく脚を広げ、爪先に不必要な力を入れて、秋山は自身の興奮を高めていく。
張り詰めた熱芯は哀れにも涙を零し、埋まる場所を希求していた。
生憎、自分の手ではナマエには全く敵わない。
しかし、ナマエのシャツから漂う甘い匂いと確かな刺激は、確実に秋山を追い詰めていった。

「……ぅ……っ、ン……、ナマエさ、……っ」

ここにはいない人を求め、声帯が勝手に名を呼ぶ。
荒い呼吸を繰り返しながら、必死で昂りを扱いた。
熱く硬く勃ち上がった欲望を握り込んで上下に擦り、弱いと自覚している部分に爪の先を当てる。
その弱点を、ナマエも知っていた。
そこばかりを狙ってくることもあれば、わざとそこだけを外すこともある。
ナマエの口淫はいつも少しだけ意地悪だった。

「ーーっ、ナマエさぁ……っ、ん、」

思い出すだけで、腰の奥深くに電流が走る。
快感が背筋を這い上がり、頸椎の裏を悪戯に撫でた。
自身がいかにナマエという存在に耽溺しているのかを痛感させられる。
欲しくて欲しくて堪らなかった。
仕事とは言え最中に電話を掛けてきた日高を怨み、今一緒にいるであろう情報課の課員たちに嫉妬する。
もちろんナマエは部屋で何をしていたのかなんて微塵も悟らせないだろうが、快楽の残滓を身体に残したまま他の男に会っているのかと思うとそれだけで気が狂いそうだった。

「ナマエさ……っ、ぁ、……ぅ……ン……っ」

ひもり、と。
甘く淫蕩な声を脳内で再生する。
匂いだけではなく、想像だけではなく、本物に触れたかった。
最奥を穿ち、滅茶苦茶に乱したかった。
その身体を抱き締めて、共に果てたかった。

「……もっと……っ、ね、……ナマエさん……っ」

善がって啼くナマエを想像する。
限界が近かった。
内腿が震え、絶頂の予感に腰が揺れる。
呼吸すら儘ならないほどシャツを顔に押し付け、昂りを激しく扱いた。
最後に先端を爪の先で抉れば、迫り上がった欲望がついに噴き上がる。

「ーーーっ」

喉の奥で低く呻くと同時に、腰が跳ねた。
一瞬の後、腹の上に白濁が散る。
秋山は詰めていた呼気を荒く吐き出し、絶頂の余韻に身体を弛緩させた。
手から力が抜け、シャツがシーツに落ちる。
熱を孕んだ呼吸を繰り返しながら、秋山はゆっくりと瞼を下ろした。

達した後に迫り来るのは、圧倒的な自己嫌悪だ。
なぜ我慢出来なかったのか。
なぜこんなことをしてしまったのか。
始める前は淫欲に支配されていた脳が正常な機能を取り戻した途端、罪悪感に苛まれる。
秋山は緩慢な動作でベッドボードに手を伸ばし、ティッシュを数枚抜き取った。
シーツに零れないよう、慎重に腹部を拭う。
呆れ返るには充分な量だった。

「……すみません……」

思わず、謝罪が口をついて出る。
秋山は大きく溜息を吐き出し、ぼんやりと天井を見上げた。
まさかナマエの部屋でしてしまったなんて、絶対に白状出来ない。
最低だ、と胸の内で毒付いた。

その時だ。

「まあ、別に謝る必要はないんじゃない?」

唐突に、聞こえるはずのない、絶対に今この状況で聞こえてはいけない声が鼓膜を揺らし、秋山は硬直した。
幻聴かと思ったが、あまりにもリアルな音。
秋山は油の切れたブリキ人形のごとく、ぎこちない動きで首を捻った。
お願いだから聞き間違いであってくれ、と切実に祈りながら振り向いた先の、部屋の入り口付近。
壁に寄り掛かって腕を組んだ制服姿のナマエが、苦笑を浮かべながら秋山を見ていた。
幻聴でも幻覚でもない。
その瞬間、頭が真っ白に染まり、全身から血の気が引いた。

なんで、いつから、どうして。

パニックに陥った秋山を知ってか知らずか、ナマエが視線を逸らすことなく真っ直ぐに見つめてくる。
秋山はようやく、自分がどのような醜態をナマエに晒しているのかということに気付き、慌てて跳ね起きた。
即座に作った体勢は、もちろん正座である。
それを見て、ナマエがくすりと喉を鳴らした。

ああ、今すぐに消えてなくなりたい。

秋山は深く項垂れ、羞恥と恐怖と後悔に打ち震えながら断罪を待った。





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