甘ったるい沖融[2]玄関でその顔を見た時から、違和感はあった。
秋山氷杜という人間は、身も蓋もない言い方をすれば酷く面倒臭い。
過敏で傷付きやすいのに、その感情を押し殺そうとする傾向が強い。
多感なくせにそれを素直に表現出来ない臆病な秋山は、端から見るととても生きづらそうだった。
物分かりのいい、人に不満や苛立ちをぶつけない、何があっても大抵のことは苦笑で流してしまう秋山。
確かにそれは、一つの美点だろう。
組織でもそういう性質の人間は重宝されるし、実際秋山の存在は特務隊の中でも貴重だ。
たとえば秋山がナマエのように、感情を特に意識することのない人間ならば、ナマエとて何も気にしなかった。
だが秋山は、表面上はナマエと似ているようで実は正反対の性質を持っている。
秋山はナマエとは異なり感情の起伏に富んでいるのに、それを殺して呑み込んで、笑みで誤魔化してしまうのだ。
だからこそ、ナマエが絡んだ場合にのみ感情が露になる秋山の瞋恚や号泣を、ナマエは時折呆れこそすれ甘んじて受け入れる。
そうやってたまには感情を爆発させておかないと、我慢のしすぎは身体に毒だった。
ナマエの前で作り笑顔を浮かべるということは即ち、今日の秋山の憂悶はナマエに関係のない事柄なのだろう。
今朝はいつも通りの様子だったから、仕事中に何かがあったということか。
出動はなかったと聞いているが、情報室でトラブルでもあったのかもしれない。
無理に聞き出すつもりは全くなかった。
ナマエが命じれば秋山は答えるかもしれないが、本人の意思を無視して話を聞き出しても意味はない。
ナマエは事実を書面のように報告してほしいのではなく、そこに付随する感情を知りたかった。
そのためには、本人が吐露したいと自主的に口を開かなければならない。
そして秋山が何も言わないのであれば、それは隠したいという本心だ。
それもまた、ナマエにとっては一つの答えだった。
量の多い髪をタオルで掻き混ぜながら、水分を拭っていく。
甘やかしている自覚はあった。
秋山がそれに戸惑っていることも理解していた。
普段は秋山がナマエを蕩けるように甘やかしてくれるのだ。
たまにはその逆があってもいいと思った。
「……ナマエさん、」
タオルドライが粗方終わり、そろそろドライヤーを取りに行こうかと考えていると、不意に秋山が呟くように名前を呼んだ。
「ん?なに?」
もうしばらくこのままでいようと、ナマエは深翠の毛先をタオルで挟み込む。
どうやら話を聞いて欲しい気分になったらしいと、少し俯き気味な秋山の後頭部を見ながら続きを待った。
「……今日の昼、特務の何人かで食堂に行ったんです」
「うん」
仕事中ではなく休憩中の話なのか、とナマエは内心で首を捻る。
てっきり、情報室で伏見が心を抉る痛烈な悪態でも吐いたのかと思っていたが、そういうことではないらしい。
「その時に道明寺に、………もう少し大人になれって言われて、」
「…………は、ぁ………?」
ナマエは思わずタオルを動かす手を止めた。
特務隊最年少の道明寺が、よりによって秋山を相手にそれを言ったのか。
「……まあ、新鮮なシチュエーションだね?」
どういった話の流れでそうなったのかナマエの知るところではないが、何にせよ苦笑を禁じ得ない。
その発言をした道明寺は、良くも悪くも子どもだった。
空気を読まず、思ったことをそのまま口にする。
だが、通常は年齢を重ねるにつれて失われていく純然たる好奇心や澄んだ目線を持ったままでいる。
裏表がなく明け透けで、穿った見方をしない純粋な子ども。
「……俺って、そんなに大人気ないでしょうか……」
まず起こった出来事に驚いていたナマエは、頼りなさげな声で続けられた秋山の問いに危うく噴き出すところだった。
嘘でしょ、と内心で独り言ちる。
「まさか、さっきからそれを気にして落ち込んでるの?」
元気がないのも、どこか無理をして笑うのも、ふとした拍子に上の空なのも、全ての原因は道明寺の発言だというのか。
「……あ、はは……やっぱりばれてましたか」
少し心配して損をした、と言ったら真剣に悩んでいるらしい秋山に悪いかもしれないが、ナマエはこっそりと溜息を吐き出した。
「うんまあ、何を気にするかは人それぞれだけどさ。大人気ないって……いや、まあ……うん、」
そういう面も、ないとは言えないだろう。
しかしそれはナマエや弁財といった距離感の近い相手にだけ晒される本性であり、職場での秋山は充分に大人の仮面を被れているように思う。
上官に叱責されたならともかく、同僚の指摘程度ならば聞き流してしまえばいいのに。
こういう時、秋山の過敏さを実感する。
そんな細かいこと気にしてたら持てないよ、と茶化しかけ、余計に秋山を刺激するのは得策ではないと口を噤んだ。
持てなくてもいいですけどナマエさんに嫌われたら云々、という泣き言が返ってくるのは火を見るよりも明らかだ。
目に見えている地雷をわざわざ踏むこともないだろう。
「私の私見でいいなら、大人っていうのは当為だと思うけどね」
「……当為、ですか?」
こうなったらとことん相談に乗ろうと、ナマエはタオルを弄びながら言葉を続ける。
「大人の定義ってのは人それぞれでしょ。それを理想として努力するのがいいんじゃないの」
秋山は暫く黙り込んでいた。
きっとそこに、秋山なりの解釈があるのだろう。
やがて小さく頷いた頭を背後からぽんと撫で、ナマエは苦笑した。
「まあ、私にとって君は充分にオトナだと思うよ」
「そう、ですか……?」
ナマエが含めた意味に気付いていないらしく、秋山が振り返る。
期待と不安を覗かせる瞳に、ナマエはあからさまな言葉を付け足した。
「そんな変態なコドモはいないでしょうよ」
一拍置いて、秋山の顔が真っ赤に染まる。
「あ」だの「う」だの漏らす秋山を見下ろしながら、ナマエはタオルを床に放り投げた。
「それじゃ、落ち込んでる氷杜君を慰めてあげよっかね」
「ーーっ、ナマエさん……っ!」
わざとらしく唇を舐めて見せれば、秋山が慌てふためく。
咄嗟に立ち上がりかけた秋山の肩に手を置いて動きを阻み、上体を屈めて耳元に唇を寄せた。
真っ赤な耳殻をぺろりと舐める。
それだけで身体を震わす秋山にひっそりと笑いながら、そっと息を吹き込んだ。
「ひぁ……っ」
上擦った声が聞こえる。
くすりと喉が鳴る。
「慰め方のご希望は?」
耳朶を食みながら問うても、きつく目を瞑った秋山から答えは返ってこなかった。
しかし、そこにあるのが羞恥だけではないことをナマエは知っている。
下肢に息衝く興奮の形を見下ろしながら、ナマエは焦らすように首筋を撫でた。
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