君よずっと幸せに[3]
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「早かったねえ、秋山。定時ぴったりじゃ、」

玄関まで出迎えに来てくれたナマエの言葉を聞き届ける前に、秋山はその痩躯を思い切り抱き締めた。
否、縋り付いた、と表現した方が正しいだろう。
体当たりにも近い状態で体重を掛けたため、ナマエが若干よろめいた。
何とか持ち堪えてくれたナマエの肩に額を押し付け、秋山は深く息を吸い込む。
嗅ぎ慣れたナマエの匂いを肺まで取り込み、ようやくまともに呼吸が出来る実感を得た。

「秋山?」

帰って来て早々に唐突な抱擁を求めた秋山を、ナマエが訝しむ。
しかし秋山は返す言葉を見つけられず、ナマエに縋る手に一層力を込めた。
事情の確認を早々に諦めてくれたナマエが、秋山の背を抱き返してくれる。
制服越しに感じる華奢な腕に包まれ、秋山は胸の奥が詰まるような感覚に唇を噛み締めた。

ミョウジ君も、君のことが好きなのでしょうか。

宗像の、弦楽器のような低音が頭の中で静かに響く。
先刻秋山はその問いに、そうであれば嬉しい、と答えた。
ナマエが秋山のことを好いているか否か、答えは前者のはずだ。
ナマエの言葉を信じるならば、宗像の問いに対する回答は肯定だったのだ。
あの時頷けなかったのは、それが宗像の前だったからだ。
同じ女性に好意を抱く上官の前だったから、秋山は遠慮や自制が先に立って肯定出来なかった。

その、はずだ。

「……ナマエさん……」
「ん?」

信じている。
この人のことを、俺は信じている。

それなのに、掻き乱される。
宗像の言葉に、見せ付けられる余裕に、己の知らないところで蠢く思惑があるのではないかと、疑念が生まれてしまう。

「……嫌なことを、聞いてもいいですか……」
「は?……なに?」

腕の中、怪訝そうな声で促され、秋山は一歩離れたら聞き取れないほど小さな声でナマエに訊ねた。

「……おれのことが、好きですか?」

室長よりも、とは言えなかった。
それを口にしたら取り返しがつかなくなりそうで、秋山は胸の内に仕舞い込む。

「なに、どしたの」

案の定、ナマエは秋山の唐突な問いに答えるよりも前に秋山の挙動に感じた違和感の方を追及してきた。

「……いえ、……なんでも、」
「なくはないでしょうが」

誤魔化せない。
だが、事情を説明することも出来ない。
信じると言ったのは、秋山自身なのだ。
今後一切、ナマエの方から何かを言われない限りは宗像とのことを問い質さないと決めていた。

「本当に、なんでもないんです……。ただ、聞きたかった、だけですから」

無理のある弁解だ。
ナマエは、こんな拙い言い訳を見逃してくれる人ではない。
それ以上何と言えばいいのか分からず、秋山はナマエに縋り付いたまま口を閉ざした。

「秋山ぁ。人に聞く前に自分で考えたことを説明しろって、君がいつも日高に言って………って、うん、まあいいや」

日高が書類を抱えて泣き付いてくる度に秋山が口にする台詞を引き合いに出したナマエが、途中で言葉を切る。

「君が好きだよ、秋山」

事情も、理由も、把握しないまま。
何も分からない状態で、秋山が強請ったものを無条件に差し出してくれた。
秋山がゆっくりと腕の力を緩めれば、ナマエの苦笑が目に入る。
その、いつもと変わらない笑みに、涙が零れそうになった。

「ありがとう、ございます……っ。それが、聞きたかったんです」
「それが、って。そんなに珍しくもないでしょうが」

ナマエが愛の言葉をくれることは、そう多くない。
だがナマエの指摘通り、珍しいというほど少ないわけでもなかった。
つい先日も、初めて「愛している」という言葉を貰ったばかりだ。

「で?本当はどしたの?」

秋山の要求を叶えたナマエが、次こそはと事情説明を求めてくる。
秋山は返答に窮し、視線を逸らした。

「………室長?」
「ーーっ」

単語一つ、静かに落とされて息を呑む。
まさかそれをナマエが見落とすはずもなかった。
はあ、と小さな溜息が漏らされ、秋山は咄嗟に俯く。

「上二人休みで、官邸への護衛、秋山だったんでしょ」

宗像も然ることながら、ナマエの慧眼もまた群を抜いているのだということを失念していた。

「すみま、せ……っ、ごめんなさい……っ」

言ってしまった。
正確にはナマエから指摘されたのだが、しかし宗像とのことを意識しているという根本的な事実に変わりはない。

「何か謝らなきゃなんないことしたわけ?」
「……貴女の言葉を信じると、言いました。それを、覆したわけではないんです。ただ、」
「ただ?」
「こわく、て………貴女を、奪われてしまいそうで、」

ブーツの爪先に視線を縫い付けたまま、震える声で心情を吐露する。

「俺では、あの方には絶対に、敵わないのに……」

何を取り上げて比較しても、敵う要素など一つもないのだ。
外見から人徳、智力、器の大きさ、学歴、社会的地位に至るまで、何一つ。
宗像に優るものなど、何も持っていない。
干渉をするだけでなく本気で敵対されたら、秋山に対抗する術などない。

「そうでもないと思うけどねえ」
「………え?」

間延びした声で、秋山の暗澹たる思考を遮った否定。
思わず顔を上げれば、視線が真っ直ぐにぶつかった。

「秋山はさ、誰にとっての、室長に敵う人間になりたいの?」
「誰に、とって……?」
「世間一般にとって?それなら、まあ秋山だけじゃなくてこの世のほぼ全ての人間にとって無理な話だろうね」

でもさ、とナマエが苦笑する。

「私にとっては、秋山は室長に敵う男なんだけど?」
「……え………?」

呆然と立ち尽くす秋山の前で、ナマエが順に指を折った。

「私にとっては秋山の方が性格いいし、秋山の方が話し方も好きだし、居心地もいいし、私のことを良く知ってるのも、室長じゃなくて秋山だし」

薬指までを折り曲げて小指一本を立てたナマエが、最後に付け足す。

「そもそも、私は室長じゃなくて秋山が好きなんだけど」

小指までを握ったナマエが、その拳を秋山の胸元に押し当てた。

「他の誰が何を言っても、私は君がいい。そう言うのがもし私一人だったとしても、君がいい。……それだけじゃ不満?」

そこに、秋山が希った以上のものがある。
ナマエがそれを、何の躊躇もなく秋山に差し出してくれる。

「いえ……っ、いいえ……っ。不満だなんて、そんなこと……!俺は……っ、俺には、それだけで、」

視界が滲む。
頬を涙が伝っていく。

「それだけがあれば、他にはもう何も……っ」

世間一般の評価など、必要ない。
宗像にも、セプター4の隊員にも、誰にも認められなくていい。
ただ、ナマエだけが宗像よりも秋山を好きだと言ってくれるならば、それだけで良かった。
それだけが欲しかった。

「なら、何も問題はないよね?」

ナマエが、何の衒いもなく笑う。
秋山は泣きながら、必死で何度も頷いた。

「ん。じゃあとりあえず、おかえり」

両肩に置かれた手。
僅かに背伸びをしたナマエが、秋山の唇を奪った。



きっと、宗像の目に映る世界を知る日は来ないだろう。
だが秋山にも、秋山だけの知る世界があった。
それだけで、他には何もいらなかった。






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