同じ時を歩んで行こう[5]
bookmark


その夜、ナマエの部屋のドアが開かれることはなかった。
何時間廊下に立っていたのか、秋山は正直分かっていない。
残業を終えて寮に戻って来た淡島に声を掛けられ、秋山は適当に誤魔化してようやくその場から立ち去った。
ナマエから、淡島に二人の関係を説明したことは聞いていたし、その際に批難や反対を受けなかったことも知っているが、淡島は風紀に厳しい人だ。
目に余るような行動を取れば、ナマエにも迷惑が掛かるだろう。
秋山は自室に戻り、ベッドに潜り込んで夜を明かした。

翌朝、非番であるナマエの部屋をもう一度訪ねたが、ノックをしても返事はなかった。
それは、居留守なのかそれとも部屋にいないのか。
答えは、遅番で出勤した際に日高から齎された。
日高曰く、朝の早い時間に屯所を後にするナマエを見かけたとのことで、それは秋山に知らされていない外出だった。

当然か、と思う。
喧嘩の真っ最中で顔も見たくない相手に、わざわざ行き先など告げないだろう。
それは二人の間にある明確な約束事ではない。
あくまで単なる秋山の我儘であり、これまでナマエはそれを叶えてくれていたに過ぎないのだ。
ナマエのいない情報処理室で、秋山はぼんやりと書類を片付けた。


夕方、伏見と共に定期巡回に出た。
もうすぐ三月だというのに、外は相変わらず寒いままだ。
ポケットに手を突っ込んでチンピラよろしく歩く伏見の後ろを、秋山は時折両手を擦り合わせながら追い掛けた。

「すみません」

寒いと不満を並べた伏見が巡回路をショートカットし、そろそろ屯所に着こうかというところで、秋山は不意に背後から声を掛けられ立ち止まる。
巡回中に話し掛けられることは珍しく、秋山は怪訝に思いながらも振り返った。

「はい?」

そして、目を瞠る。
そこには、昨夜ナマエと共にいた男が立っていた。

「お仕事中に申し訳ない。少しいいですか?」

人好きのする笑みを浮かべた男は、遠目で見るよりも優しげな顔立ちだ。
年の頃は三十代前半、昨夜同様にスーツを着ている。

「はい。どのようなご用件でしょうか」

秋山にとって、好感を持てる相手ではなかった。
しかし制服を着用している以上、今の秋山はセプター4の隊員で、相手は一般市民だ。
まさか邪険に扱えるはずもない。

「あなた方はセプター4の隊員ですよね?」
「はい、そうですが」

何の用件か、と身構えた秋山にとって、次に男の口から発せられた言葉は意表を突くものだった。

「秋山さんって方をご存知ですか?」

それまで黙って成り行きを見守っていた伏見が、はあ、と疑問の声を上げる。

「えっと……、自分が秋山ですが」

なぜこの男の口から秋山の名が出るのか。
それは十中八九、ナマエからこの男に伝えられたのだろう。
ナマエはこの男に一体何を話したのか。
警戒心を露にした秋山に気付く素振りもなく、男は驚いた様子で目を丸くした後に再び笑みを浮かべた。

「すごい偶然だ、驚きました。そうですか、貴方が秋山さんですか」
「はい、そうですが」

だから何だ、と秋山が目を眇めた先で、男が小さく頭を下げる。

「いつも妹がお世話になっております」

妹。
秋山の思考が一瞬停止した。

「妹……?」

伏見が不躾な視線で男を眺める。
その隣で、秋山はようやく思考の圧力を上げた。
妹。
つまり女性だ。
秋山の身の周りで女性といえば、ナマエか淡島のことである。
この男が昨日ナマエと会っていたことを加味すれば、即ち。

「ああ、自己紹介が遅れてすみません。僕はミョウジナマエの兄です」
「……お、にいさま、ですか……」

呆然と呟いた秋山は、はっとして即座に姿勢を正した。
全く覚悟していなかった想定外の出会いだが、相手は恋人の家族である。
粗相があってはいけなかった。

「秋山ァ、先戻ってるから」

気を遣ってくれたのか、それとも興味が失せたのか、伏見がひらりと手を振ってその場を立ち去る。

「すみません、お仕事の邪魔をしてしまって」
「いえ、お気になさらないで下さい」

秋山は急激に込み上げた緊張感に、こっそりと津液を飲み込んだ。
何とか微笑の形を保った表情とは裏腹に、内心では様々な感情が絡み合って大混乱だ。
本当に疑っていたわけではないが、それでも昨夜のナマエが男と密会していたわけではないという証拠を得ることが出来た安堵。
同時に、兄と会っていただけなのにそれを責めてしまったという、これまで以上の罪悪感。
そして、思いもかけない恋人の家族との対面による狼狽。

「昨夜、ナマエから貴方の話を伺いましてね。福岡に戻る前に、一度お会いしてみたかったんですよ」
「……福岡、ですか?」
「ああ、僕の家は福岡にありまして。一昨日から仕事の出張でこちらに来ているんです」
「ああ、なるほど。そうでしたか」

知らなかった。
ナマエに兄がいることなど、聞いたこともなかった。
そもそも秋山は、ナマエの口から家族の話を聞いたことが一度もない。
だから、何となく、聞いてはいけないような気がしていたのだ。

「昨夜も、偶然だったんですよ。古橋にホテルを取っているので、駅に向かっていたところで偶々ナマエを見かけて。何年ぶりだったかなあ。随分久しぶりに会いました」
「……あまり、お会いにならないんですか?」

何年ぶり。
昨夜はそれなりに親密な関係に見えたが、そんな単位で顔を合わせない仲なのだろうか。

「そうですね。先ほど兄と言いましたが、実は義理なんです」
「実のご兄妹ではないんですか?」
「ええ。僕の両親も彼女の両親もそれぞれ離婚していまして。僕の母と彼女の父が再婚をしたので、僕たちは連れ子同士の兄妹なんですよ」

全く知らなかったナマエの家庭事情が、男の口から語られる。

「両親が再婚した時僕はすでに成人して一人暮らしをしていたので、ナマエと一緒に暮らしたことはなくて。だから、兄なんて名乗る資格もないような、肩書きだけの兄なんですけどね」

男がそう言って苦笑した。
その表情を、秋山は知っていると思った。
弁財だ。
毎年誕生日プレゼントを強請ってくる妹を「我儘でどうしようもない」と言いながら、それでも弁財は必ずプレゼントを買って実家に送っている。
大抵服や鞄や靴で、弁財の妹はそれを身につけた写真をお礼と一緒にメールで弁財に送るのだ。
それを見た時、弁財はいつも、今のこの男と同じように苦笑する。

「だから、実を言うと彼女のことをあまり良く知らなくて。連絡も滅多に取らないんです。会う機会もそうありませんし」
「そう、ですか」
「軍を辞めたと聞いて安心したかと思ったら、次はセプター4という組織に所属していると聞いて。調べたら、また危険な仕事みたいで……」

男の視線が、秋山のサーベルを撫でた。
否定の仕様がないので、秋山には何も返せる言葉がない。

「ああ、すみません。別に批難しているわけではないんですよ」
「ええ、分かっています。自分も、心底大賛成だとは言えませんので」

慌てたように付け足され、秋山は苦笑した。
男が、少し驚いたように目を見開く。
やがて、ゆっくりと微笑んだ。

「初めてだったんですよ」
「はい?」
「ナマエはあまり自分のことを話さないので、いい人はいないのかと僕や母が聞いても、いつもはぐらかしてばかりでした。ナマエが僕に、恋人がいると教えてくれたのは貴方が初めてです」

その途端、一瞬で顔に熱が集まるのが分かり、秋山は狼狽える。
そんな秋山を見て、男は嬉しそうに目を細めた。

「ナマエは優秀で強かな子ですが、意外と不器用なところもあるんですよ。って、こんなこと、きっと僕よりも貴方の方がご存知ですよね」
「……いえ、そんな」

最早何と返せばいいのかいいのか分からない秋山を置き去りに、男は満足げに笑うともう一度頭を下げる。

「妹を、よろしくお願いします、秋山さん」

義理だとはいえ恋人の兄に頭を下げられ、秋山は慌ててそれよりも深く腰を折った。
とんでもないですだとか、こちらこそだとか、かしこまりましただとか、不適切なことばかりを口走った気がする。
やがて秋山が恐る恐る顔を上げると、男は優しげな顔に穏やかな笑みを浮かべて秋山を見ていた。

「お仕事中に突然すみませんでした。お会い出来てよかった」

いつか家にも遊びにいらして下さい。
男はそう言って、硬直した秋山に軽く手を上げるとその場から立ち去った。



prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -