ブラジャーとショーツと貴女[1]
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黒、白、水色、紫、橙、赤、桃色、薄緑。
ほぼ三百六十度どこに視線をやっても目に映る女性下着。
その中心で、秋山は一人で敵陣のど真ん中に置き去りにされたような窮地に追い込まれていた。
白いリノリウムの床に反射した照明に眩暈がしそうだ。
秋山は、数十分前の己の判断を激しく後悔した。



珍しく重なった互いの非番。
秋山はその前夜からナマエの部屋を訪ねていた。
両手を広げてくれたナマエに甘えて明け方まで愛し合い、次に目を覚ましたのは昼前だった。

コーヒーとトースト、オムレツにサラダ。
秋山が作った簡単なブランチの後ナマエに今日の予定を訊ねると、買い物に行くつもりだと言う。

「俺もご一緒して構いませんか?」

せっかくの非番なのだ、出来る限り一緒にいたい。
買い物をするなら荷物持ちくらいは出来るだろう、と同行を願い出た秋山に対し、ナマエは一つ頷いてから「でも」と付け足した。

「私としては別にいいんだけど、秋山にはきつい、かも?」
「きつい、というと?」
「買いたいの、下着なんだよね」
「…………え、」

その単語の意味を理解した途端、秋山は脳を沸騰させた。
下着、それはつまり、ブラジャーだとかショーツだとか、そういう類のものだろう。
真っ赤になって固まった秋山を眺め、ナマエは口元で笑った。

「でもまあどうせいずれ秋山も見ることになるし、男が店に入っちゃ駄目ってこともないし。せっかくだから一緒に行こっか」

多分この時に、秋山は遠慮するべきだったのだ。
だが、滅多にないナマエからの誘いに釣られ、秋山はつい頷いてしまった。

その結果が、これである。


秋山が人生で初めて足を踏み入れたランジェリーショップは、なんというか目の毒だった。
もちろん、ショッピングモール等で店の前を通ったことはある。
露骨に見たことはなかったが、色とりどりの下着が惜しげもなく店頭に飾られていることは知っていた。
それを多少なりとも意識してしまうのは、最早男の性だろう。

ナマエに連れられて訪れたのは、清宿デパートにある女性下着の専門店だった。
秋山が予想していたようなけばけばしさはなく、店頭にも露骨なマネキンは並んでいない。
ランジェリーショップにどのようなランク付けがあるのか秋山は知らないが、恐らく比較的高級な部類の店なのだろうと感じた。
しかしいくら落ち着いた外観であっても、歴とした下着の店である。
一歩店内に踏み込めば、見渡す限りブラジャーやらショーツやらが陳列されていた。
当たり前である。
白を基調とした広い店内は透明感があり、露骨な売り文句のポップがないことにも好感は持てるが、いかんせん秋山には耐性がなかった。
シンプルなものからセクシーなものまで、ブラジャーとショーツが揃いで並んでいる。
秋山は早速目のやり場に困り、最終的に俯いて履いているローカットブーツの爪先に視線を落とした。

幸いなことに、平日の日中ということもあってか、今のところ店内の客はナマエと秋山だけだ。
一人いる店員も必要以上に声を掛けてくることはなく、いらっしゃいませ、と言ったきり店の隅に控えている。
客が相談しやすい雰囲気を滲ませつつも、決して押し付けがましい接客はしない。
ブランド全体の教育が行き届いているのか、それとも彼女が気遣いの出来る人間なのか。
どちらにせよ、手汗を滲ませて立ち尽くす秋山にとってはせめてもの救いだった。
男の客は珍しいと露骨に観察されていれば、秋山はとっくに回れ右をして店から逃げ出していただろう。
それとも秋山が知らないだけで、恋人同士で女性の下着を買いに行くのは普通のことなのだろうか。

「秋山ぁ?」

秋山の羞恥や動揺を一切気に留めた様子もなく、数歩先で下着を物色していたナマエが振り返る。

「は、い……っ」

何とか顔を上げた秋山は、しかしナマエの手に黒いショーツが握られていることに気付いて咄嗟に視線を逸らした。
顔に熱が上っていくことを実感する。
そんな秋山を見て、ナマエがクスリと笑った。

「まあ、こうなると思ってたんだけどね」
「……すみません……」

ナマエが言っていた「きつい」の意味に納得する。
確かにこれはきつかった。
これまでに経験したことのあるものとはまた種類の異なる厳しさだった。

「外で待っててもいいけど。まあ、せっかくだし見学して行けば?」
「……ぅ……、はい……」

別に何も、疚しいことをしているわけではないのだ。
男が普通にパンツや靴下を買うように、女性だって下着を買う。
恋人が何を基準に下着を選ぶのか、知っておいて損はないだろう。
今は無理でも、いつかプレゼント出来る日だってくるかもしれない。
これはそのための勉強だと自らに言い聞かせ、秋山はようやくナマエに視線を戻した。

「ナマエさんは、黒がお好きですよね?」

秋山の知る限り、ナマエの身につけるものは大抵黒一色だ。
洋服も、靴も鞄も、殆どが黒である。
それと同じように下着も、デザインや質感に差はあれど、黒以外のものは目にしたことがなかった。

「そうだねえ、基本的には。でも、そんなに拘ってるわけじゃないんだよ。そりゃ、流石にショッキングピンクとかはきついけど」

そう言って苦笑したナマエが、手近にあったワインレッドのショーツを摘む。

「別に、こういうのでもいい」

ひらり、と振られたのは何とも妖艶な色で、秋山は言葉を失くした。
脳内で、昨夜目にしたナマエの下着姿の、その黒いショーツがワインレッドに摩り替わる。
それは酷く蠱惑的だった。

決して、黒一色の下着に魅力がないと思っているわけではない。
余計なフリルのないシンプルな黒はナマエのスタイルの良さを存分に堪能出来るし、白い肌とのコントラストも綺麗だ。
しかし、こうして様々な色の下着を目にすると、黒以外のものを身につけたナマエも見てみたい、という純粋な興味が湧いた。

「秋山は?何色が好き?」

そんな秋山の下卑た思考を読み取ったのか、ナマエが店内を見渡しながら問うてくる。
秋山は、つられて周囲に散らばる色に目を向けた。



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