たとえば、その刹那[7]
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ナマエは、事件から三日後に退院した。
宗像はもう少し療養するべきだと苦い顔をしたそうだが、ナマエは退屈だと言って聞かなかったらしい。
秋山はそれを、弁財から聞いた。

事件の翌朝に訪ねて以降、秋山は一度もナマエの病室に顔を出さなかった。
特務隊の面々は、事後処理に追われながらも全員一回以上は見舞いに行ったそうだ。
あの伏見でさえ事件後二日目に病室を訪ねたと聞いて、秋山は少し驚いた。
勿論自主的に赴いたのではなく日高に強引に連れられてのことだったらしいが、それにしても意外だった。
あの日、一瞬の迷いもなく切り捨てておいて、平然と顔を見せるのか、と。

伏見猿比古という個人のことを嫌っているのかと問われれば、答えは否だ。
年下ながらも優秀な伏見のことを、秋山はずっと上官として慕ってきた。
不器用であるが故に衝突しやすい伏見と特務隊のメンバーたちを、調整役のようなポジションで見守ってきた。
伏見は確かに態度こそ悪いものの、根は優しくて真面目な青年だと知っている。
だからこそ、裏切られたような気分だったのかもしれない。
非情に部下を切り捨てた伏見に、幻滅したのだろうか。


「……だったら、ミョウジさんが同じことしたら秋山はどう思ったわけ?」

驚くほど気軽な口調で問われ、秋山は面食らった。

「そんなこと、するわけがない」

一瞬言葉に詰まった己を恥じるように、秋山は慌てて否定する。
しかし道明寺は、そうかな、と首を傾げた。

「あの人、元軍人だろ?ずっと戦いの中に身を置いてて、たったの一度も部下を死なせたことがないって本当に思うか?」
「……それは、そうかもしれないけど。でもそれは、やむを得ない場合だけだろう」

秋山の知る限りでは、一度もない。
だが秋山が入隊する以前のことならば、可能性は否定出来なかった。

「やむを得ない場合、ね。それで、こないだの伏見さんは、そのやむを得ない場合じゃなかったって言いたいわけ?」
「っ、それは……」

言葉を失くした秋山に、道明寺は何の気負いもなく話を続ける。

「俺はさ、伏見さんは別にミョウジさんの命と俺たちの命を天秤に掛けたわけじゃないと思うんだよね。ただ、俺たちの後ろには民間人がいた。それを守るのが、室長から指揮権を引き継いだミョウジさんの役目だった。だから伏見さんは、ミョウジさんの代わりにそれをやろうとしただけじゃないかなって」

不意に、今まで全く見えていなかった道を示された気がした。

「大義とかはさ、ぶっちゃけ俺は良く分かんないし、伏見さんもミョウジさんも、あんまそーゆーの気にしなさそうだけどさ。でも、ミョウジさんは多分、この国の人を守るために軍に入ったんだろ?だったら今でも、それを一番大事に考えてるんじゃねーのかなあって。秋山もそう思うだろ?」

あの時、伏見はナマエを見捨てたのだと思っていた。
その命を切り捨てたのだと思っていた。
だが、そうではなかった。
伏見は、ナマエの守りたかったものを守ったのだ。

「……道明寺、……俺、は……、」
「でもさっ、秋山の気持ちだって俺は分かるけどな!」

へへん、と道明寺が得意げに胸を張る。

「そりゃ、ミョウジさんはお前の一番大事な人だもんな。多分俺、お前があの時めっちゃ冷静だったら、それはそれでブン殴ってた気がするし」

自信満々に、一体何を言い出すのか。
秋山はつい苦笑してしまった。

「大丈夫だって秋山。別に誰も怒ってないし、幻滅なんてしないし、みんな秋山のこと信頼してる。ミョウジさんのことで馬鹿みたいに必死になるお前だから、みんな信じてるんだ」

六つも年下の青年に叱られ、殴られ、発破をかけられ、そして慰められる。
きっと、ひどく情けない年長者だろう。
だが、それを恥ずかしいとは思わなかった。
秋山にとって道明寺は、年齢など関係のない対等な仲間だ。
だからこそ、その言葉は何の抵抗もなく胸底に染みた。

「ミョウジさん、お前のこと心配してたぞ?」
「……え……?」

事件の翌朝に会った時、酷い別れ方をした。
恐らくナマエは秋山に対して苛立っていたし、秋山は秋山で感情を上手く言葉に出来ず結局逃げ出して来てしまった。
それなのに、秋山のことを案じてくれていたのだろうか。

「きつい言い方したって。笑ってたけど、多分あの人落ち込んでたと思う」
「……ミョウジさんが、」
「今度はさ、ミョウジさんの話聞いてあげろよ。な?」

考えもしなかったようなことを提案され、秋山は引き寄せられるように頷いた。

不思議な男だと思う。
馬鹿だ馬鹿だとしょっちゅう叱られては周りに頼り、甘えるかと思えば、時にこうして核心を突いたことをさらりと言ってのける。
裏表のない笑顔で、本人さえその自覚なしに相手を説得してしまう。
得難い友人だ、と秋山は微笑んだ。



退院してから二日間も、ナマエは非番扱いになっている。
つまり明日も非番ならば、今夜話をさせてもらってもいいだろう、と秋山は二十二時すぎにナマエの部屋をノックした。
合鍵で勝手に入れなかったのは、喧嘩、というわけでもないが最後の別れ方が不適切だったことを気にしているからだろう。

「入っていいよー、秋山ぁ」

しかし、無言で二回ノックしただけなのにドアの外に立っているのが秋山だと気付いてくれたナマエに、思わず様々な事情を忘れて頬を緩めてしまった。
どうしてこの人は、いつもさりげなく秋山を安心させてくれるのだろうか。
秋山は合鍵を取り出し、鍵を回してドアを開けた。

「おかえり」

部屋の奥から、いつもと何ら変わりない声が聞こえる。

「……ただいま、帰りました」

じわりと、胸の内が温かくなった。
ブーツを脱いで揃え、短い廊下を進んで部屋に顔を出せば、ベッドに腰掛けたナマエが秋山を見て小さく笑う。
いつもと同じ光景だった。
何一つ変わらない、秋山の幸せがそこにあった。

間違えたのは、秋山だ。
それは、あの時の判断だけではない。
事件の翌朝、ナマエに会った時の言葉だ。
以前身に染みて理解したはずなのに、感情が乱れて失念していた。
必要なものは、謝罪ではなく感謝だと。
知っていたはずなのに、忘れていた。
だからもう一度、最初からやり直そう。
きっとナマエは、そのために今、何事もなかったかのように笑ってくれたのだ。

「ナマエさん、」
「ん?」

ベッドに膝をつき、ナマエの背中に腕を添えて衝撃を与えないようにゆっくりと押し倒す。
その隣に寝転んでから、秋山はナマエの身体を抱き上げて自らの上に乗せた。
怪我に障らないよう、そっと両腕を回して抱き締める。

「……生きていてくれて、ありがとうございます」

本当に伝えたかったことがやっと言葉になった瞬間、秋山は滲んだ視界を自覚して目を伏せた。




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