二十分前の奇跡[4]
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ナマエはすんなりと受け流した伏見の言葉が、秋山の胸を鋭く抉る。
面倒臭い男、まさに言い得て妙だった。

誕生日をきちんと祝えなかったことに落胆し、自分よりも先に祝いの言葉をかけた他の男に嫉妬し、挙げ句の果てには誕生日会という名目なのに主役に気を遣わせてしまっている。
今日一日を顧みるだけでも、秋山は十分に面倒な男だろう。
さらに遡れば、勘違いし、落ち込み、泣いて困らせ、八つ当たりをして機嫌を損ね、と、秋山はナマエに面倒を掛けてばかりだ。

きっと俺は、重いんだろうな。

秋山は、再び子持ちししゃも眺めながら考えた。
焼き加減を誤ったのか、腹が破れて卵が見えている。
散乱した卵の一つひとつが、まるで秋山の想いのようだった。
受け止められることもなく、いつか重みに耐え切れずに胸の中からぶち撒け、そして捨てられるのだろうか。

「別に、面倒な男が好きっていうわけじゃないんですけどねえ」

苦笑混じりなナマエの声に、秋山はいよいよ暗澹たる心持ちで唇を噛んだ。

「え、マジで彼氏っすか?!」
「知らなかったな。国防軍の者か?」

ナマエの相手を探ろうとする声が、テーブルの上を飛び交う。
ここで自分だと名乗ることが出来れば、どれほど救われるのだろうか。
秋山はぼんやりと夢想した。
恐らく皆驚くのだろう。
秋山とナマエは質問攻めに合うのかもしれない。
ナマエはきちんと肯定してくれるだろうか。
恋人は秋山だと、皆の前で認めてくれるのだろうか。
そんな、懸念する必要さえないことを按じ、秋山は胸中で自嘲した。
馬鹿馬鹿しい。
今ここで秋山が名乗り出ることなどないのだから、心配するだけ無駄というものだ。

「意外と気になるもんなんだねえ」
「当たり前じゃないすか!」
「んふふ、ミョウジさん、そんな気配全然なかったですしねえ」

そういうものか、とナマエの声に笑みが混じる。
秋山がゆっくりと瞼を持ち上げれば、ナマエは声遣から想像していた通りの苦笑いを浮かべていた。

「ねえ弁財、今何時?」

唐突に、ナマエが全く脈絡のない質問と共に隣を振り向く。
さっと腕時計に視線を走らせた弁財が、二十三時半過ぎと答えた。

「ん。伏見さん、先に帰らせてもらっていいですかねえ?」

え、と各々が顔を見合わせる。
ストローを噛んでいた伏見が、ゆっくりと顔を上げた。

「……まあ、いいんじゃないですかぁ?」
「助かります」
「え、帰っちゃうんすか?」
「まだ何も聞いてないのに!」

ナマエが本気で先に帰るつもりらしい、と悟った面々が口先に文句を乗せる。
しかしナマエはやんわりと苦笑しただけで、取り合うことなく立ち上がった。
秋山は、呆然と言葉もなくナマエの顔を見上げる。
まさかこの状況で置いて行かれるなど、考えてもいなかった。
たとえ日付が変わった後であろうとも、一緒に帰って今夜は部屋に泊めてくれるものだと思っていたのに、ナマエにその気はないらしい。

「道明寺、お金、置いてくよ?」

背後に置いてあったバッグの中から財布を取り出したナマエを見て、道明寺だけでなく弁財や日高も慌ててナマエを制した。
誕生日なんだから、と言い含められ、ナマエは苦笑する。

「そ?なら、今日はお言葉に甘えて。ご馳走様」

さっと全員を見渡し、ナマエが微笑んだ。
真っ黒のライダースを羽織り、ショルダーバッグをクロスさせることなく肩に掛けたナマエが、伏見に一礼してから歩き出す。

「あ、もしかしてナマエさん、恋人のとこっすか?!」

その背に、日高が興味津々とばかりの声を掛けた。
座敷の障子に手を掛けようとしていたナマエが、ゆっくりと振り返る。
ナマエは、愉しげに口角を上げた。

「……日高、大正解」

元剣四組から、わっと歓声が上がる。
硬直したのは秋山だった。

どういう意味だ。
ナマエさんは一体、誰に会いに行くつもりだ。
日付が変わる瞬間、誰と共に過ごす気なのだ。

これは、目の前で浮気を宣言されたのだろうか。
秋山は、頭の中が真っ白になった。
声を掛けたいのに、名前を呼びたいのに、喉が詰まって音が出せない。
障子を開けたその手を掴みたいのに、背中に縋り付きたいのに、身体は微動だにしない。

置いて行かないで下さい。
俺を捨てて、どこかに行ってしまわないで。

秋山が胸臆で上げた悲鳴は届かない。
なぜ、どうして。
浮かぶ疑問に答えは返って来ない。

「………ぁ、………っ」

自分でさえも拾い切れないような声が微かに漏れた、その瞬間。
まるで秋山の声を聞き届けたかのように、ナマエが再び振り返った。
その視線が、真っ直ぐに秋山を捉える。
見つめられ、ただ見つめ返すことしか出来ない秋山の視線の先で、ナマエがゆっくりと唇を開いた。


「……何してんの。帰るよ、氷杜」


世界中の時が、止まった気がした。
全ての音が消えた、その瞬間。
秋山を見据えたまま、ナマエが困ったように苦笑した。


「ーーーえええええっ?!」

突如、背後で大音量の悲鳴染みた叫び声が響く。
秋山はびくりと肩を揺らした。
恐る恐る振り返れば、皆が信じられないものを見る目で秋山とナマエを交互に見ている。
その中で、弁財は苦笑し、伏見は呆れたとばかりにタンマツを弄っていた。

何がどうしてこうなったのか、秋山にはナマエの意図が一片も理解出来ない。
だが一つだけ、確かなことがあった。
それは、ナマエが呼んでいるのは秋山だ、ということだ。
それしか分からないが、それだけで良かった。

秋山はジャケットを掴むと慌てて立ち上がり、縺れそうになる足でナマエの方へと駆け寄る。
背後から驚愕と戸惑いの声が追って来たが、秋山は一度も振り返ることなく座敷を後にした。


「ナマエさんっ!」

店を出たところでナマエの背を見つけ、秋山は大声でその名を呼ぶ。
立ち止まったナマエは、見惚れるほどに綺麗な悪戯っぽい笑みを浮かべて秋山を振り返った。






二十分前の奇跡
- 日付と共に、きっと世界が変わる気がした -






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