アイシテルの代わりに[2]
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「初めてでないことは、分かっているんです。貴女も俺も大人ですから、過去はある。そこに駄々を捏ねるつもりも、詮索する気もありません」

咄嗟に答えを返せなかったナマエの言葉を待たず、秋山が心情を吐露していく。

「仮に、貴女が室長と関係を持ったことがあったとしても、俺には責める権利なんてないんです。……でも、室長がもし、貴女の全てを知っているなら……」

なるほどな、とナマエは理解した。
同時に、随分と信用がないのだな、とも思った。
しかしそれは、仕方のないことだろう。

「俺は、優しく出来る自信がありません。貴女を傷付けたくなんかないのに、ひどく、してしまいそうで……」

宗像との間に何があったのか、秋山に明言していないのはナマエだった。
釈明をしたところで秋山が心から納得することはないだろうと決め付け、ナマエは何の説明もしていないままだ。
信頼しなかったのは秋山ではなく、ナマエが先なのかもしれない。

「それを、貴女に拒絶されても当然なのに、俺はそれが怖くて。ずっと、……怖かったんです」

信じてもらえるか否かを気にする前に、言葉にするべきだったのだろう。
それが、誠意の表し方だったのだ。

「秋山、」

随分と、時間が掛かってしまった。
でも、ようやく分かった。

「室長とのことだけどね」
「……はい、」

自分で聞いておきながら、いざナマエが答えを返そうとすると秋山は怯えたように瞳を揺らした。

「何も、なかった。室長が夜中にここに来て、煙草を吸って、帰って行く。ただ、それだけだった。話も殆どしてない」

自分で口にして、随分と説得力のない説明だとは思う。
普通に考えれば、ただの奇行だ。
事実あれは、宗像の常人には理解しがたい行動だったのだから、この不可解な説明になるのもやむを得ないのだが。

「室長が好意を持ってくれていることには、途中で気付いた。それを知っても、来るなとは言わなかった。でも、応えたことは一度もない」

何とも馬鹿正直な弁明だと、ナマエは我ながら少し呆れた。
もっと他に言いようはあるだろうに、どうしてここまで素直に喋っているのか、甚だ疑問である。
でも、そうしたいと思ったからそうしていた。

「信じるか信じないか、それは秋山が決めればいい。でも、嘘はついてない。私は室長に指一本触れさせてない」

秋山の、片方だけ覗く眼睛を真っ直ぐに見据える。
視線は逸らさなかった。
張り詰めたような沈黙が落ちる。
先に動いたのは、秋山だった。

「……信じます、」

小さな、しかし芯の通った声で落とされた一言。
ナマエは目を細めた。
秋山が、その瞳を潤ませて眦を下げる。

「ナマエさんの言葉を、俺が疑うなんてあり得ません。誰が何と言おうとも、貴女がそう言うなら俺は信じます」

微かに笑みを浮かべた秋山の紡いだ絶対的な信頼に、ナマエの胸裡が静かに揺れた。
やはり、信じていなかったのはナマエの方だ。
言葉での説明に意味などないと勝手に決め付けず伝えておけば、秋山はもっと早くに信じてくれていたのだろう。

「……余計なことを聞いて、すみません」

一転して申し訳なさそうに表情を崩した秋山を見て、ナマエは胸臆から込み上げた想いをそのまま声に出した。
何も、打算などなかった。

「誤解させてごめん。信じてくれて、ありがと」

氷杜、と。
滅多に呼ぶことのない名前を唇に乗せた。
その瞬間、秋山の目からついに決壊した涙が零れ落ちる。
今、それを笑うことは出来なかった。
頬を伝う涙を、指先で拭う。
音もなく静かに泣きながら、秋山が幸せそうに笑った。

「……コーヒーのおかわりと、キスと、どっちがいい?」

慰めるつもりで、提示した二択。
きょとん、と目を瞬かせた秋山は、やがて照れ臭そうに視線を彷徨わせてから小声で答えをくれた。

「……貴女からの、キスを、」

乞うような、掠れた声音。
ナマエは即座に距離を詰め、秋山の頬に添えた手を後頭部に回して引き寄せるとその唇を奪った。
重ねた唇の隙間から舌を滑り込ませ、躊躇なく秋山のそれを絡め取って吸い上げる。
多分、優しくないキスだった。
らしくないと自覚していた。
でも、いつだったか、全て見せてほしいと言ってくれたのは秋山だ。
ならば、込み上げる激情を隠す必要はないと思った。

「ねえ、秋山」

離した互いの唇を、銀糸が繋ぐ。
それを舌で舐め取ってから、吐息が触れるほどの至近距離で囁いた。

「優しくなくて、いいよ」
「……え?」

僅かに息を乱した秋山が、問い返す。
その間さえ、もどかしかった。

「それが秋山なら、傷付かないから。だから、優しくなくても、余裕がなくても、スマートじゃなくても、何でもいい」

焦点が合うか合わないかの距離で、秋山の瞳を見つめる。
涙に濡れたままの片目が、驚きに見開かれたように感じた。

「秋山が言ったんだよ。全部見せて下さいって。だったら、秋山も見せてよ」

嫉妬して、落ち込んで、泣いて、縋って。
そんな、情けなくも愛しい姿をたくさん見せてくれたのだ。
今さら何を隠そうと言うのだろう。

「それで、嫌いになったりしないから」

最後の言葉を言い終えるか否かで、音を紡ぐ唇が今度は秋山のそれに奪われていた。



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