願わくば貴女の心を[3]
bookmark


「……今の言葉、俺の目を見てもう一度言ってみろ」

痛みに呻いた秋山が片手で頭を抑えながら恨みがましく顔を上げた先、ベッドに腰掛けた弁財が明らかな怒気を滲ませた双眸で秋山を見下ろしていた。

「何、弁財」
「だから、もう一度言ってみろ」
「……俺が斬られてればよかったのに?」

言い終えるか否かで、腕を伸ばした弁財の拳骨がもう一度秋山の頭頂部に炸裂した。

「ふざけるな!」

秋山の呻き声よりも大きく張り上げられた弁財の怒声が、部屋中を満たす。
秋山は、痛みも忘れてぽかんと弁財を見上げた。

「ふざけたことを言うのも大概にしろ、秋山。もしお前が俺を庇ったとして、俺が同じことを言ったらお前はどう思うんだ」

柳眉を吊り上げた弁財が、憤懣露わに問い質す。

「俺が斬られていればよかった、と。言われて嬉しいか。そうだな、と答えるつもりか!」
「……そうじゃない。そうじゃないけど、俺と弁財は、俺とミョウジさんとは話が違うだろ」
「何が違うんだ。……お前がどう思っているかは知らないがな。俺とお前は仲間で、お前とミョウジさんも仲間だ。ミョウジさんにとってもお前は、仲間じゃないのか。何かあった時、咄嗟に庇うのは仲間として当然のことじゃないのか」

仲間。
同じ組織の、同じ部隊の仲間。
言われてみれば、その通りだ。
だが秋山は、これまでナマエをそんな括りで見たことがなかった。

「心酔でも崇拝でも、いくらでも勝手にすればいい。だがそれはお前の勝手なんだ、秋山。ミョウジさんには関係ない。ミョウジさんがお前のことを仲間だと認めている気持ちを、お前の勝手で切り捨てるな」

心髄のど真ん中に、風穴を開けられたように錯覚した。

「……俺が、先に、拒絶したのか」

仲間として、当たり前のことだとして、庇ってくれたナマエを、秋山が否定した。
とんでもないことだ、と。
決して、庇ってくれたナマエを責めたわけではない。
庇われた自分が情けなくて、ナマエを危険に晒した自分を許せなかった。
だからこそ、必死で頭を下げた。
しかし、それを見たナマエはどう思ったのだろうか。

「こんなところでうじうじしている暇があるなら、さっさと会いに行け」
「……でも、来なくていい、って」
「来なくていい、だろ。来るな、じゃないんだろ」
「それは屁理屈だよ弁財……」
「屁理屈でも、理屈は理屈だ」

もういい、と投げ捨てたナマエの声音を思い出すと、秋山の胸臆に憂懼が走る。
冷然とした態度は、秋山を見限っていた。

「……それで、もっと嫌われたら、生きていけない」
「このまま放っておいても嫌われるならどっちもどっちだ。だったらやれるだけやればいいだろ」
「弁財……、フォローする気ないだろ……」
「お前は何で、俺にフォローする気があると思えるんだ」

こっちは怒ってるんだ、と弁財は文字通り憤懣を滲ませた。

「……弁財、」
「なんだ」
「振られたら、慰めてくれたりするか?」
「ミョウジさんをな」

弁財の遠慮容赦ない即答に、秋山はようやく唇を歪めて苦笑する。
それを見て、弁財も微かに笑った。

「……弁財、」
「今度はなんだ」
「……ありがとう」
「は?」

秋山は、床に手をついてゆっくりと立ち上がった。

「敵の位置、教えてくれただろ。その後、仕留めてくれたのも弁財だ。ありがとう」
「……礼ならミョウジさんに言え」

謝るのではない。
助けてくれたことに、感謝するのだ。
そして、もしも怒ってくれたならば、その時に謝ろう。

「行って来る」
「ああ。骨は拾ってやる」
「……それは心強いな」

ベッドに腰掛けたまま、弁財が右手の拳を突き出した。
その意図を察し、秋山は笑う。
ごつん、と己の拳をぶつけてから、秋山は部屋を後した。


女子寮に向かって歩きながら、秋山は、己の意思に反して足が震えていることに気付いた。
情けないな、と苦笑しようとすれば、頬が引き攣っただけで終わった。
つくづく、情けない。
しかし、弁財にあれほど背中を押されて出て来た以上、このまま回れ右をするわけにはいかなかった。
弁財の言う通り、どっちもどっちだ。
恐らく今、ナマエの中で秋山に対する評価は最低だろう。
明日にでも顔を合わせたら振ってしまおう、くらいのことを考えていてもおかしくはない。
だったら、最後に足掻いたところで落ちるところまで落ちた評価はこれより下がりはしないはずだった。

ナマエの部屋の前で立ち止まる。
もちろん、合鍵は持っている。
しかし秋山はそれで勝手に入るという選択肢を選べず、タンマツに指を滑らせた。
電話を無視される可能性も、なくはない。
しかしその確率は限りなくゼロに近いだろう。
ナマエは、公私混同をしない。
そしてこのタンマツは、業務連絡にも使用される。
ということはつまり、秋山がセプター4の隊員である以上、ナマエは電話に応えてくれるはずだった。

呼び出し音が、四回。
五回目の途中で、音が途切れた。

『はいミョウジ』

予想通り、ナマエは電話に出てくれた。
しかし、そうなると分かっていたはずなのに、実際にナマエの声を聞くと秋山は言葉を失くした。
どのように切り出すかシミュレーションしておくべきだった、と今更気付いても手遅れだ。

「……秋山?」

電話を掛けておいて何も言わない秋山を訝しみ、ナマエが胡乱げに声をかけてくる。
秋山は、複雑に入り乱れた思考の整理もつかぬままに何とか言葉を捻り出した。

「あの……、ミョウジさん。話を、させてほしいのですが、開けてもらっても構いませんか?」
「……秋山。今日は来なくていいって言わなかったっけ?」

明確な拒絶に、再び心臓が締め付けられる。
だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

「……でも、来るな、とも言われませんでした」
「すんごい屁理屈だなあ、それ」
「すみません……」

弁財の受け売りです、とは流石に言えない。
しばらくの沈黙の後、電話の、そしてドアの向こうでナマエが短く嘆息した。

「……いいよ、入りな」

それは、合鍵で勝手に開けていい、という意味だろう。
秋山は、一度大きく深呼吸をした。

「……あの。開けてもらっても、いいですか」
「なに、鍵ないの?」
「いえ、持っていますが。……ナマエさんに、開けてほしいです」

この状況でさらに我儘を言うことが、どれほど自分の首を絞める行為であるかは重々承知していた。
だが秋山は、自ら入るのではなくナマエに入れてほしいと思う。
代償の大きすぎる賭けだった。

「……いつの間にそんなこと言うようになったかなあ」

呆れた、とばかりの声音を最後に、通話が切れた。
秋山は、目の前のドアをじっと見つめる。
開けてもらえるか否か。
何分にも感じられた数秒後、解錠の音に続いてドアが内側から開かれた。
その隙間から、ナマエが口調から推測した通りの呆れ顔を覗かせる。
秋山は玄関に足を踏み入れると、ドアが背後で閉まるのも待たずに目の前の身体を抱き締めた。




prev|next

[Back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -