君は笑ってくれるだろうか[3]
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もちろん、はいこれで一件落着、とは問屋が卸さない。
情報処理室に戻る道すがら、一歩後ろから付いて来る秋山の問い質すような、もしくは訴えかけるような視線を背中に受け止めたナマエは、しかしその場での話し合いを避けた。
今夜、部屋で。
情報室の豪奢な扉を開ける前にそう言い置き、ナマエは自分の仕事に戻る。
その後定時まで、秋山の仕事ぶりは散々だった。



胡座ではなく正座で腰を下ろした秋山の前、ローテーブルの上にブラックコーヒーの入ったマグカップを置く。
自分の分のカフェオレを片手に、ナマエはその向かいに座り込んだ。
部屋の空気が張り詰めているのは、仕方のないことだろう。
適当な諧謔で和む雰囲気でもない。
ナマエは早々に諦め、しかし一つだけ先に言っておこうと秋山を見つめた。

「秋山」

俯いて握り締めた拳を見つめていた秋山が、ゆるりと顔を上げる。
その面持ちは、焦燥と苦悶を織り交ぜたような悲痛に歪んでいた。

「一つ、確かめておくけど。私はもう、君の上官じゃない。一つの年齢差なんて、ここではあってないようなもの。だから、遠慮しなくていい」

とりあえず一口飲むように、とマグカップを指し示す。
そろそろと両手でマグカップを包み込んだ秋山が、素直に唇を寄せた。
流れる沈黙を、今度は秋山が口を開くまで待つ。
ようやく決心したように秋山が顔を上げたのは、それから約三分後のことだった。

「……たまに、夜中、室長と会ってますか?」
「うん」

躊躇いがちな質問に、間髪入れず即答する。
焦らす意味がなかった。
一瞬怯んだように唇を噛んだ秋山が、やがて少しの間を置いてまた問いを重ねる。

「……煙草の匂いも、あの灰皿も、室長ですか?」
「うん」

あの灰皿、と言った秋山の視線が、ちらりとキッチンの方に向けられた。
備品庫から引っ張り出してきた灰皿が流しの脇に立て掛けてあることを、秋山は知っている。

「……二人は、お付き合いをされてるんでしょうか」
「してない」
「……ミョウジさんは、室長のことが、その……、そういう意味で、お好きなんですか?」
「嫌いじゃないよ」

秋山の、片目だけ覗く瞳が泣き出しそうに揺れた。
嘘をつかないことと誠実であることは、似ているようで全く異なる。
そんなことを、思惟の片隅で思った。

「……たとえば、室長に、俺と別れるようにと言われたら、貴女は俺を捨てますか?」
「理由によるかなあ」

秋山の視線が、詳細を催促するように細められる。

「室長が上司として、職務上の正当な理由で以て交際を禁じるなら、そしてそれに私が納得出来るなら、その可能性はあると思う」

ナマエはそう答え、カフェオレを口に含んだ。
秋山が求めた回答でないことは、十分に理解していた。

「……俺と室長を、比べた時。ミョウジさんは、どちらを選びますか?」
「従うのは室長」
「そういうことでは、ありません。……貴女は……っ、俺に、僅かでも好意を持って下さっているのですか……?」

それを、交際相手から直接問われる、という事態。
恐らく、これは普通ではないのだろう。
秋山の問いは、ねえ私のことどのくらい好き?などという下らない睦言ではない。
本心から分からずに、聞いているのだ。
だからいつも長続きしないんだろうな、とナマエは薄く笑った。

「秋山」

初めてかもしれない。
こうして直接、ぶつかってきてくれた人は。
傷付いて、さらなる痛みを覚悟の上で、真正面から向き合ってくれた。

「……はい、」

それが、少しばつが悪くて、でも嬉しいものなのだと、初めて知った。

「だから、秋山」
「……は、い……?」

それなりに鍛えられた大きな身体を縮めて、両拳を握り締め、泣きそうになっている。
それが二十代半ばの男だというのに可愛く見えるなんて、不思議な心地だった。

「君が聞いたんだよ。俺と室長を比べた時、どっちを選びますか、って」
「……確かに、伺いました、が……?」

胸に、煙草の煙とはまた異なる圧迫感がある。
苦くはない、どちらかというと甘い。
心臓を、きゅっと何かに掴まれるような、そんな感覚だった。

「だから、秋山」
「………俺、ですか……?」

痛いような、切ないような、嬉しいような。
何とも言いがたい、奇妙な衝動が込み上げる。

「うん。秋山がいいよ」

煙草よりも、こっちの方が好きだと思った。

「…………ひっ、……ぅ……っ、」

二十四にもなって、恋人の部屋で正座をしたまま大泣きをする、なんとも滑稽で察しの悪い男だけれど。
両手で顔を覆って泣く秋山を、愛しいと思った。

さてどうやって泣き止んでもらおうか、ナマエは苦笑しながら図体の大きな子どもを見つめる。
キス、は顔を隠されていて出来ないし、抱き締めたらワイシャツが涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりそうで、出来れば遠慮したい。
驚かせたらその衝撃で泣き止むだろうかと、ナマエは膝立ちになって秋山との距離を詰めた。

「好きだよ、氷杜」

耳元に唇を寄せ、少しだけ柔らかい声音を意識して言葉を落とす。
狙い通り、驚いて手を降ろした秋山が呆然とナマエを見つめた。
やっと泣き止んだ。
そう揶揄しかけたナマエの視線の先、目一杯に見開かれた秋山の目に新たな涙の膜が出来上がり、あ、と思った時には決壊して頬を伝い落ちる。
先ほどまでよりも激しくなった嗚咽に、ナマエは諦めて笑うとワイシャツを犠牲にする覚悟で秋山の頭を抱き寄せた。




とん、と執務机に灰皿を置いた。
顔を上げれば、宗像が諦念を混ぜた苦笑で見上げてくる。

「雨降って地固まる、ですか」
「まあ、そのようなものかもしれません」

そうですか、と微笑った宗像は、ありふれた陶器の灰皿の縁をそっとなぞった。

「相性は、悪くないと思っていたのですが」
「私もそう思いますよ」

嘘ではない。
初めて顔を合わせた時からずっと、宗像のことは嫌いではなかった。
だからこそ、"訪問"を許したのだ。

「いいでしょう。彼に愛想を尽かしたら、いつでもどうぞ。今度は、君から訪ねて来てくれると嬉しいですね」

揶揄に聞こえるそれがある程度の本気を孕んでいると分かり、ナマエは目を伏せる。
だが、必要なのが謝罪ではないことも知っていた。

「……不法侵入、の間違いでしょう?」
「おや、手厳しいですね」

宗像が、くつりと喉を鳴らした。
つられるように、ナマエも笑った。


宗像に背を向け、室長室を後にする。
部屋で、今日は非番の恋人が、それはもう大層不安げな様子でナマエの帰りを待ちわびているはずだった。
口付けひとつで許してくれるだろうか。
それとも、また盛大に泣かせてしまうだろうか。
大きな仔犬みたいな恋人を思い浮かべると、ナマエの足運びは自然と速くなる。
恐らくまた正座をしているはずの恋人が待つ部屋まで、あと少しだった。





君は笑ってくれるだろうか
- これが初恋かもしれないと、白状したら -






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