真紅の輝きが照らす蒼穹[1]
bookmark


それは、そろそろ夏も終わろうかというある日のことだった。

その日遅番のナマエは、買い物をするため出勤前に電車で清宿に出た。
駅前に、最近お気に入りの珈琲豆専門店があるのだ。
いま飲んでいる豆がそろそろ切れそうだったので、時間のある時に新しいものを購入しておこうと数日前から予定を立てていた。

木製のドアを押し開ければふわりと鼻腔に広がる珈琲の匂いに、心が安らぐ。
店内をぐるりと見て回り、結局、馴染みとなった店員に勧められたブラジル産の珈琲豆を二百グラム買い求めた。
焙煎しパックに詰めてもらったそれを鞄に仕舞い込み、店を後にする。
飲むのが楽しみだと足取り軽く来た道を戻っていると、不意に、ナマエを追い抜いて行った赤い外車がその車体を路肩に寄せて停まった。
ハザードランプを点滅させた車の窓から、ひらりと振られた手。
ナマエは最初、自分には関係のない誰かだと思ったのだが、その赤い車の所有者に覚えがあることに気付き、慌てて駆け寄った。
案の定、左ハンドルのパワーウィンドウを下ろして顔を覗かせたのは、草薙だった。

「よ、ナマエちゃん。お久しゅう」
「出雲さん!久しぶりですね」

薄いサングラス越しに、緩められた目元。
京都弁独特の柔らかな口調につられて笑えば、草薙が片手で助手席を指し示した。

「どこまで行くん?乗っけてったるよ」

夏の盛りを過ぎたとはいえ、日中はまだ暑い。
ナマエは草薙の言葉に甘えることにした。
運転席を降りた草薙が後方の信号が赤になったのを確認してから、車道に出てナマエを手招く。
助手席のドアを閉めるところまで丁寧にエスコートされ、相変わらず女の人の扱いが上手いなとナマエは感心した。

「すみません。じゃあ、清宿の駅までお願いします」
「Oui, mademoiselle」

戯けた返事に、二人で笑う。
草薙はゆっくりと車を発進させた。

「自分、今日はお休みなん?」
「いえ、午後からなんです。時間があったので、買い物に」
「さよか。セプター4は忙しそうやねえ」
「あーー、はい、まあ」

隣に並び、特に何を気負うこともなく言葉が往復する。
草薙は、ナマエの高校時代の先輩だった。
当時から良くしてもらっていたので、感覚としては近所のお兄ちゃんのような存在だ。

「昼飯は?もう食べてもうた?」
「お昼ですか?いえ、これからですけど」
「お、丁度ええわ。それやったら、このままHOMRAに来おへんか?上手い飯出したるで」

赤信号で停まった草薙の笑みに誘われ、ナマエは少しだけ躊躇した。
もちろんその申し出は嬉しいのだが、いかんせん立場というものがある。
ナマエがセプター4に入隊してから約一年、この間に赤の王の属領であるHOMRAに足を運んだことは一度もなかった。

「遠慮せんでええよ。こないなこと言うのもあれやけど、アンナと尊のついでやしな。あ、もしかしてあんまり時間あらへんか?」

一瞬押し黙ったナマエが言葉を選ぶ前にフォローされ、思わず頬を緩めた。
草薙はいつもこうだ。
ナマエがセプター4に入隊する前も、してからも。
立場など関係なく、昔のように声をかけてくれる。
もちろん現場で会えば馴れ合うようなことはしないし、互いの立場に干渉することもない。
だが、そうでない時は昔のままでいいのだと言ってくれているようで、ナマエにはそれが嬉しかった。

「いえ、時間は大丈夫です。出雲さんのごはん、食べたいです」
「よし、ほな鎮目町に向かうで」

駅に向かっていた車が、行き先を変える。
一応内密にされてはいるが淡島もHOMRAで酒を飲んだことがあるようだし、勤務時間外ならば立ち寄っても問題はないだろうと、ナマエはそれ以上セプター4と吠舞羅の関係について考慮するのをやめた。

「いつものトマトチキンカレーやねんけど、それでええか?何やったら別のもん作ったるけど」
「わ、やったあ。私、出雲さんのトマトチキンカレー大好きです」
「なんや自分。嬉しいこと言うてくれるなあ」
「あれ?前にも言いませんでしたっけ?」
「ん、何遍でも言うてくれてええよ」

くすくすと笑い合い、最近はなかなか取れていなかった懐かしい時間に浸る。
卒業してから何年も経ち、当然ナマエも草薙も、その立場も変わってしまったが、こうして個人として言葉を交わす時の関係性だけは変わっていないように思えた。

鎮目町に入りしばらく走ると、バーHOMRAが見えてくる。
草薙はナマエを店の前で降ろし、先に中に入っているように、と言い残して車を停めに行った。
ナマエが店のドアを開けると、カランとベルが鳴る。
その音に反応するように顔を上げた少女と目が合った。

「お邪魔します」
「ナマエ」

アンナが、驚いた様子もなくナマエの名を呼ぶ。
恐らく視えていたのだろう、ナマエはニコリと笑った。

「突然ごめんね、アンナちゃん。街で出雲さんに会って、連れて来てもらったんだ」
「うん。ナマエ、久しぶりに会えて嬉しい」

こっち、と手招きされ、ナマエはソファに座るアンナの隣に腰を下ろす。
店内には他に誰もいなかった。
久しぶりに訪ねたバーの雰囲気は、一年前とあまり変わらない。
ただ、この店には不釣り合いな雑貨、というかがらくたがまた少し増えたように見えた。
恐らくそれらは十束の趣味なのだろう。
変わっていない関係性を垣間見た気がして、ナマエは少し嬉しくなった。

「尊は?」
「寝てる」

ああそっか、とナマエは笑う。
周防は昔から、本当に寝てばかりだ。
しばらくすると、草薙が店に戻って来た。

「すぐ支度するから、ちぃと待っとってな」
「何か手伝いますか?」

買い物袋を片手に提げた草薙を見てナマエが立ち上がると、草薙は笑って手を振った。

「ええよええよ、のんびりしとき。……ほんま、うちの餓鬼どもに見習わせたいわ」

その言葉に、ナマエは血気盛んな吠舞羅のクランズマンを思い浮かべる。
確かに、店のことを手伝いそうな人相ではなかった。
待ち時間に、と草薙が作ってくれたレモネードを飲みながらアンナと話していると、やがてカレーのいい匂いが漂ってくる。

「もう出来るで。ナマエちゃん、悪いんやけど尊の馬鹿起こして来てもろてええか?二階で爆睡しとるはずやわ」
「あ、はーい。了解です」

ナマエはグラスを置き、立ち上がった。
階段を上りながら、ナマエは懐かしさに思わず笑う。
高校時代、ナマエは草薙に頼まれて頻繁に屋上で寝ている周防を起こしに行ったものだった。
周防の寝汚さは、卒業しようが成人しようが王になろうが、一向に変わらないらしい。
ナマエは意味がないと知りつつも、周防の部屋のドアをノックした。



prev|next

[Back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -