さよならはまだ言えない
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一昨年まで、今日という日はバーHOMRAが一年で一番盛り上がる日だった。
クリスマスや、十束の誕生日であるバレンタインデーも大賑わいだったけれど、やはり夏のこの日には敵わなかったように思う。

八月十三日。

今は亡き周防尊の、誕生日だ。


草薙が腕によりをかけて豪勢な食事を作り、十束が中心となって吠舞羅のメンバーでサプライズのプレゼントを用意した。
当の周防は、毎年の恒例だというのに祝われることに不慣れで、カウンターの端でいつものように仏頂面を崩さないままグラスを傾けていたけれど。
あちこちから向けられる「おめでとうございます」の言葉に、ほんの少しだけ口角を上げて、ほんの少しだけ照れ臭そうに、むず痒そうに肩を竦めていた。
いつもは何をしていなくとも存在感の塊みたいな男が、この日ばかりは周囲の勢いに飲まれて小さく見える。
だけど、いつもよりずっと機嫌が良くて、居心地が悪そうなのに愉しそうで。
そんならしくない姿を揶揄するのが、草薙の毎年の楽しみだった。



階段を降りてくるヒールの音に、草薙はグラスを洗う手を止めた。
流しっぱなしの水を止めたタイミングで、ナマエが顔を覗かせる。

「お姫さんは?」
「大丈夫。ちゃんと眠れたよ」

返ってきた答えに、ほっと安堵の息を吐いた。
ナマエがカウンターの上から布巾を取り上げ、先ほどまで所狭しと大皿が並んでいたテーブルを拭き始める。
それに倣うように、草薙も片付けに戻った。
使用した大量のグラスと皿を洗い、汚してしまったコンロを元通りに磨き上げる。
作業が終わる頃には、ペットボトルやら菓子の袋やらが散らばっていたホールの方も整然と綺麗になっていた。

「おおきに、助かったわ」

タオルで濡れた手を拭き、ようやく一息つく。
皆がいなくなった店内は、作業の音がなくなれば静まり返っていた。
暖色の照明が、妙に広く見えるホールを照らし出す。
時計を見れば、もうすぐ今日が終わるところだった。

「何かつまむもんいるか?」

背後のシェルフを振り返りながら訊ねれば、返ってくるノーの答え。
草薙は四つのグラスそれぞれに氷を入れ、ワイルドターキーのボトルを傾けた。
カウンターのスツールに腰を下ろしたナマエの前に、一つ。
今日一日、皆の視線の先にあった写真立ての前に、二つ。
最後の一つを持って、草薙はカウンターを出た。
ナマエの隣に腰掛け、写真立てに視線を向ける。
カウンターの前に並ぶ、周防と十束を収めた写真だ。
カメラを持つのは基本的にそれを趣味とする十束の役割だったから、彼が写っている写真というのは実はほとんどない。
これは、数少ない中の一枚だった。

揃って煙草を咥え、草薙のZippoでそれぞれに火をつける。
互いに一口ずつ吸ってから、二つ並んで置かれたグラスに同時に乾杯した。
四つのグラスが、かちん、と重なる。
草薙は殊更ゆっくりとグラスを持ち上げ、もう一度吸い込んだ煙を大きく吐き出してからグラスを傾けた。
舌の上を、独特の甘みが滑っていく。
飲み慣れたそれが、今日に限っては喉を焼いていくようだった。

「……八田ちゃん、飲んどったなあ」

尊さんが好きだったやつ、飲ませて下さい。
そう言われ、今飲んでいるものと同じ酒を、同じようにロックで出した。
一口舐めるように飲んだだけで、盛大に噎せていた。
それでも、結局はソーダ割りにしたターキーを、八田は静かに泣きながら最後まで飲み切っていた。
鎌本に支えられ、ふらふらになって帰ったから、今頃は家でくたばっているのだろう。

「美咲も二十一かあ」

お酒飲むところ、二人にも見せたかったね。
そう続いたナマエの言葉に、草薙は「せやな」と苦笑した。
きっと十束は八田のくせに生意気だ、とか何だとか言って八田を揶揄い、周防はそんな二人を見て鼻を鳴らしたのだろう。
叶うことのなかった未来が、容易に想像出来た。

祝われる男がいなくなっても、今日のHOMRAは貸切だった。
夕方から集まったメンバーで、周防と、そして十束との思い出話に花を咲かせた。
野球大会をした、海に行った、花火を見た。
どれも他愛のない、だが大切な思い出たちだ。
笑って、ふざけて、懐かしんで、少しだけ泣いて、また笑って。
メンバーは皆、思い思いに語り合っていた。
草薙はカウンターの内側で酒と料理を提供しながら、時折振られる会話に相槌を打った。
今二階で寝ているアンナは、ほとんど喋らずに話を聞いているだけだった。
多分一番泣いたのは八田で、一番笑ったのも八田だった。
強くなったと、そう感じた。

早々に一杯目が空になり、草薙は自分とナマエのグラスにターキーを注いだ。
カウンターの内側にいる時であれば必ずグラスを交換するが、今夜はそのままだった。

「二十六、か」

生きていれば今日、迎えるはずだった年齢。
元々実年齢よりも年上に見える男だったせいか、口にした数字に違和感はなかった。

「そりゃ、草薙さんも老けるよね」
「うっさいわ阿呆」

互いに覇気のない軽口の応酬。
それでも、口元には笑みが浮かんだ。
そう、今日は笑っていた方がいい。
小さなフレームの中、視線を外方に向けながらも、周防は微かに笑っているのだから。

「三十路目前でも、まだまだいけるで」
「うん。………うん、」

新しい煙草に火をつける。
隣で二度頷いたナマエの声が微かに震えたことには、気付かなかった振りをした。
写真立ての隣に並ぶ二つのグラスの中で氷が溶け、一口も減ることのない酒が少しずつ薄まっていく。
同じように、哀しみも、痛みも、薄まっていくのだろうか。
草薙にはまだ分からなかった。
涙は流れない、溜息も漏らさない。
その代わり、肺の底から吐き出した白い煙だけが、想いを乗せて静かに昇った。

誕生日おめでとさん、尊。

生きていた頃は、あまり言葉にしたことがなかった。
長い付き合い、腐れ縁。
何でこんな図体でかい男の誕生日祝わなあかんねん、そう言って、言葉にするのを避けていた気がする。
今思えば、気恥ずかしさもあったのだろうか。
ほんの少し前のことなのに、若かった、と感じてしまう辺り、やはり老けたのかもしれない。

「……あかんなあ、」

思わず漏れた独り言に、草薙は天井を仰いだ。
その天井の、見えないけれどさらに向こうで眠っているお姫様には、きちんと伝えていこう。
おめでとうと、ありがとうと、必ず。

「……草薙さん」
「なんや?」

視線を隣に向ければ、ナマエは肩越しに振り返って店全体を眺めていた。
いつも周防が惰眠を貪っていたソファ、十束が集めた妙なコレクション。
未だ色褪せない、彼らの記憶。

「もう一杯、飲も」
「……一杯と言わず、朝まで付き合うてや」
「そんな無理して大丈夫?三十路なのに」
「まだや阿呆」

懐かしい赤に包まれて、思わず笑みが零れる。
いつだったか、十束の弾くギターに合わせて皆で歌ったバースデーソングが、聴こえた気がした。







さよならはまだ言えない
- まだ、こんなにも、あたたかいから -



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