その温もりは誰が為
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朝起きてみると、世界に音がなかった。

それは、不気味な静けさではなく。
むしろ、美しく澄んだ静謐だった。

不思議に思って、部屋を出る。
そこには、一面の雪景色が広がっていた。

「わ……積もったんだ……」

昨晩から、随分冷え込むとは思っていた。
夜半に降り出した雨は、やがて雪に変わっていたらしい。
その雪も今は止み、柔らかな朝陽が中庭に積もった雪を照らしていた。

板張りの廊下を歩いて、勝手場に向かう。
この寒さでは、野菜を洗うのも一苦労だろう。
そんなことを考えながら渡殿を歩いていると、中庭の隅によく知る姿を見つけた。

真っ白な世界に佇む、黒の単衣。

「…斎藤さん?」

呟いた名前は、呼びかけというよりも独り言のようなものだったのに。
音が聞こえたのか、それとも気配を感じたのか。
斎藤さんが振り返り、私の姿を目に留めた。

「ミョウジか、おはよう」

さくさくと、草履が雪を潰す音と共に、斎藤さんが近付いて来る。

「おはようございます」
「早いな」

言葉を交わす度に、互いの口から白い息が漏れた。
今朝は本当に寒い。

「はい。朝餉の支度を、と思いまして」
「そうか」

斎藤さんが目を細め、微かに頷く。
その白い頬が少し朱に染まっているのは、寒いからだろう。

「斎藤さんは、どうされたのですか?あまりここに長くいては、風邪を引いてしまいますよ」

鍛えている男の人に対して、少し失礼な発言だったかもしれないけれど。
でも、誰だってこの寒さの中で長時間何もせず外にいれば身体が冷えてしまうだろう。

「朝餉にはまだ時間がありますし、一度お部屋に戻られるようでしたら熱いお茶をお持ちしますが、」
「…そう、だな」

私の提案に返ってきたのは、なんとも曖昧な回答で。
これは、お茶をご用意した方がいいということなのだろうか。
よく分からないけれど、ないよりはあった方がいいだろう。

「では、お部屋にお持ちしますね」

そう言って再び歩き出そうとした、その時。

「ミョウジ」

不意に、手首に感じた冷たさ。
驚いて振り向けば、斎藤さんが私の手首を掴んでいた。

「あの…?」

やはりお茶はいらないのだろうか、と首を傾げた私の前で。
斎藤さんは薄く笑い、私の手を握り直した。

「あの、斎藤さん?」
「……あんたの手は、温かいな」

何が何だか分かっていない私に向かって、斎藤さんが小さく呟く。
思わず、視線を繋がれた手に落とした。
確かに、私よりも斎藤さんの手の方がうんと冷たい。

「私は先程まで部屋にいましたから」

ずっと外にいた斎藤さんよりも温かいのは当然だと思う。
でも斎藤さんはゆっくりと首を振った。

「俺も、そう長い間外に出ていたわけではない」
「そう、なんですか?」

そのわりには、随分と冷えた手だった。
でも言われてみれば、それは今に限ったことではないかもしれない。
斎藤さんの手に触れたことなんて、数えるほどしかないけれど。
そういえば、いつも冷たかった気がする。

「俺はあんたに出会ってから、己の手が冷たいのだということを知った」

あんたの手は、温かいな、と。
斎藤さんはもう一度そう言ってから、するりと私の手を離した。

思わず、今度は私が手を伸ばしていた。

「ミョウジ?」

戸惑った様子の斎藤さんを尻目に、両手で斎藤さんの左手を包み込む。
手が冷たい人は心が温かい、なんて言うけれど。
本当にその通りだと思った。

「こうしていれば、同じ温度になると思いませんか?」

いつも、その手が握る刀に守られている私に出来ることなんて、限られているけれど。
少しでも、斎藤さんを温めることが出来ればいいと思った。

「……ああ、そうやもしれぬな」


そう言って、斎藤さんが穏やかに笑ったから。




その温もりは誰が為
- やがて、雪を溶かすまで -





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