ボツネタ集

途中まで書いてボツになったネタです、続きは期待しないで下さい。もし万が一続きが気になるネタがありましたら、こっそり教えて下さい。
名前変換機能なし、名前はデフォルト、もしくは変換タグのままです。



 K/宗像

「初めまして。この度新たな青の王、つまり君たちの王になった、宗像礼司です。以後よろしくお願いします」

慇懃無礼を極めたような口調で名乗り、曇天を貫いて大剣を吊り下げた男の凜然たる双眸を初めて目にした時、#1#は吐きそうなほど強烈な嫌悪感を覚えたことを今でも覚えている。
宗像礼司と名乗った長身の男は薄手のジャケットとベージュのパンツに身を包み、背後に豊満を絵に描いたようなグラマラスな女性を従えて、見ようによってはにこやかにも見える微笑で以て居並ぶ事務員たちを唖然とさせた。

雷を伴う集中豪雨を齎した曇天の中に荘厳な剣が浮かぶと、その周囲だけが穴を開けたように青空を覗かせ、雨が止む。
一条の陽光が差し込む中、濡れたアスファルトの上に姿勢良く立った宗像礼司は、頭上の剣を見上げて放心する者たちをざっと眺め、さも当然とばかりに言葉を続けた。

「早速ですが、こちらの資料を閲覧させて下さい。どなたか、案内をお願いします」

数拍の沈黙。
やがて、新しく自らの上官となった男に命令を下されたのだと遅ればせながらに理解した事務員たちが、示し合わせたかのように揃って背後を振り返った。
数歩離れた位置で突然の闖入者を注意深く観察していた#1#は、小さな人垣が割れたことにより、宗像と相対する。
宗像の視線が、自然と#1#に向けられた。

交わる視線。
#1#にとってそれは、自らの新たな王との邂逅ではなかった。
敢えて表現するならば、強大な敵と対峙した時の感覚に酷似していた。

藍色の髪、硬質なイメージを強める眼鏡に、紫紺の双眸。

違う、と思った。
あの人とは、何一つ重ならない。


羽張司令官。


#1#は心の中で、かつて自らが命を捧げると定め、唯一と信じた今は亡き王の名を呼んだ。
高潔で実直だった#1#の王は何も言わず、男にしては珍しい長髪を揺らして柔らかく笑った。


宗像の頭の天辺から爪先までを無遠慮に見遣ってから、#1#は徐に踵を返した。

「どうぞ」

ついて来い、という意図を正しく汲み取ったのか、宗像が背後の女性を従えたまま#1#の後を追って来る。
#1#はブーツの底で水溜りを跳ね上げながら、設備の大半が閉鎖された屯所の中に宗像を案内した。
#1#自身、椿門に足を運ぶのは随分と久しぶりだった。
一年と少し前、セプター4が解体されて以降、#1#は非時院に管理される形で御柱タワー勤務となっていた。
現状、椿門には事務員が僅かに残っているだけだ。
しかしこの前日、十一年振りに青の王のヴァイスマン偏差を感知した#1#は、新たな王がまず一番に足を運ぶのは椿門の屯所だろうと予測し、先回りした。
その結果は、予想と違わなかった。

本棟に入り、いつの間にか薄汚くなった情報処理室に宗像を案内する。
部屋を見渡した宗像は、手近な椅子に腰を下ろすとすぐさまパソコンを立ち上げ、データベースの確認を始めた。
#1#はその姿を、一言も言葉を発することなく後ろからただ見ていた。


いつか、こんな日が訪れるかもしれない。
それは、羽張迅と時を同じくして死んだ迦具都玄示の後を継ぐ形で新たな赤の王が誕生したと知った日から、ずっと考えていたことだった。
いつかきっと、青の王もまた新たに登場するのだろう、と。
それは全て石盤に託された運命であり、かつてのクランズマンの意向などほんの一欠片さえも反映されない。
彼らが望むか否かに関わらず、本人さえの意思さえ無視して、自然発生的に王は誕生する。
その結果が、#1#の目の前にある通りだった。


宗像はそれから丸三日、一時間とも睡眠を取らず、食事さえ口にすることなく、片っ端から資料を閲覧し続けた。
それは紙媒体からデータベースまで多岐に渡り、宗像は屯所に存在する全ての情報を掻き集めて脳に叩き込んだようだった。
何かに熱中すると、寝食など忘れてのめり込み、常人ではあり得ない集中力を発揮する。
そんなところは羽張に似ている、と感じた#1#は、次の瞬間即座にその所感を意識の外に投げ捨てた。


宗像礼司は石盤に喚ばれ、青の王になった。
それは純然たる事実であり、すでに変えることの出来ない過去の事象だ。
そして青の王になったからには、今後宗像が東京法務局戸籍課第四分室の頂点に立つことも、定められた暗黙の了解である。
#1#は、宗像の指示で資料を整理し直す事務員たちを眺めながら、ぼんやりと思惟を巡らせた。
今宗像は、三日ぶりに屯所から出て御柱タワーに向かっている。
再三に渡って寄せられていた黄金の王からの招聘に、ようやく応じることにしたらしい。
宗像のいなくなった情報処理室は、事務員たちの潜められた囁き声だけが微かに聞こえる、まるで嵐が去った後のような空間だった。
事実、彼らにとってはまさに文字通りの感覚なのだろう。
何の予兆もなく唐突に新たな王を名乗る男が現れ、迅速かつ的確な指示で資料を集め、まるで人間とは思えないようなスピードでそれらに目を通し続け、そしてこれまた唐突に、見慣れた青い意匠を纏って颯爽と屯所から出て行った。
残されたのは、資料を片付けておくように、という指示一つ。

「……もう、何が何だかって感じですね」

大量のファイルを両腕に抱えた男がぼそりと漏らした戸惑いに、#1#は何も答えなかった。
今この場にいる事務員たちと#1#との間には、明確すぎるほどの違いが一つある。
それは、今でこそ非時院指揮下の情報課員という肩書きを持つ#1#が、この場で唯一の元撃剣機動課の隊員である、ということだった。


「無断で申し訳ありませんが、あなたのことを少々調べさせて頂きました」

宗像が淡々と口にしたその言葉を額面通りに受け取るほど、#1#は馬鹿ではなかった。
「あなたのこと」ではなく「あなた方のこと」だということも、「少々」が宗像がその手に持つ権限を全て活用して得られる最大限だということも、よく分かっていた。



「時に、前青の王であった羽張迅という男は、どのような人でしたか?」

前、がいやに強調されて聞こえたのは#1#が宗像に抱く猜疑心のせいか、それとも宗像の細やかな嫌味なのか。
#1#には判別出来なかった。

羽張が、どのような男であったか。
それさえも、宗像は既に情報として掌握しているのだろう。
恐らく#1#に訊ねているのはパーソナルデータや経歴ではなく、隊員から見た羽張迅という王の姿なのだ。
そして#1#に、それを宗像に語って聞かせる義理はなかった。


我らセプター4、佩剣者たるの責務を遂行す。
聖域に乱在るを許さず、塵界に暴在るを許さず。
剣を以て剣を制す。我らが大義に曇りなし。



#1#は、幾度となく耳にした口上を以て、問いの答えとした。
頭の中で、もう十一年も聞いていない懐かしく穏やかな声が、同じ言葉を紡いだ。

「なるほど」

執務机の上で両手を組み合わせた宗像は、そう言って紫紺の双眸を微かに細めた。

「先ほど御前との会談で、非時院で預かって頂いていた後方支援部隊はそのまま私の指揮下に置くこと、また、撃剣機動課の再編については一切を私の采配で行うことが決定しました」

それは、かつて撃剣機動課に所属していた隊員を一切登用しない、という宣言に他ならなかった。
予想していたことではあったが、あまりにも自然と告げられた内容に、#1#は無意識のうちに宗像を睨み付ける。
思うところがないとは言えないが、かつての隊員たちは全て、#1#の同朋だ。
その彼らを無用とする処遇に憤りを覚えるなというのは無理な相談だった。
しかし、何を言っても無駄だということはよく分かっていた。
この男は、他者に説得されて揺るがすような意志の持ち主ではない。
初対面から四日で、正確に言えば顔を合わせたその時から、#1#は十分すぎるほどにそれを理解していた。

「だから君も辞めろ、と?」

#1#は何の感情も乗せないまま、たった今多くの人間の人生を一言で変えたにも関わらず涼しげな表情を崩さぬ宗像に問うた。
なるほど、そういうところは如何にも王様らしいのかもしれない。

「いえ、そうは言っていませんよ、#2#君。私はあなたに、選択肢を提示したいのです」

宗像の言う選択肢は、二つだった。
一つは、自主的に戸籍課を退職すること。
そしてもう一つは、撃剣機動課の隊員としてではなく、情報課の隊員としてセプター4に残ることだった。

「情報課、ですか」
「はい。あなたは今、非時院の情報課に所属している。しかし非時院に預けられた後方支援部隊は全て、本日付けで私の指揮下に移ります。私のクランズマンになるか否か、選択するのはあなたです」

組み合わせた両手の上に顎を乗せた宗像が、感情の読めない視線を#1#に向ける。
#1#は、その真意を探るようにレンズの奥を見つめた。

「……解せませんね。情報課は、剣機と並んで掌握しておきたい部隊のはずです。信頼出来ない私を置いておく理由は何ですか?」

宗像が残すと言っている後方支援部隊は、精々総務や庶務課といった、直接的に任務に関わることのない事務職のみのはずだ。
文字通り情報を扱う情報課は、撃剣機動部隊と並びセプター4の根幹を成す。
そこに旧体制時代のクランズマンを置くなど、組織を完全に掌握せんとする宗像にとっては要らぬリスクに他ならないだろう。

「おや。私はあなたを信頼しないとは言っていませんよ?」

くすり、と唇の端を持ち上げた宗像を見て、#1#は思わず鼻を鳴らした。

「白々しいことを」

この、自らよりも年若い男が自分を信頼していないことなど、#1#は言われるまでもなく知っていた。
当然だ。
#1#自身が宗像を、僅かたりとも信頼していないのだから。

「私はね、#2#君。ジョーカーというカードが嫌いなんですよ。しかし、自分の手の内には持っておくべきだと思っています」





2018/01/14 08:56



 K/宗像

からん、というベルの音と共に押し開いたドア。
薄暗い店内にざっと視線を巡らせ、カウンターの左端に見つけた背中に宗像はそっと口角を持ち上げた。
紛れもない偶然だが、それを狙った身としては幸運を実感する。

「いらっしゃいませ」

後ろ手にドアを閉め、宗像は真っ直ぐに店内を突っ切った。
顔見知りのバーテンダーに軽く会釈し、カウンターの手前で足を止める。

「こんばんは」

静かなバーに溶け込むよう、少し潜めて声を掛ければ、スツールに足を組んで腰掛けていた女性が振り返った。
驚いた様子で微かに見開かれた瞳が、すぐに柔らかく細まる。

「ご一緒しても?」

宗像が視線で彼女の隣を示せば、どうぞ、と是認が返ってきた。

「では、失礼します」

左端から二番目のスツールに腰を下ろす。
ちらりと彼女の手元を見遣れば、ブランデーをストレートで飲んでいることが分かった。

「ターキーをダブルで」
「畏まりました」

注文を初老のバーテンダー告げれば、低く落ち着いた声音と共に短く頷かれる。
無駄口を叩かず、ただ静かに酒を提供するバーテンダーと、彼の雰囲気をそのまま滲ませたようなバーを、宗像は気に入っていた。
やがて、汚れひとつない硝子の灰皿と、琥珀色の液体に満ちたロックグラスがカウンターに乗せられる。

「素敵な夜に、というのは少し気障でしょうか」

グラスを掲げて今度は明確に隣を見ると、彼女は薄く笑ってグラスを持ち上げた。

「何度目かの偶然に、」

その口上に、宗像は苦笑する。
しかし訂正はせず、乾杯、と囁いてからグラスを傾けた。
甘い熱で舌と喉を濡らしてから、グラスを置く。
ジャケットの内側から煙草とライターを取り出した。
ソフトケースを揺すって、一本飛び出した煙草を唇に咥える。
先端に火を翳し、橙に燃える先端を見つめながら深く息を吸い込んだ。
肺を満たした重い空気をしばらく溜め込んでから、ゆっくりと白い煙に変えて吐き出す。
右手の指に挟んだ煙草の先端から、細い紫煙が立ち昇っていた。


彼女の言う通り、これは何度目かの偶然だ。

初めて出会った時も、彼女はカウンターの左端に座って酒を飲んでいた。
宗像は、彼女との間に二席を挟んだスツールに腰掛けていた。
互いに一人酒だった。
三杯目のグラスを傾けながらこれで最後にしようかもう一杯頼もうかと思案していた宗像に、突然掛けられた声。
ねえ、一本貰っていい、と。
顔を向けた先、彼女が空になったらしい煙草の箱を軽く振って宗像を見ていた。
断る理由は特になかったので、宗像はまだ十本以上残りのあるソフトケースをカウンターに滑らせた。
彼女は短く礼を述べ、煙草を一本抜き取って唇に咥え火をつけた。
そこから、何となく言葉を交わした。
互いにもう一杯ずつグラスを重ね、宗像は結局計三本の煙草を彼女に差し出し、一時間ほどを共に過ごした。

バーで偶然出会った初対面の二人が、その時だけ知人のように言葉を交わして酒を飲む。
特段珍しくも何ともない、よくある話だった。




2018/01/14 08:55



 K/宗像

石盤が破壊された。
この世界から王権者が消えた。
宗像礼司はただの人間になり、クランズマンたちちは臣下ではなく部下になった。

だがそれは、はいお終いですね、と片付くほど簡単なことではないのだ。


「各地の被害状況です。あとこっちが対策本部のデータ」
「伏見君、」
「で、これが被害総額の概算で、」
「伏見君、」
「あと官邸からの招聘と、こっちが暴動鎮圧の報告書です」
「伏見君、私の話を聞く気は」
「ありません」

宗像は、二十四時間座りっぱなしの椅子の上で短く嘆息した。
デスクを挟んだ向かいには、目の下に隈をこさえた伏見が憤懣やる方ないといった様子で立っている。
ナイフで刺された右足がまだ痛むのか、軸が左に傾いていた。

「あんたが仕事しないのはいつもことですけどね。その書類全部終わるまではこの部屋から出しませんから」

どん、と新たに積まれた書類の束を眺め、宗像は苦笑する。

「伏見君、一度休憩にしませんか。お茶を用意しますから」
「いりませんからさっさと仕事して下さい」

取り付く島もない、とはまさにこのことだ。
宗像はわざとらしく、やれやれと頭を振った。

「ついこの間まで君は私が働き過ぎだと言って心配してくれていたのに。あの可愛らしい伏見君はどこに行ってしまったのでしょうか」
「……刺されたくなかったら黙ってもらえますか」

舌打ちと共に、物騒な脅し文句が返ってくる。
レンズ越しに見上げれば、機嫌の悪さが前面に押し出された顔があった。

「伏見君は酷いです。私はもう王ではないのですから、普通に疲れるんですよ?」
「王だった時も疲れてたでしょーが」

冗句混じりの不満を訴えてみた宗像は、予想外の切り返しに少し驚く。
てっきりおざなりに聞き流されるのかと思えば、伏見は今にも舌を鳴らしそうな形相で宗像を見下ろしていた。

「伏見、くん?」
「なんすか」
「……君、頭でも打ちましたか?」
「副長にもう一発殴ってもらってもいいんですよ」

容赦のない返答に、宗像は苦笑する。
眼鏡が吹き飛ぶ右ストレートは、出来ることならばもう勘弁してほしかった。

「あんたはオウサマやってた時も疲れてた。そんなことは知ってるんですよ。なんですか今更」

ったくめんどくせえ、と伏見は相変わらず上司の前で遠慮なく悪態を吐く。

「……まあいいですよ、勝手に茶でも何でも点てて下さい」
「休憩を頂けるのですか?」
「どうぞご勝手に。でも俺は付き合いませんからね」
「おや、伏見君はつれないですね」

宗像の非難などどこ吹く風、伏見は唐突に制服の内側からタンマツを取り出した。
手早く画面に指を滑らせ、筐体を耳元に近付ける。

「ーー 室長室だ、今すぐ来い」

伏見は見事に用件だけ告げ、恐らく相手の返事も待たずに通話を切った。
宗像は伏見の言動が理解出来ずに首を傾げる。
その口調から呼び出したのは部下だろうと察せられるが、その意図が分からない。

「じゃあ俺は行きますんで。この後法務局なんですよ」
「それは宜しくお願いしますが、今のは?」
「あんたの相手ですよ。どうせ一人じゃつまらないとか言い出すんでしょ」
「……なるほど、」

宗像が納得するが早いか、伏見は気怠げに踵を返した。
右足を僅かに引き摺りながら、豪奢な扉へと歩いて行く。
その扉を開けたところで、不意に伏見が肩越しに振り向いた。

「……分かるように、言え。分かるまで言え」
「はい?」
「ってのが、馬鹿なニンゲンからのアドバイスです」

宗像が意味を追及する前に、伏見の姿が扉の向こうへと消える。
その数秒後、扉が再びノックされた。





2015/12/28 01:23



 K/宗像

好きだ、とか、付き合って下さい、だとか、そんな明確な言葉はなかったと記憶している。
かといって、身体を重ねるだけの関係かといえば、そういうことでもない。
愛を囁かれたことはないが共に過ごす時間は多かったし、二人きりになれば職場ではお目に掛かれないような柔らかな笑みを見せてくれた。
部屋では名前を呼ばれ、他愛のない話をしながら触れ合い、同じベッドで夜を過ごした。
恋人という肩書きこそなかったものの、内実は交際をしている男女のような関係だった。

その関係性に名が欲しいと思ったことはない。
生娘ではないのだから今更恋愛がどうのと騒ぎ立てるつもりなど毛頭ないし、誰かに説明が必要なわけでもない。
周囲には決して悟られることなく、職場では単なる上司と部下。
部屋に戻れば、最も近い距離にいる男と女。
それでよかった。

宗像は、プライベートだと案外普通の男だった。
もちろん、秀麗な外見や不羈の才知は作り物でも何でもなく宗像の本質だ。
しかし、圧倒的な存在感や微塵の隙もない態度は王として意識された鎧であり、それを脱ぐと宗像は意外と感情豊かな普通の青年だった。
わりと下らないことで拗ねたり、向きになったり、はたまた可笑しそうに笑う。
青の王として見せる泰然とした微笑ではなく、口元に手を当てて吹き出すように笑う宗像は、初めて見た時に目を疑ったほど年相応だった。

宗像がユアに対して如何なる感情を抱いていたのか、ユアは知らない。
好きか嫌いかで言えば前者だっただろうが、部下に対する愛着以上の情が果たしてあったのかどうか、それが宗像の口から語られたことはなかった。
そこに不満はなかったし、敢えて確かめるつもりもなかった。
ユア自身の話をすれば、ユアは宗像のことが好きだ。
それは部下から上司への信頼でもなく、麾下から王への敬愛でもなく、女から男への愛慕だ。
しかしそれを宗像に伝えたことはなかった。

今、少しだけ後悔している。
もしも愛しているのだと伝えていれば、二人の関係性は変わらぬままに保たれていたのだろうか。
今も二人で同じ時間を過ごし、触れ合うことが出来たのだろうか。
王様の仮面を被った宗像を、笑わせることが出来たのだろうか。

答えは恐らく、否だろう。

ある時から宗像は、ユアを拒絶するようになった。
部屋に招くことも共に食事をとることも、もちろん同じベッドで眠ることもなくなった。
声を掛けても返されるのは上司としての言葉だけであり、ユアが言外に含めた情愛を汲み取ろうとはしなかった。
上司と部下、王と麾下。
二人の関係性はそれだけに収まり、男と女として相見える機会はなくなった。
付き合っていたわけではないのだから、別れたわけでもない。
ただ、特殊な関係が元に戻った、それだけのことなのだろう。

最後に宗像に触れたのは、もう随分と前のことだった。



「こちらが今週の分です」

差し出された書類を、ユアは黙って受け取った。
ヴァイスマン偏差観測班の男は、眉を寄せてすっかり困り顔になっている。
無理もないと思った。
そこには青の王の偏差値が、かつてないほど安定を欠いた状態で示されている。
もう、誤差の範囲だなんて誤魔化し方を出来る数値ではなかった。

「……口外しないように、」

ユアはそう言い置き、書類を片手に情報室を後にする。
何度見ても、それは周防尊の最期に酷似したグラフだった。
紙切れ一枚で対象の死期が読めるとは、なんと残酷なことだろうか。
その数字は、限界を如実に表していた。
いつもの通り口外を禁じてはみたものの、今更そんな配慮は必要ないのだろう。
宗像のダモクレスの剣の状態は、最早一般隊員や他色のクランにとっても周知の事実となりつつあった。
周防尊の死から約一年。
たった一年しか保たなかったのか、それとも一年も保ったのか。
ユアには分からなかった。
一つ確かなこととして、石盤の制御という重責がなければ、ここまで一気に状態が悪化することはなかっただろう。
一人で全てを背負い込んだ結果が、この数字だった。

毎週確認している、宗像のヴァイスマン偏差。
しかしそれは文字通り確認であり、このデータをもとに何か行動を起こしたことはなかった。
例えば以前のように気安く言葉を交わせる関係であったのならば、何か言えたかもしれない。
しかし今のユアは、宗像にとって単なる一人の部下に過ぎない。
これが宗像の認識していない事態ならまだしも、本人が一番理解している以上、ユアから宗像に進言出来ることは何もなかった。
まるで運命に身を任せるように、逆らうことなく限界へと近付いていくヴァイスマン偏差。
王の仮面を被ったまま、何事もないかのごとく振る舞う宗像。
仕方ないことだから諦めろとばかりに、振ってくる剣の破片。

「……生憎、そう諦めのいい人間じゃないんでね」

ユアは大理石の廊下に足早な靴音を響かせながら、手の中の書類を握り潰した。
こんな紙切れ一枚に示された運命を粛々と辿るつもりなど毛頭ない。
仕方がない、の一言で諦められるような命ではない。

だが、何をどうすればいいのか途方に暮れているのもまた事実だった。
王という絶対的な存在を崩さなくなった宗像に、ただの人間であるユアは何が出来るだろうか。
答えがあるのならば、既に行動に移している。
淡島や特務隊の面々、宗像を慕う全ての部下たちが、とっくに力を尽くしている。
誰も彼もが無力感に苛まれているのは、明確な答えが見つからないからだ。
ただ、宗像の意に沿うよう、少しでも宗像の負担を軽減出来るよう、職務に忠実であることしか出来ない。
それはあまりにちっぽけで、果たしてどれほど宗像の役に立っているというのか。






2015/12/10 18:11



 K/秋山

セプター4は、四日前から非常に面倒な事件を抱えていた。
それはもう、普段は任務中に隊員の私語を聞き付ければ厳しく叱責するはずの弁財が「もう帰りたいな……」と遠くを見て独り言を漏らす程度には面倒臭い事件だった。

事件を端的に説明するならば、連続窃盗である。
それだけならもちろん警察の管轄であり、セプター4には微塵も関係がないのだが、犯人がストレインであることがいけなかった。
二十六歳男性、職業フリーター。
そしてそのストレインの異能こそが、単純極まりない事件を厄介なものにした最大の要因である。
犯人の発現する異能は、自らの身体を完全に透過させる、というものだった。
俗な言葉で言えば、いつでも好きな時に透明人間になれる能力である。
SFか、下手をすれば三流アダルトコミックに登場するような話だが、それは想像の産物だから他人事のように受け止められるのであって、現実のものとなった途端に空恐ろしい能力だ。
自らの王を始め、日々訳の分からない異能と遭遇してばかりの隊員たちは今更動揺することもなかったが、流石に異能の正体を知った時には大なり小なり驚いた。
しかし、である。
透明人間になれるという、かなり大多数の人間が幼い頃に一度は憧れたような能力を手にしたその男は、良くも悪くもなぜか煩瑣な窃盗犯に成り下がった。
言ってしまえば、何だって出来たはずなのだ。
どこに忍び込むにも、何をするにも人に見咎められない。
例えばその能力を売り込めば、国内外を問わずあらゆる組織が大金を叩いてくれただろう。
同じ窃盗をするにしても、高価な宝石だとか一点ものの絵画だとか、一般的により価値があるとされる物を盗むことも容易なはずだった。
しかし犯人はなぜか、売っても精々小金にしかならない物しか盗まない。
これまで被害に遭ったのは、花屋の店先に並んだ鉢花だとか、雑貨屋のオルゴールだとか、スポーツ用品店に飾られていたランニングシューズだとか、その程度の物ばかりである。
最も高額の物でも、アクセサリーショップの指輪、約三万円だ。

セプター4が犯罪を取り締まる組織である以上、事件の大きさで臨む姿勢を変えることは許されない。
それが猫じゃらしを盗まれたペットショップの店員であろうが、電車で暴行を加えられたサラリーマンであろうが、被害者は被害者である。
隊員たちは全力で事件の捜査にあたり、犯人を確保するのが仕事だ。
実際、最初に今回のストレインの能力を知った道明寺は「透明人間?何それ面白いじゃんか。絶対俺が捕まえてやるー!」と意気込み、日高もそれに同調して拳を突き上げた。
しかし最初の事件から四日、未だに犯人逮捕の目処は立っていなかった。


セプター4に第一報が齎されたのは、十月十五日の午後一時半だった。
店の商品を盗まれたという店主からの通報を受けた警察官が、事情聴取の結果、犯行にストレインの介在を判断し、セプター4に入電。
事件の概要は、黒いキャップを被った二十代半ばの男が店から商品の腕時計を盗んで逃げたので追い掛けると、その男が目の前で突然消えた、というものだった。
俊足で走り去ったとか人混みに紛れたとか、そういうことではなく、忽然と姿を消したのだ、と。
何らかの異能が関わっていることは間違いないと見て、セプター4は現場に急行した。
犯人が消えたという場所を調査し、異能の気配を探った。
しかし生憎何の手掛かりも得られず、その場は撤収。
改めて店主から話を聞き、男の特徴を元に犯人捜索が始まった。
街頭カメラのチェック、聞き込み、地道な捜査だ。

そうこうしているうちに、午後六時過ぎ、再び屯所に警察庁通信指令センターからの入電があった。
今度もまた窃盗で、犯人は店から出た途端に姿を消したという。
盗まれたのは家電量販店の炊飯器、店の位置は昼の時計屋から一キロメール弱の距離。
同一犯による犯行と見做された。
今度も現場に異能の痕跡を見つけることは出来なかったが、幸いなことに家電量販店の監視カメラに犯人の姿が映っていた。
黒いキャップを被った、二十代半ばの男性。
時計屋の店主の証言とも一致するその男が、炊飯器の入った段ボールを抱えて店を出て行く姿が残っていた。

屯所に持ち帰った映像を解析した結果、犯人の割り出しはすぐに済んだ。
塚原遼太郎、二十六歳男性、職業フリーター。
過去の犯罪歴はなし。
大学卒業後にアルバイトを転々として今に至るという、言ってしまえばどこにでもいるような男だった。
淡島が非番のため捜査の指揮を執っていた伏見は、すぐさま隊を従えて塚原の自宅に突入。
しかし家には誰もいなかった。
結局また地道な捜索を余儀なくされ、しかし今度は塚原の親族、交友関係を中心に聞き取りが行われた。
大学の同窓やアルバイトの職場仲間等、塚原の交友関係はそれなりに広かったがその分浅く、どこからも有力な情報は得られない。
両親の住む実家は静岡にあり、弁財と榎本が話を聞きに赴いたが、塚原はここ数年両親とは電話で話すことすらしていなかったらしく、最近の塚原の様子など何も把握していなかった。

そして、一向に進まない捜査に伏見が焦れ始めた午後十一時、二度あることは三度あるとばかりに、屯所に再び窃盗事件の通報が入った。
今度はドラックストアのシェービングクリームである。
その段階ですでに、伏見の苛立ちは最高潮まで達していた。


それからさらに三日連続で、同一犯によるものと思われる窃盗事件が相次いでいる。
一日に三回、昼過ぎ、宵の口、そして深夜。
計ったかのようにほぼ同時刻に、さほど高価なものではない商品が様々な店から盗まれていく。
現場に急行したところで犯人の姿はすでになく、捜査は難航した。



十月十九日。

今日も今日とて、セプター4の受理台は昼過ぎに緊急出動を発令した。
学生時代に毎日耳にした学校のチャイムのごとく、もはや聞き慣れてしまった音とタイミングである。

「あーーもう、またかよっ」

うんざり、という表現が最も適切だろう。
道明寺が緩いウェーブのかかった髪を掻き毟った。

「もう、何件目ですかねえ」
「……十三件目だ」

五島と布施が、それぞれ溜息を吐きながら窓の外を見やる。
忌々しいほどの快晴が広がっていた。

「行くぞ」
「どうせ無駄だけどな」

秋山の声掛けに、道明寺が投げやりに答えて立ち上がる。
その側で、弁財と加茂も腰を上げた。
真面目で職務に忠実な二人にしては、かなり緩慢な所作だった。
通常ならば駆け出さん勢いで情報室を出て行くはずの彼らが、幾分かげんなりとした様子で扉に向かう。
四日間に渡る捜査は、隊員の士気を大幅に下げていた。

初日の段階で、すでに正攻法ではどうにもならないことが誰の目にも明らかとなっていた。
伏見はユアと共に、すぐさま善後策の検討に入った。
映像解析、過去のストレイン犯罪との照合、目撃者への綿密な聞き取り調査。
その翌日も発生した事件を徹底的に調査し、二日目の夜にして監視カメラの映像から犯人の異能を分析するに至った。
それが、身体を透過させることの出来る能力である。
その段階ではまだ、隊員たちの士気も十分だった。

伏見とユアは犯人の行動範囲や異能を分析し、その結果、能力の使用にはある程度の制限があることを見抜いた。
正確には分からないが、ある一定時間しか身体を透過させることは出来ず、そして一度能力を発現させれば次の発現までにはまた一定の時間が必要となる。

伏見は、現場と総指揮をそれぞれローテーション制にした。
まずはチームを三つ作り、Aチームを秋山弁財、Bチームを加茂道明寺、Cチームを布施日高とし、それぞれに剣機小隊を一つずつセットにした。
事件発生の回数に合わせ、三交代制。
昼はAとBチーム、夕方はBとCチーム、そして深夜をAとCチームで分担する。
さらに屯所及び指揮情報車での総指揮を淡島、伏見、ユアでローテーションさせた。



2015/10/17 00:55



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