気まぐれで、気まま
何がどうなればこんな状況になるんだろう。目の前には奇抜なメイクをほどこし、赤い髪を立たせたお兄さん。どうやらコーヒーを飲んでいた所らしい。その膝の上に横座りした状態の私。

…男の人の膝って固いんだなあ。

ぽかんとしたお兄さんの顔を眺めつつ、負けず劣らずのぽかん顔を晒してどうでもいい事を考えていた。

それでもお兄さんのぽかん顔は一瞬で、ゆるやかな動きでコーヒーカップをテーブルの上に置き、「にっこり」という表現が当てはまる笑顔で口を開いた。


「やあお嬢さん、一体どこから現れたんだい?」

「私にも何がなんだか………すみません…!今すぐ降ります…!」


慌てて膝から降りようと腰を浮かす。スッと何かが腰から離れた気がして、視線だけ自分の背後、お兄さんの右腕側を見た。

…トランプ?


*****


「つまりナオ、キミが座椅子に腰掛けて朝食をとろうとしたら座椅子がボクに変わっていた、という事でいいのかな?」

「はい、そうですヒソカさん」


混乱と緊張のあまり、しどろもどろになる私の話を根気よく聞いて、簡潔にまとめてくれたお兄さん、もといヒソカさん。
ヒソカさんにも、今の状況に至るまでの経緯を色々と質問された、が、きちんと答えられるものはごく少数だった。
とんでもない話だと思うが、何より当の本人である私にもよく分からないのである。

それにしても、軽く自己紹介したとは言え、初っ端から呼び捨てにされる事に慣れていない日本人なので、それも緊張である。
社会人をして早数年。呼び捨てどころか下の名前で呼ばれる事すら珍しいので、自分の名前なのに何だか落ち着かない。


「ナオ?」

「わっ!はい!すみません!」

「いやいいよ。キミはよく謝るねぇ」

「えっ、そ、うですかね?すみません…」

「ホラまた」


長い脚を組んでイスに座り、膝に立てた肘で顎をついて、くつくつと喉で笑うヒソカさん。
片や、カーペットの敷かれた床の上で正座だ。強制されたわけではないが状況が状況なので自ずとこうなった。この状況下でイスに座るなど誰が出来ようか。

探るような、むしろ全身を舐めるように注がれる視線。居心地の悪さを感じつつも、立場的にそうされても仕方がないのは分かっている。
じりじりと耐えていたら、不意にヒソカさんの視線がチラリと私の後ろを見た。

もうこんな時間だ、と呟き、すっと立ち上がる。
脚の長さからして長身なんだろうなと予想はしていたが、本当にこの人、背が高い。ほぼ真上を見るくらいに首を上げていると、切れ長の瞳と口を弓なり曲げ、笑みを向けられた。


「ボクは少し出掛けるよ。キミは好きにしたらいい」

「えっ、えっ、好きにって」

「そのままの意味さ。じゃあね」


ひらひらと優雅に手を振りながら出て行く後姿と、無情にも閉められる扉を、ただ眺めることしか出来なかった。


「好きにったって…」


がらんとした部屋にぽつんと残されたこの状況で、どう好きにしたらいいのか本気で分からない。おずおずと部屋を見渡し、そっと窓に近付く。

…こんな景色、我が家から見えたことなどない。見覚えのなさすぎる景色だ。
それに加えて、ものすごく高い。もしかして、と言わずとも高級な場所だということは。ヘタすればさらに「超」が付くかも。

高級物件に詳しくない私でも分かる。この内装といい高さといい、ブルジョアな方々が利用する所だということくらいは…!

元より触るつもりなどなかったが 下手に動いて何か壊しでもしたら一大事だ。
ギッ、と体により一層の緊張感をプラスさせて頭をフル回転させる。

出て行った方がいいのか。それはもちろんそうだろう。いやでも鍵を掛けられない。人様の部屋でそんな不用心なことなど出来ない。それ以前に私が不審人物ではあるが。
ヒソカさんもよくこんな見ず知らずの、よく分からない登場の仕方をした女を一人置いたままに出来たものだ。

それにしてもヒソカさんはどこへ出掛けたんだろう。自己紹介の時になんて言ってたっけ…。

『ボクはキジュツシ、ヒソカ』

キジュツシ…キジュツシ…?…奇術師…かな。
テンパりすぎて漢字変換が上手く出来ていなかったが、奇術師さんだったのか。つまりマジシャンってことよね。
だからあんなメイクと格好をしていたのか。なるほど。
じゃあ今はショーに出たりしているのだろうか。だったら戻ってくるのは2、3時間後くらいかな。


「考える時間はあっても、どうすればいいのか答えが分からないからなあ…」


弾き出した時間も、ただの憶測だ。それ以上遅くなる可能性だってある。今はまだ太陽が出ているが、日が落ちてしまえば行動を起こすにも身動きが取りづらくなってしまうだろうし…。



ぐうう。

…考えないようにしていたのに、とうとう体の方が根を上げてしまった。
ここに来てから結構な時間が経っている。日の高さからして昼を過ぎたくらいだろうか。
朝ごはんを食べる直前にこの事態に遭遇してしまったので、結局食べれず終いだったのだ。


「だめだ…考えないようにすればするほど考えちゃう…」


ぎゅるぎゅると、女子力なんて関係ないとばかりに鳴るお腹を押さえて溜息を吐いた、その時。

ピンポーン、と軽快な音が静寂を破った。


*****


「御注文されたものは以上になります。ごゆっくりお召し上がりください」


では、と綺麗に一礼して出て行くお姉さんの後姿をただ見つめる。今日はやたら人の後姿を見る日だ。

目の前に並べられた湯気の昇る美味しそうな料理の数々。言わずもがな、お姉さんが持ってきて並べてくれたのだ。

ルームサービス、なのだろうか。ヒソカさんが帰ってきた時に、すぐ食べられるようにしていたのかもしれない。

あ、じゃあもう帰ってくるのかな。どうしよう、これからどうするか答えが出ていないのに。それにしてもいい匂いだなあ!


「おや、なんだ食べないのかい?」

「う、ヒェッ」


テーブルを前に唸っていたら、不意に掛けられた声に思い切り変な声が出てしまった。後ろを見れば平然と立っているヒソカさん。え、今ドアの音とかした?気配とかなかったような?

頭にはてなマークを浮かべている私など気にも留めず、テーブルの上に並んでいる料理と私を順番に見て、これ好きじゃなかった?別の注文する?とメニュー表のようなものを眺めている。


「や、あの、好き…です、すごく美味しそうで…。でも、そんな…」

「なら問題ないじゃないか。それともいらない?」

「欲しいです…。あの、その、でも…いいんですか…?」

「その為に注文したんだ。たんとおあがり」

「ありがとうございます…!すみません、いただきます…!」

「ハイハイ」


くつくつと喉を鳴らすヒソカさんに恥ずかしさを覚えながらも、結局は三大欲求の一つには抗えませんでした。

奇抜なメイクと珍奇な格好をしている奇術師さんと、不可思議な登場の仕方をした寝巻き姿の珍妙な私。はたから見れば不自然極まりない取り合わせの私達は、顔を付き合わせて見た目通り美味しい料理に舌鼓を打った。

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