淡いブルーを基調にした待合室。青には鎮静効果があるとどこかで聞いた事がある。色のおかげで病院という緊張する所なのに落ち着いていられるのかもしれない。まあ病院と言っても動物病院なのだけれど。

私と私の両隣にいる佐助と元ふくろうだった少年は上杉動物病院にいる。

上杉先生は武田荘のペット達の事情を知る数少ない人物であり、信玄さんの古い友人だそうでよくお世話になっている方だ。
中性的な美人で紳士的な先生なので主に女性達から絶大な人気を誇る病院でもある。

右側の袖が引っ張られ、つられて視線も付いていく。佐助だ。どうしたの?と小首を傾げるが佐助の顔は私の方通り過ぎ、そのまま左隣に向けられている。ふくろうの彼に向けて。

裸同然だった彼に佐助の服を着せて一緒に連れてきた。佐助は何故そいつも連れて行くのかと喚いたが、この子を1人家に残したままよりはいいだろうと判断。

納得いかないとぶすくれる佐助を何とか宥めてやってきていた。ぴりぴりと肌を刺す緊張感。う〜ん…。どうしたもんかなあ。



時計のコチコチと固い音が響く。いつも混み合っている待合室も今は私達しかいない。受診時間はとうに終わっていたのだが無理を言って開けていただいた。

昼間であれば淡いカーテン越しの日差しが気持ち良く満たしている室内も、今は蛍光灯の明かりが着いているだけ。時折、外を走る車のライトが駆け抜けていった。


「はいれ」


診療室の扉を開けて顔を覗かせたのは上杉先生の親戚であるかすがちゃん。小さいのに上杉先生のお手伝いをしているとてもしっかりした女の子。彼女に合わせて作られた特注の白衣がとてもよく似合っている。小さなナースの指示に従って私達は診療室に入った。


「夜分に押し掛けてしまってすみません先生」


シャープな造りのイスに座る上杉先生。くるりと回転し、私の姿を捉えると涼しげな目元を細めた。


「おまえのたのみであれば、きかないわけにはいきません」


悩殺スマイルと一緒にそんな事を言われて腰が砕けない女性がいたら是非お目にかかりたい。どうしたのですか、と訊ねてきた先生に未だクラクラする頭を振って、この数時間の出来事を説明した。


「そうですか…」


先生がイスの背もたれに寄りかかる。微かな軋みだけが診察室内に響く。

私の両手にはそれぞれ治療が施されていて少し動かしづらいが仕方ない。上杉先生は動物専門だがこの程度の治療なら出来るらしく診て下さった。

傷は浅く痕も残らないとの事で安堵の息をこぼす。痕が残らなくてよかった。

もし残ってしまったら、それを目にするたび優しい仔狐は胸を痛めてしまうだろうから。

微かな息の漏れる音。安堵したのは私だけではなかった。もう1人の彼につけられた左手の包帯下の傷。

指先だけで赤褐色の髪に触れる。拒否らしき仕草がないのを確認して、そっと小さな頭を撫でた。


「大丈夫だよ」


見上げられた顔の半分は前髪で隠れている。だけど微かに覗いた頬は赤くて、控えめな口がきゅうと噛み締められたので、血が出ちゃうよと曲げた指の背で頬をこする。一層赤く、噛み締められた口に苦笑してしまった。



本来の姿では分からなかったが、少年の体には小さな傷がいくつかあったので一緒に診ていただいた。


元は野生動物。無防備な体を触られるのを嫌がり抵抗していたが、後ろからそっと抱き込んで膝に乗せたらびっくりするほど大人しくなった。大人しいと言うより緊張に近いのかな。夜のスナイパーと称されるふくろうの彼にとって背中を取られる事なんて無かっただろうから。

噛み傷覚悟の長期戦のつもりで挑んだが治療はすぐに完了した。


「おわりましたよ」


上杉先生の声に強張っていた彼の体が一気に弛緩したのと同時に、無意識に詰めていた息を零す。緊張していたのは私もおあいこだ。そう言えば佐助が治療する時もいつもこんな感じだったなあ。


「あき、こいつになまえはないのか?」


先生の隣で治療のお手伝いをしてくれていたかすがちゃんが問う。真っ直ぐ向けられた瞳の中は好奇心で輝き、まるで宝石みたい。


「どうだろ?野生の子だから名前あるのかなあ」


そうか…、と心なしかしょんぼりするかすがちゃん。もしかしたら名前はあるのかもしれない。だけど、


(この子、声、出してないんだよね…)


出会ってから数時間が経っているんだけど、その間を思い返してみても声を聞いた覚えがない。威嚇の時や、治療中に出るであろう微かな呻き声でさえ。
自然の中で生きる事。それはきっと想像もつかないほど壮絶なのだろう。だから声が出ないのか、あるいは出さないのか、何か理由があるのかもしれない。

佐助にも辛い過去がある。佐助とあまり歳の変わらないこの子もそうなのかもしれないと思うと胸の奥がきゅうと痛んだ。

治療の様子を後ろで見ていた佐助がそっと私の腰に腕を回し、背中に寄り添う。こつんとおでこを寄せてから、ぐりぐりと顔をこすりつけた。

無言で、だけど何かを伝えるような仕草。左腕で膝に乗った少年を支えながら、空いた右手を佐助の手と重ねる。包み込むようにして置いた手の中で、小さな手が私の親指をぎゅうと握った。


少年のお腹に添えた手の上に小さな手の平が添えられる。ちょんと乗せられたそれに、「なあに?」と少年に訊ねると、少年はパクパクと口を動かした。

何かを伝えようと緩慢な動きながらも必死に動く口。少年が喋ろうとしたのはその時が初めてで、みんな真剣に少年を見つめるが口の動きとは反対に音はひとつも零れなかった。はくはくと細切れにされる空気。
みんなが一様に首を傾げる姿に少年はしょんぼりと肩を落としたのも束の間、お腹に添えていた私の手を取り、自分の口元へ持っていった。


「おまえ!また…!」

「待って」


低い唸り声を漏らす佐助を片手で宥めながら少年の様子を窺う。手の平には柔らかい唇の感触。押し当てられたそれがゆっくりと動く。

些細な動きひとつ見落とさないよう、手の平に全神経を集中させた。

開いては窄まり、また開いては突き出される唇。動きそのものは自分の手の平で見えない。しかし目で追っている時よりも彼の声が聞こえたような気がした。


「こ、た、ろう…」


ぽろりと出た言葉に少年は勢いよく見上げ、ぶんぶんと頭を上下に振る。やっと伝わったのが嬉しいのだろう、頬は紅潮して喜色しているのが目に見えて分かった。

感情表現が希薄だっただけにこの反応はなんだか嬉しい。


「そっかそっか、小太郎くんかあ」


赤くなったほっぺを両手で包んで、むにゃむにゃ押しつぶしてやる。佐助に負けず劣らずのマシュマロほっぺだ。

あわあわしていた小太郎がそっと自分の手を重ねて私を見上げる。

あ、ちょっと調子にのりすぎちゃったかな。ひやりと背中が寒くなる。小太郎はほっぺに添えた手で自ら顔を隠すように縮こまってしまった。


小太郎くん…?覚悟を決めて、顔を隠していた手を恐る恐る離す。そこには覚悟をしていた嫌悪も怒りもなく、はにかんで微かに口元を緩めた姿があって。

出会ってから初めて見せてくれた小さな笑みに思わず抱き上げて頬ずりをしてしまった。



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