ざり、ざり、ざり。

頬に痛痒い感触と耳に届く奇妙な音。私の意識を覚醒の淵へと引き上げようとするそれに、まだ睡眠を欲する頭と体は無意識に手で払う。温かい何かが手に当たり、一度は止んだその攻撃もまたしばらくすると再開される。

もー…何なのよー…。

些か不機嫌になりつつ、重い瞼を上げようとしたら生暖かい何かがベロリと顔面を這った。


「わっぷ!えっ、なになになに!?」

「おー、起きたか」

「…う、お?」

「なんだその一人動物王国状態は」


肩から毛布にくるまった寝ぼけ眼の元親くんと、毛布を頭から被り、呆れ顔で私を見る政宗くん。しかし覆いきれていない所からぴょこんと黒髪がはみ出している。

おお、寝癖ついてる政宗くんなんて初めて見た。

貴重だなあと軽い感動を味わっていたら、ようやく自分の体が重たい事に気付く。特に膝から胸にかけて重たい。

視線を落とすと胸に両前足をかけ、きらきらと見上げてくる犬姿の幸村がいた。


そのお尻には狐姿の佐助が下敷きになっている。尻尾をぶんぶん振って顔を舐めにきそうな幸村と、恐らく下敷きになっている事さえ気付かれていない佐助を慌てて抱き上げた。

はふ、はふ、と呼吸を整える佐助に幸村は「どうしたの?」ときょとりと首を傾げてみせる。無邪気というのは時に残酷だ。

きっと佐助も同じ事を考えているんだろうなあと苦笑いを浮かべていると視界に映った一筋の濃灰線。小十郎さんの尻尾だ。

音もなく隣に着地した彼は静かに私を見上げている。どうやら頬の痛痒い感触は彼の舌だったのだろう。


「確かに一人動物王国だ」


両腕に佐助と幸村、傍らに小十郎さん。六つの瞳に見つめられて、へらりと表情を崩すともう一つの姿が見えない事に気付いた。


「あれ?元就は?」

「それがさっきから探してんだが見つかんなくてよ」


団体行動苦手だからなあと辺りを見回す元親くんに、何の気なしに疑問を投げかける。


「違う部屋にいるんじゃないの?」

「いや、ドアとか開けられねえだろ」

「人間になったら開けられるでしょ?」

「は?」

「へ?あれ?違うの?」


ぽかんと見つめる隻眼に、私もまだ元就には会ってないけど、と訂正したら今度は政宗くんが食い付いてきた。


「ちょっと待て、元就には、って事は小十郎はもう人間になったのか!?」

「小十郎さん、政宗くんに会う前に戻っちゃったの?」


がくがく揺さぶってくる政宗くんを宥めつつ、濃灰の君に視線をやると鋭い双眸に微かな困惑の色を乗せている。しかし意を決したのか前足をぐっと踏み込み、その場でくるりと回転して見せた。

しなやかで無駄のない動き。目を奪われていた次の瞬間、猫のいた場所には片膝を付いて頭を下げている男性の姿があった。


「こ、小十郎…か?」

「はっ」


未だ頭を下げている男性の肩にゆっくりと手をかける。小十郎さんから感じる戸惑い。政宗くんの反応が気になるのだろう。固唾をのんで二人の様子を見つめる。

暫しの静寂。差し込む陽光だけが場違いにのんびりしている。先に口火を切ったのは飼い主だった。


「お前…耳と尻尾はどうした!?」


は?


みんなの気持ちを言葉にするなら正にこれだろう。言葉を発した只一人を除いては。

普段から凛々しく締まっている小十郎さんでさえ切れ長の双眸を真ん丸に見開いて主を見上げていた。少しだけ開かれた口がより不意を打たれた事を物語っている。いや、この場にいた人みんなだと思うけど。


「別に野郎の猫耳が見たい訳じゃねえが、佐助や幸村に付いてんだからお前にも付いてねえのか気になるだろ」


茫然とした空気を気にするでもなく至極真面目に続ける政宗くん。我に返ってから私も小十郎さんに目を向ける。

彼には佐助や幸村のように元の姿を表す耳や尻尾が見当たらない。猫の時と変わらないものと言えば左頬の傷くらいで、あとは人間と変わらない。

そういえば服だってジーパンに上は黒のVネックとシンプルだがきちんと着込んでいる。佐助だって始めは服を着てはいたが薄着でここまでしっかりしたものではなかった。幸村に至っては真っ裸だったし。

どうして?やはりこの疑問に答えるのも答えられるのも佐助しかいなかった。





狐と猫は群を抜いて力を持った種族で、どうやら小十郎さんは佐助同様、強く力を持っていたみたい。

さらに生きた年数と力に対して無自覚だった事もあって相当な力を溜め込んでいたらしい。それが人化した際、より完璧な「人間」として変身出来たようなのだ。


「おれさまよりつよいちから、はじめてみた」


ほあー、と感嘆の声を上げる佐助。しかしそれ以上に驚いているのは小十郎さん本人で不思議そうに人と変わらない耳を触っている。

飼い主組も「へえー」とか「すげー」しか言えない。しかし3つ上がるはずの声がひとつ足りない事に気付いた。


「元親くん?」


振り向いたそこに呼んだ人の姿はなく、掛けていた毛布だけがそのままの形で残っている。まだ微かな温もりを残した毛布に首を傾げていると、カチャリと控えめな音を立ててリビングのドアが開いた。


「あー…」

「元親くん、元就、いた?」


朝から姿を見せない元就を探しに行っていたのだろう。しかしどこか困惑した顔で頭を掻いている。その表情の意味する事が分からなくて次の言葉を待っていたが、それより先に佐助が声を上げた。


「もとなり!」


瞬時に人化して声を上げる佐助。私の膝でごろごろしていた幸村も突然の大声に驚いて、ぽん!と幼子に姿を変えた。びっくりして髪を膨らませている幸村の頭を撫でて宥めながら視線を向ける。


「やっぱそうか」


呟いた元親くんの少し後ろ、そこにはダボダボのパーカーに身を包んだ少年がいた。

駆け寄った佐助と、元就と呼ばれた少年の身長はさほど変わらず歳は佐助と同じかひとつふたつ上だろうか。

茶の髪はおかっぱよりも少しだけ長く、普段の元就の態度を表すかのように毛先が外へツンツン跳ねている。頬や体付きは子ども特有の丸みを帯びているものの、どこか冷たさを抱かせる表情が実年齢よりも上に見せた。

捲り上げた袖は手首から肘あたりで大きくだぼつき、やっと手を出しているといった状態。裾も引きずりはしないものの、細いくるぶしが見えてしまっている。

明らかに少年の物ではないそれは隣に立つ彼が羽織っていたパーカーだというのは一目瞭然。

元親くんの上着は前を締めても大きくて、ずれては襟刳りから小さなむき出しの肩が覗く。

やっとサイズが違うにも関わらずそんなパーカーを着ている理由に気付き、あの格好では寒いだろうとリビングと隣接している和室に繋がる襖へ手を掛けた。寝室として使っているそこにタンスが置いてあるのだ。

たぶん佐助の服で間に合うだろう。元親くんも私の行動を察していくらか安堵したようだった。



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