仕事帰り、チカチカと点いては消える街灯の下でぽつんと佇む一匹の子犬を見つけた。
有名な某名犬のように飼い主の帰りを待っているのかと思ったが、薄汚れてみすぼらしいその風体から明らかに野良だと分かる。
視線を向けたまま前を通り過ぎようとしたら気配を感じ取ったらしい小さな生き物と目が合った。その一瞬、黒目がちな大きな瞳に私が映り込む。
しかし私が逸らすよりも早く、子犬は下を向いてしまった。
(自分から逸らすなんて変な犬)
やはり野良なのだろう。しかし、不思議だ。野良のくせに警戒する素振りも媚びる様子も見せず、ただ静かに俯くなんて。まるで全てを諦めてるみたい。
ゆっくりだが歩みを止めなかった足に少しずつ街灯が後ろに流れていく。点いては消え、点いては消えを繰り返す頼り無げなその下には変わらない気配。
次の街灯で夜道を照らす明かりは終わりだが、そこを左に曲がれば家だ。もう目と鼻の先。しかし私の足は、いつの間にか向かっていた進行方向と逆に向かっていた。
「…ね、きみ、うち来る?」
瞳の中に今度は真正面から映り込んだ。そっと伸ばした手を黒い双眸が見つめる。
とん、と小さな頭に軽く触れた指先からふわりと柔らかく、温かい感触。拒まれなかったそれに小さく安堵の息を零した。
小さな客人を連れて帰って来たのは住み始めて3年と少しのアパートで我が家。
部屋数はあまり無く、こじんまりとしているがその分他の居住者達とも仲がいいし、何より大家のおじさんは無類の動物好きなのでペットオーケーという素晴らしいアパートなのだ。
ペット好きにはたまらない物件の中、唯一飼っていなかったのは私ぐらいだったが。
遠慮無く上がってよと後ろをひょこひょこ付いて来ていた客人に目を向けて、思わず失笑。
夜道では分からなかったが所々が煤けて、こびりついた泥で毛が絡まってしまっている。私の胸中を察したのか慌てて前足で顔をこするがあまり効果はないようだ。
「ご飯の前にまずお風呂かなあ」
玄関でお行儀良く待っていた客人を抱き上げて、風呂場に直行した。
「きみだいぶ汚れてたんだねえ」
ぬるま湯をちょろちょろと当てたそばから流れていく湯に煤けた色がついている。水を怖がるかと思ったが暴れる様子は全く見せない。
以前、大家のおじさんの犬を洗った時はそれはもう大変だった。ふ…とそう昔ではない記憶に目線を遠くに投げながら、その時余ったペット用シャンプーを少量手に取る。
手早く泡立てて体を洗っても、やはり嫌がる素振りは見せない。それどころか気持ち良さそうにうとうとし始めるくらいだ。
こんな犬もいるんだなあと感心しながらお腹側を洗う為に仰向けにさせる。
「あ、おとこのこ」
泡で隠れていた性別を示すそれに気付かず、洗っていた手が不意に触れてしまった。瞬間びくりと小さな体を跳ねさせる。
ごめんごめんと笑いながら、もう汚れがない事を確認して洗髪終了。
「ついでに私も入っちゃうけどいい?先に上がってる?」
ぷるぷると体を振って水気を飛ばす彼に尋ねれば、そのままちょこんと腰を下ろす。待っていてくれるらしいと察して、手早く服を脱いで私も汚れを落とした。