シュンシュンと軽快な音を上げて沸いた事を示すケトルの火を止め、保温ポットにお湯を移す。
ほわりと昇る湯気が顔にかかって視界が霞んだ。ふうと吐いたひと息はため息と言う程重いものではないけれど、何だかいっぱいになっている胸の重さを自覚させた。
元親くん達はもうすぐ来るだろう。その時は全て話すつもりだ。
(どんな反応、されるのかな)
信じてくれるかどうかは分からない。
信じてもらえなければ私が幼児を連れ込みコスプレをさせた怪しい人物だと認識されるだろう。
それならそれで構わない。…いや、構うけど。
ただ、佐助が傷付くような言動はとって欲しくないな、と思う。
でも無意識の行動を制限するという事は他人はおろか自分自身でも難しいだろう。
私も初めて佐助の姿を見た時、怖がりはしなかったもののたじろいだ姿を見せて酷く傷付けてしまった。それ故に「無意識」は残酷だ。
だからと言って二人を責める事は出来ないのだけれど。
でも妙に心は凪いでいて混乱も焦りもない。なぜそんな状態になっているのか自分でも分からないけれど、一つだけ確かなものが胸にある。
空になったケトルをコンロの上に置く。熱されて時間の経っていない鉄からチュンと蒸発する音がした。
どんな状況になっても必ずこの子だけは守る。佐助が、大切なんだ。
くいくいとジーンズを引かれ、飛ばしていた意識を取り戻す。そこには不安げに私を見上げる佐助と、その尻尾にじゃれつく幸村の姿があった。
「…ちかちゃんたち、きたよ」
言うが早いか来室を知らせるチャイムの音。びくりと反応する小さな頭を撫でて玄関に向かった。
「いらっしゃ…い?」
「おう」
ドアの向こうにいたのは予想通りの眼帯コンビ。陽は既に落ちて薄暗いというのに、アッシュグレーとブルーブラックの髪は二人の容貌と相まってとても映える。
しかし息ぴったりに返ってきた返事に反応するよりも前に二人の手元に目がいってしまった。
「ど、どしたの?それ」
「何って」
「鍋」
きょとんと返す元親くんと、見て分かれと言わんばかりに両手で持った大きなお鍋を少し上げて示す政宗くん。
どういう事?元親くんに視線を向けたら汲み取ってくれたらしく「ああ」と頷いた。
「もう飯食ったか?」
「まだだけど…」
すると銀髪の兄ちゃんは自分の持っていたビニール袋を持ち上げて私に見せ、その髪に劣らない明るい笑顔を見せた。袋の中には色とりどりのお酒やジュース。
「みんなで騒ぐぞ」
勝手知ったる何とやら。元から部屋の構造も同じだし、それぞれの部屋でよく小さな宴会を開くので中に入った後の二人の行動には淀みが一切なかった。
茫然とする家主達をよそに政宗くんは持参した鍋の準備、元親くんは飲み物を冷蔵庫に仕舞っている。
幸村だけは見知った二人の登場に「あーっ!あーっ!」と奇声を上げて、ぷくぷくした腕を振り振り興奮していた。
「あ」
包丁の小気味良い音の後ろで取り皿を用意しようと食器棚の前に立った元親くんの手が止まる。
「佐助、お前の食器どれだ?」
「えっ」
振り返った元親くんに呼ばれた佐助は落ち着かない様子で視線を泳がせた。そんな佐助に不思議そうに首を傾げる。
「名前間違ったか」
「う、ううん、さすけ」
「合ってんじゃねえかよ」
焦らすなと笑って手招きする。佐助はちらりと私を見てから呼ばれた方へ行った。
「おれさまの、これ」
食器は佐助の身長よりも少し高い所に置いてあるので背伸びをして指差せば、了解と元親くんがそれを取り出した。
「お、キツネ柄か」
「あきちゃんがね、おれさまようにってかってくれたんだよ」
「そうか。いいの買ってもらったな」
大きな手がわしゃわしゃと柔らかい髪を撫でる。佐助はすごくびっくりした顔で見上げていたけど、すぐ真っ赤になって私の所へ戻ってきた。
「あきちゃん、ほめられた!いいの、かってもらったなって!」
「よかったねえ」
「あたま!なでてもらった!」
私の服を掴んで興奮気味に話す佐助の頬は紅潮している。わあわあ騒ぐ佐助の頭を撫でると零れたとても嬉しそうな笑み。
その後ろで元親くんと話を聞いていた政宗くんの口元が弧を描いていた事に気付く事はなかった。
「ごめん、私も手伝うよ」
準備を進める二人に呼びかけると同時に「いい、いい」と手を振られる。
「てめーが入ると手際悪くて進まねえ」
「政宗うっさい」
眼帯の黒い方にガルルと歯を向ければどうどうと灰色の方に止められた。元親くんまで私をそんな扱いってどういうことだ。
「あきはチビ共見てろよ」
ほい、と渡されたのは構って光線出しまくりの幸村。叫びはしないものの大きな瞳は、遊んでくれるの?ねえねえねえ!と今にも言い出しそう。
ほとんど条件反射でチョコレートブラウンの髪を撫でると「きゃあああ!」とやっぱり叫んで首に抱き付いてきた。
「ぐえっ」
「おう幸村、手加減してやんな」
え?さらっと告げられた名前にぽかんとすれば「だろ?」と逆にぽかんとされた。
そんな私をよそに何か思い出したらしい元親くんは持ってきた袋をあさり、何かを取り出す。それを佐助と幸村にひとつずつ渡すと「政宗には内緒な」と唇に人差し指を立てた。
小さな手に握らされたそれを覗くと佐助の耳がぴょこんと跳ねる。
「あ!おかし!」
「わっ、ばか声がでけえ!」
「元親テメェ飯前にモノ食わすなよ!飯食えなくなんだろが!」
目敏く見つけた政宗くんの渇が飛ぶが「一個くらい大丈夫だろー」と怒られた本人はさして気にしてない様子。
ぎゃいぎゃいと声が飛び交う中、もはやお菓子しか目に入っていない幸村は小さな指で器用に小袋を開け、ぱくりとかぶりついていた。ある意味大物である。
「だんなぁ…」
この喧騒の中では食べる事が出来ず、羨ましげに見つめる佐助は何かを決心したようで歩を進めた。
そっと立つ、政宗くんの隣に。
「まさむね…これ、た、たべちゃだめ…?」
つい…と控えめにエプロンの裾を引く。政宗くんは元親くんを諫めていた口を閉じ、見上げてくる幼子に視線をやった。
「飯、残さずに食うって約束するか?」
「うん!のこさない!やくそく、する!」
「…なら許してやる」
ぴょこん!と再び勢いよく跳ねた耳と尻尾。常に涼しげで冷たさすら抱かせる瞳が優しげに細められた事につい私の頬も緩んでしまった。
「危ねーから向こうでバカ面引っさげてる飼い主の所行ってろ」
「ほんと政宗くんて一言多い」
もう二度見直すもんかと深く心に誓いつつ佐助を手招きしたら、「てい!」と政宗くんのふくらはぎを蹴って一目散に駆けてきた。