キミを殺してオレも死ぬ1


昔むかし、ランプを擦れば魔人が現れ、絨毯が空を飛んでいた頃。
砂漠の中に、立派な王様が治める小さな国がありました。
その国で人々は幸せに生活していましたが、ある日、王様もお妃様も王子様も幼い王女様も突然死んでしまいました。
残ったのはたったひとり、二番目の王子様だけ。
二番目の王子様は新しい王様になりました。

若い王様は氷のように美しい姿をしていましたが、心も氷のようでした。
王様になって五年経つと、退屈したのか、それとも仕事に嫌気がさしたのでしょうか。
王様は家来に命令して、国一番の大臣の首をはねました。
大臣の部下たちの首も次々にはね、王宮の床は真っ赤に染まりました。
それを見た宦官や女官たちは逃げ出し、噂を聞いた国民もみな荷物をまとめて立ち去りました。

空っぽになった王宮で、最後に王様は剣を手に取り、残った家来の首をはねました。

そうして、王様を王様と呼ぶ者は誰一人いなくなり、王様はひとりきりのただの青年になったのでした。


〜T〜


星のまたたきさえも聞こえそうな静寂のなか、かつて王と呼ばれていた青年――アシュラフは天鵞絨の椅子に腰かけ、満足げな吐息を漏らした。
周囲を見渡しても自分以外に生命あるものはいない。
ただ、奥の部屋に身の回りの世話をするための機械人形が一体いるだけ。
鉄と石で辛うじて人に似た姿を取っているだけの人形は、感情も声も持たない。
アシュラフが唯一自分の側に置くことを許した存在である。

――さて、これからどうしよう。

時間はたっぷりある。
これからは、朝議の時間だと言って朝早くから起こしに来る女官はいないし、そもそも朝議なんて開かれないのだからいくらでも朝寝坊し放題だ。
人に会う必要もないから、毎日風呂に入らなくてもいい。
一日中部屋着のまま、絵巻を読みふけっても誰にも文句を言われないのだ。
もちろん、美少女の姿をかたどった像を所構わず飾っても、問題なしだ。
夢の引きこもり生活! ひとり、万歳! 

今後の妄想に夢中になっていたアシュラフは、背後からカタンと音が響いても気にも止めていなかった。
王宮内で動くことができるのは自分の他には機械人形しかいない。
おそらく、食前酒を運んできたのだろう。

しかし、

「俺が死んだら泣いてくれるかと期待してたのに……残念だなぁ」

室内に響いたのは、聞こえるはずのない声。
振り返れば、そこに立っていたのは長身の美青年だった。その顔は死人のように青白い。
青年はアシュラフを見つめると、ぱぁっと花咲くように微笑んだ。

「一日ぶりですね、王サマ! お会いしたかった!」

勢いよくアシュラフに抱きついてくる。
彼は、アシュラフの腹心。正しくはアシュラフの腹心だった男。
元は身分の低い奴隷であったがために正式な名前はなく、便宜上アシュラフはカマルと呼んでいた。

「……どうしておまえがここに?」

内心の動揺を隠して平静を装いながらアシュラフは尋ねた。

「もちろん、愛の力です。愛しいあなたと再び会うために、地獄の淵から抜け出してきました。ご気分はいかがです?」

かつての腹心の腕の中でアシュラフは視界に入れるのさえ煩わしいとばかりに顔を背けた。

「最高だった。お前が現れるまではな」

「そうでしょうねー」

明るい笑い声が癇に障る。
肩に纏わりつく腕が邪魔だ。
乱暴に振り払うとすぐに解放された。

椅子の上で行儀悪く片膝を立てたアシュラフは、横目で隣に立つ男を観察した。

上質な絹で仕立てた服は、以前褒美として与えたものだ。
異国の血を感じさせる榛色の髪とエメラルドの瞳も、記憶のとおり美しいまま。
象牙色の肌は記憶よりも青ざめて見えるものの、相変わらず滑らかで触り心地が良さそうだった。

たしかに、カマルだ。
確信すると同時に、否定する。

カマルであるはずがない。
彼が生きているはずがないのだ。

……昨日の晩、アシュラフ自身の手によって、首を落とされたのだから。

(もしや、私が手にかけたのは、影武者だったのだろうか)

昨夜も確かにカマルの顔を確認したはずなのだが、こうして本人が現れる以上、アシュラフが手にかけたのは偽物であった可能性が高い。

(まさか私が一杯食わされるとはな)

苦々しい思いでアシュラフは人差し指の爪を噛んだ。すると、すかさず横から手が伸びてくる。

「噛んじゃダメですよ、王サマ。せっかく桜貝みたいに綺麗な爪なんだから大事にしないと」

恭しく唇を指先に押し当てられる。その手のひらも唇も氷のように冷たい。
アシュラフは違和感を覚えつつ、カマルを見下ろした。

「離せ」

「はいはい、仰せのままに」

軽い調子で応えると、大人しく一歩下がるカマル。

万事がこの調子だ。
昔からカマルは事あるごとに親愛を口にするものの、その言葉はどこか軽く現実味を帯びていおらず、アシュラフに対して何の対価も見返りも求めない。
逆に、アシュラフの命令であればどんなことにでも従う。
それが気楽で重宝してきたが、今は意図が読めないカマルが邪魔で仕方ない。

どうやって撃退すべきか、もっと厳密に言えば、どうやって息の根を止めるべきか考えを巡らせていると、扉を叩く音に続いて機械人形が部屋に入ってきた。
上腕には酒と少量のつまみが乗った盆が乗っている。
瑠璃の杯を二つ手に取ったアシュラフは一つをカマルに差し出した。

「……ちょうどいい。おまえも付き合え」

「喜んで」

頭を下げ、床に膝を付いた姿勢でカマルは杯を受ける。
瑠璃の水差しを傾けると、芳醇な葡萄酒の香りが広がる。

「一日ぶりの再会を祝って」

掲げてみせた後に杯の縁に口をつけるカマル。その一瞬の隙を、アシュラフは見逃さなかった。

素早くカマルの襟首を掴むと、力任せに床に押し倒す。
抵抗することなく、カマルは仰向けに倒れ込んだ。
アシュラフはすかさず馬乗りになり、腰に下げていた短剣を引き抜き首を掻き切ろうとして……

絶句した。

切るべき首が、無い。
カマルの首の付け根から先が、忽然と姿を消している。

「いたたた……。乱暴にされるのはキライじゃないですけど、今のはちょっと激しすぎ」

聞き慣れた声がなぜか右から聞こえる。
緊張で首を軋ませながら視線を向けると、そこには生首がごろりと転がっていた。

「な、……」

言葉を発することができずに腰に跨ったままのアシュラフを押しやって、カマルの胴体は手探りで頭を見つけると、ひょいと上に乗せた。
収まりのいい位置を探しているのか、何度か頭を回転させた後、首から手が離れる。
その様子をアシュラフはただ凝視することしかできない。
全く普通と変わらない姿に戻ったカマルは少し照れた様子で笑った。

「まだくっついてないから、バランスを取るのが難しくて」

「お、おまえは……」

未だに混乱まっただ中だったが、アシュラフはなんとか声を振り絞る。何度か逡巡して出たのは、

「おまえは、もう死んでいるのか?」

何とも間が抜けた、おかしな質問だった。
カマルは目を丸くして、すぐにクスクスと笑いだす。さきほどの異常な光景が嘘だったのかと思えるほど、自然な姿。

「面白い冗談ですね、王サマ」

ごく普通の、いつも通りの口調に、肩の力が抜ける。

……そうか、冗談……。
いったいどんな仕掛けを使ったのかは判らないが、性質の悪い冗談……

「俺を殺したあなたがそんなこと聞くなんて」

「!?」

今度はカマルが仕掛ける番だった。
たちまち細長い腕がアシュラフを捉え、拘束する。上下が逆になる形で、アシュラフは床に引き倒された。

「くっ、……離、せ!」

逃げ出そうともがけば、いっそう強く抑え込まれてしまう。
悔しげに睨み付けるアシュラフの顔を、カマルは舐めるように覗き込んだ。

「ねぇ、王サマ。俺は忠実な部下でしたよね? あなたの命令にはぜーんぶ従って、命令通りみんな首をはねたし、最期はあなたのお望み通りに殺された」

ランプの光を反射して、エメラルドの瞳がきらきら輝いている。
気を抜けば吸い込まれそうな色を前にして、アシュラフは息を飲んだ。

「……恨んでいるのか?」

「まっさか! ぜーんぜん恨んでませんよ。愛するあなたの命令です。喜んで従いますとも」

にっこりと微笑む顔に嘘はない。さらりと肩から流れた毛先がアシュラフの頬を撫でる。

「ただね、不公平だなぁと思って。ひとつくらい、あなたが俺のお願いを叶えてくれませんか?」

「おまえの、願い……?」

「そう。……判りませんか?」

言われて、アシュラフの脳裏に蘇ったのは、昨夜の光景だった。



「今日で女官のアミナが里へ帰りました」

「……そうか」

カマルの言葉にアシュラフは鷹揚に頷いた。
王の肩書ゆえに行動が制限されているアシュラフに代わり、カマルが宮中内外の情報を集めて報告するのは毎夜の習慣だった。
もっとも、宮中の人間が減った今では、報告の内容も日ごとに簡素なものになっていたが。

「宮殿にいる人間は私と王様だけになりましたけど、これからどうします?」

「そうだな……。次は……」

アシュラフは剣を手元に引き寄せた。鞘から抜くと、刃が冷たい光を放つ。

「次はおまえを殺す」

喉元に切っ先を押し付けても、カマルの表情は全く変わらなかった。ただ、じっと観察するような瞳をアシュラフに向けるだけ。

絶対的優位に立っているのは自分であるにも関わらず、アシュラフは言い様のない居心地の悪さを感じ、気づけば思いもよらない言葉を口走っていた。

「安心しろ。死んだら私も後を追ってやる」

まさかそれを素直に信じたわけではないだろうが、カマルはふと口の端を上げた。

「心中ですか。素敵ですね」

満足げに笑うと、瞳を閉じる。

最期にエメラルド色を眺められないのをほんの少し残念に思いながら、アシュラフは腹心の首を落としたのだった。


 
「……まさか、私を殺しに来たのか」

カマルの願いと言えば、それくらいしか思いつかない。
『死んだら私も後を追ってやる』というその場限りの嘘を信じてはいないだろうが、昨日カマルは確かに喜んでいた。

憎しみではなく、好きだから、殺したい。
そんな感情を、目の前の男はアシュラフに抱いているのだろうか。

するりと蛇のようにカマルの腕が肩に巻きついた。

「いやだなぁ、殺すなんてそんな……色気のない言い方」

間近に迫るエメラルド。きつく睨み付けると、カマルはいっそう楽しげに微笑んだ。

「ねぇ、王サマ。俺と心中してくださいよ」

「断る!」

隙をついてアシュラフはカマルの胸元を思い切り押しのけた。
腕の力が緩むやいなや、後ろを振り返らずに走り出す。

「あっ、ちょっ! また首がー……!」

ゴロゴロと重い物が床を転がる音がしたが、一切無視して、アシュラフは自分の部屋へと飛び込んだ。
内側から鍵をかけて、気配を探る。
廊下から物音は一切しない。どうやら追いかけてはこないようだ。

ほっと息を吐くと、次第に苛立ちが込み上げてくる。

(どうしてこんなことに……!)

感情に任せて、アシュラフは枕に拳を叩きこんだ。鈍い音を立てて、羽毛が飛び散る。

うんざりするような人間関係は全て排除して、ようやく一人だけの楽しいひきこもり生活が始まったと思っていたのに。
殺したはずの人間が生き返って来るなんて、しかも今度は逆に自分を殺そうとしているなんて、一体だれが想像できただろう。

もう一度枕に八つ当たりしようとして、アシュラフはふと手を止めた。

(……いや、安心しろ。状況はほとんど変わっていない。簡単で、単純な話だ)

殺した人間が戻ってきたのなら、もう一度殺せばいい。

今度は二度と戻ってこれないよう、確実に。


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