マッチングアプリに連敗する子
「ありゃ、ひどい顔してますね」
近所の常連だからってあんまりな挨拶だと思う。
店長はいつもの調子でけらけらと笑っている。酷いってなに。互いに程よく気を許しているとはいえ、曲がりなりにも内勤社会人で女なのだけれど。ああ、女だからわたしは今こんなにも悲痛な面を晒しているのか。
「どうしたんです、なまえサン」と、然程心配していなさそうな軽い社交辞令が脳みその向こうでぼんやりと響く。見てわかるでしょって諦観すら舌に乗ってこなくて深い息が鼻から抜けた。ちょうど今日分の駄菓子を買い終えたわたしは、全ての苛立ちをスマホ画面に向けて眉根を強く寄せる。
「……たったいま惨敗したところですね」
「ああ、またですか」
こめかみが疼く。だから他に言い方はないのか。ここ数か月、何度か試しているマッチングアプリでの戦績を友達でもなんでもない店長さんだけに告げていた。口外されてもあまり大事にならないくらいの距離感の人ほど、不思議とこういう話はできてしまうものである。
「はー、三回もご飯行けたのになんで」
空気が抜けたように萎んだわたしは店奥の上り框にへなへなと座り込んだ。こんな気分で一人の部屋へ帰りたくない。反省会という名の自己嫌悪に陥って再び振り出しに戻るまでのマイナスを、せめて浦原さんに吐き出すことで次への切り替えにしている。正直わたしは婚期に頓着はなくて、他人からお断りされているという拒否と不要を証明させられることの方が辛かった。必要とされてみたいという甘々な願望が一向に叶わないだけだ。
「あともうひと押しだったんスかねぇ」
浦原さんは棚にお菓子を補充しながら片手間に答えた。
「どうしたら成立するんですか、恋人とかパートナーとかそういうの」
アプリに条件を打ち込んであがってきた候補者たちを人差し指だけで流していく。羅列された情報と顔写真が全然頭に残らない。
「アタシに聞きます?」
「参考にはしないですけど意見だけは」
聞いたくせに指先で適当にプロフィールを滑らせながら、同じように片手間で知恵を拝借しようとしている。しかも独り身の店長さんに。ただ、家族とも言えるような人たちと一緒に商いをしているのは事実。歳も上だと思うし、少なくとも自分よりは他人との暮らしに慣れているように思えた。
「そっスねぇ……」
無言の間があいた。珍しく悩ませてしまったかなあ、なんて膝に頬杖ついてスマホをいじっていた。人に教えてもらう態度ではない。
「じゃあ、アタシで手を打つ、とか」
指が止まる、危うくスマホを落としそうになった。
「え」
抑揚のない幽かな笑いが溢れでる。
じゃあ、で言うことではない。それ以前に今の話の流れで一体何の冗談なのかと、わたしだって馬鹿じゃないんだと浦原さんを一瞥してからアプリに視線を戻した。指は止まったまま動いてくれない。この妙な空気、なんでもない振りをするには余裕も経験も足りなかった。
「ですから、あたしにしときませんか、と」
「正気ですか」
こんな連敗続きの女に、と思ったけれどやぶさかではない自分も僅かながらに存在していて己に呆れる。
「まあ、半分くらいは」
「は」
さっきより怒気が滲む。半分ってなに。やっぱり浦原さんは浦原さんでそういう人だったわ、とわたしの中で悪ノリに分類された。
「軽々しく言うもんじゃないですよそういうの」
溜息と一緒にアプリを閉じる。今日はもう探すのも憤るのも感情に左右されるのはやめておこう、明日になったらまたわからないし。なんだか考えることに疲れてしまった。
「半分正気で、半分の半分は冗談って感じですかね」
「訳わからないし、それじゃあ半分の半分が行方不明ですよ」
今日はもう帰りますね、と立ち上がった。
気分は来た時よりスッキリしていた。浦原さんに沈んだ原因を吐露したからかもしれない。
「はは、……まあ人間、老いるまで生きていたいですから」
「だからその時に一人にならないよう、伴侶探しに必死こいてるんですが」
「そうでした」
「多分明日も来ます、定時上がりなので」
「はぁい、お待ちしてます」
最後の見送りはどこか穏やかだった。顧客離れしたら売り上げが減るわけで、それを思うとこの状況が彼にとっては喜ばしいのだろう。
「もう日が短くなりましたね。なまえさん、くれぐれも夜道にはお気をつけて」
はい、と会釈して店を出る。
今日の浦原さんはいつにも増して掴みどころのない応対だった。そんなことは今に始まったことでもないし、時々事前告知なしで長休みを取ることもあるし、のらりくらりの営業方針なのだろう。
浦原さんのさっきの冗談半分を思い返しては、こんな暮らしも悪くないのかなあって薄ら考えてみたけれど、年甲斐もなく男の冗談を真に受けるなよ、とわたしは浮かんだ邪念を一蹴して家路についた。
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