木造の深い馨り、囲炉裏の残る古めかしい家屋。
 いづみは、こんな形で戻ってきたくはなかったのに、と赤く腫らした目で和室を見渡す。今もひょっこり顔を出して、干し芋でも食べるかい? なんて言ってきそうなほど、何一つ変わらないのだ。空間はこんなにも同じなのに。変わってしまったことと言えば、ただひとつ、──。

「……おばあちゃん、片付けがね、まだ終わらなくて。もうしばらくお家にいるけどうるさく感じたらごめんね」

 ごめんね、もう一度囁いてから線香を供え、手を合わせる。煙越しの遺影に話しかけるとまた涙がこみ上げてきた。

 ここはとある村の僻地。
 人里から少し離れた、奥に連なる山々の中間部にこの家は位置している。母方の祖母は、登り切った小坂の開けた道で独り暮らしていた。定期的に知人や親戚が訪ねて来ていたようだが、常日頃から足腰が丈夫とあってかその心配は無用だ、と祖母は口癖のように言っていた。だが、ひとは必ず命尽きるものなのだ、と痛い程に認識させられ。ただただ胸底が苦しい。

「老衰なんておばあちゃんらしいよ。大病もなく往生できてさ、」

 知人が訪ねた時には既に息を引き取っていたという。眠ったように目蓋をおろしたまま、安らかで。起きて、と言ったらむにゃむにゃと返事をしそうなくらい。怒った姿など見たことはなく、優しく可愛らしい祖母だった。

「……だからって急に逝くことはないじゃん……」

 人間の摂理にやるせなさを感じながら、いづみは俯いた。ぽろぽろと落ちていく涙滴が畳に染みを作っていく。慟哭したい感情はこんなにも喧しいのに、誰もいない部屋で下に溢した涙を静かに拭き取った。

 ふと、この広い平屋にぽつんと取り残されたような気がした。母方の祖母が亡くなったのに、実の娘とその夫は初七日を過ぎる前に都会へと戻ってしまう始末。昔からそうだ、両親はいつだって生き急ぐから、時々薄情にさえ思うこともある。いや、これはただの八つ当たりだ。

 ──ああ、いつまでもこんなんで。いつになったらちゃんとお別れできるんだろう。

 止まらない滴を指の腹で拭いきってから、ゆっくりと立ち上がった。部屋を出てよたよたと向かう先は祖母の自室。
いい加減、現実直視をしなければ、と頼まれた遺品整理の続きに取り掛かる。と言っても仕分けのみだが、これが中々に精神を抉り、衛生を悪くする。社会人とはいえ、比較的時間に余裕が残るいづみに頼むのは肯けるが、想い出しては感傷的になってを繰り返すのだから胸が締めつけられた。

 片付けをすると想い出の品を眺めて時間が奪われることがよくある。敬老の日にプレゼントした手袋、がま口、帽子。全て大切に保管されていて、記憶が掘り返されて、どうしたらいいか分からなかった。
こんなことが続いて、遺品整理が捗る訳もなく。

「あ……これ、」──ふと落とした声に、拾った古本。
 織りなす布地で覆われた表紙。本、というよりアルバムのようだった。埃のかぶっていないそれ。きっと定期的に祖母が使っていた証なのだと思った。

 ぺら、手に取ったアルバムを捲ると同時に、その場に座り込む。いづみは悲しみよりも温かな気持ちになりたかった。ずっと悲愴に暮れて、心底嫌気が溜まっていた。

 ──うわあ、懐かしいなあ。こんな写真の隣に日記が添えられてる。

 朧げで曖昧な幼少期の記憶を蘇らせるには十分過ぎる。夏休みは決まって、この『おばあちゃんち』で過ごし、ひと夏の間だけ逢うことの許された友人もできた。この頃から両親は仕事ばかりで、もちろん夏休みなどなく。社会人になった今でこそ、大人に長期休暇などないのだと思い知らされたが、当時は我が儘に振り向いて欲しくて駄々をこね続けていた。だから、彼らなりに愛情を持って『おばあちゃんち』に連れてこられたのだ、と今になって思う。

「……いづみ、六才」

 達筆に綴られた年の隣には、山遊びをする格好に無邪気な笑顔。
 我ながら子供は純粋で良い表情をするな、と誇らしくなるくらい可愛げのある写真ばかりだった。当時は寂しいばかりの顔だと思っていたが、その本然にはやはり子供らしさが前面に出ていたのだろう。

 ──六才かあ、これはちょうど小学校に入る前くらいだったかなあ。

 この年の夏の様子が懐かしい筆癖によって記録されていた。きっとこれを両親に見せて共有していたのかもしれない。

 その中で、ふと。数枚の写真が目に止まる。
 珍しく人目を憚らずにエンエンと泣いている幼いいづみがいた。その隣には、こう綴られて──『嬉しそうに戻ってきたいづみは、何を思い出したか急に泣き出して止まない。何があったのか、お友達と喧嘩でもしたのか。おばあには分からん』

 この文字から察するに、祖母を困らせていたようだった。

「そういえば、──」

 過去。自分には、言葉では上手く言い表せない不思議な体験がいくつかあった。両親に告げても信じてもらえず、祖母には説明下手ながらも懸命に話したこともあった。

 中でも最初は、六才。この写真と同じ年の幼少まで遡る。
 いづみはアルバムを捲りながらその想い出を回顧し始めた。暫く放念していた出来事、あれらは一体何だったのだろう。

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