セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼ 33 覚悟

「兄貴、大丈夫か、兄貴!」

寝室のベッドに横たわる兄の肩を揺らし、大きな声で起こそうとするが、まったく反応が見られない。

まただ。懸念していたことが起きてしまった。
記憶が甦らないことへの作用なのか、眠気がくると訴えてから時おりこうして兄の意識がなくなる。

本当に、ただ眠くなり気を失ってるだけなのか?
頻発する失神があまりにも奇妙で、心配を通り越し、頭の芯から揺さぶられるほどの不安が襲う。

「起きてくれ、兄貴、頼む……っ」

散々声をかけた後、今までよりもさらに猛烈な恐怖に、俺はその場から立ち上がった。
兄の服を整えて暖かい服を着せ、自分も着替えた後で上着を羽織る。

軽い体をしっかり抱き上げると、俺は騎士団本部最上階にある自室を後にした。

一階の受付に向かい、驚いた様子の夜間当直の騎士に声をかける。
至急馬車を呼んでもらい、ほどなくして到着したそれに二人で乗り込んだ。

一向に目覚める気配のない兄の体を暖めながら、目的地につくまでの間、俺は気が狂いそうな思いで車内に揺られていた。




白い外壁がそびえる屋敷の前に着く。門前の警護の者に名乗り用件を伝えると、中へと通された。

無遠慮に玄関扉を叩くと、すぐに中から人が出てくる。スーツを着た初老の執事だ。
俺を見て驚き、きらびやかなシャンデリアが眩しい屋内へと招かれた。

「夜分遅くにすまない。イヴァンを呼んでもらえるか」
「畏まりました、ハイデル様。こちらの方はいかがなされたのですか」
「俺の兄なんだが、急に気を失ってーー奴に力を借りたいんだ」

心配そうに見やった執事は頷くと、迅速に上階へと向かった。
ロビーにあるソファに兄を寝かせ、しばらく待っていると、目的の男が現れた。

ガウンを羽織った黒髪のすらっとした司祭は、俺を見るなり目を大きく見開いて螺旋階段を下りてきた。
奴が驚くのも無理はない。ここへ来るのは年に数回ほど、仕事の用のみで、普段はあまり寄り付きたくはない場所だからだ。

しかしそんなことは言っていられないほど、事態は緊迫していた。

「ハイデル。君がわざわざ僕の家までやって来るとは……セラウェ君に何があったんだい」
「分からない。また急に気絶してしまって、心配でーー最近あまりに頻発しているんだ、原因が何なのか、調べられないだろうか? それにもしこのまま、兄貴が起きないなんてことになったら、俺はーー」

冷静に説明するつもりが、俺は取り乱していた。話せば話すほどに、不安に覆われる。
イヴァンは兄貴のそばに来て、身をかがめながら容体を調べ始めた。

「落ち着くんだ、ハイデル。……大丈夫、セラウェ君は気を失っているだけだよ。瞳孔も脈も、呼吸も……問題は見られないね」

その言葉に一瞬ほっとするが、自分と同じ所見であるというだけで、未だ底知れぬ不安が消えなかった。
額の汗を拭い顔を半分覆うと、司祭の同情的な視線を感じた。

「とにかく、もちろん責任をもって調べてあげるとも。では僕の診療室に連れていこう。彼を運んでもらえるか?」
「ああ、分かった……頼む」

兄貴を再び抱き抱え、司祭に案内されるがまま、長い廊下を歩いていった。
診療室とされる部屋は広々としていて、治療や治癒魔法を専門とする白魔術師らしく、膨大な書物や医療器具などが置かれている。

この間任務で起こった事件のことが過り、さらに胸がちくりと刺さる思いがした。
だが今、一番大変なのは兄貴だ。

そっと寝台に横たえ、俺はひとまず近くの椅子に座るように促された。
隣室に消えてまた現れた司祭から、コップ一杯の水を渡され、何も考えずに飲み干す。

司祭は白衣を羽織ると、再び兄の体を調べ始める。
俺はこれまでの出来事を反芻しながら、目を逸らさずに見つめていた。

そうして一呼吸おいた後、俺はある事を切り出した。

「イヴァン、お前に言っていなかったことがある」

奴は驚きの表情で振り向いたが、俺の心の中は考えていたよりも、その時だけ波が和らいでいた。

「なんだい、急に真剣な顔をして。まさか僕のこと殺しに来たとかじゃないよね」
「違う。俺と兄貴のことだ」

断言すると、奴はあからさまに胸を撫で下ろしたが、すぐに興味深そうに目を光らせた。
正面に向き直られ、改めて息をつく。

「……俺は、兄貴のことを愛しているんだ。記憶を失う前は、兄貴も俺のことを……同じ気持ちだと、そう言ってくれた」

手を組み直し、ぐっと握り合わせた。

「そうか……そんなことは知っているが、今さら何のつもりかな。大丈夫、セラウェ君のことは僕がなんとかしてあげるよ」
「それは助かる。だが、お前が思っているような関係ではない。俺と兄貴は」

そこまで伝えて、ようやく司祭が俺に怪訝な眼差しを向けた。
俺は、覚悟していた。この男に告白するということが、どういうことか自分でも分かっていたのだ。

「……ハイデル。何が言いたいんだ? 君は冗談を言う男ではないし……少なくとも僕には。ふむ。僕も馬鹿ではない。間違っていたら酷い目に合うかもしれないが、ずばり聞こう。ーーそれは、君たち二人に肉体関係があるという意味か?」

長々と独り言を呟いた後に、ようやく核心を突かれた。
俺は何の躊躇いもなく頷く。
二人の関係を認めることには、少しの恐れもなかったのだ。このいけ好かない同僚の前ですら。

しかし奴はそんな俺の考えなどお構いなしに、踏みにじるような言動に出た。
目を最大限に見開いた後、口元を微かに震わせる。

「ふっふっふ…………本当か、……いや、事実なんだろうな。この系統の嘘をついても、君にはなんのメリットもないだろうし。……くくっ……ははははっ!」

奴の楽しそうな高笑いが響いた時点で、感情が揺さぶられる。
聖職者である男から罵りや軽蔑を受けることなら理解出来るが、嘲笑が先に来るとは。

「何がおかしい! 俺は本気だ! 本気で兄貴を愛しているんだ! 笑うな、この野郎ッ」

完全に血管が切れ、幼稚な態度で叫び立ち上がった。奴に詰め寄ると、急に真面目な顔を作ろうとされる。
だが目元が細かく動いていることから、余計に怒りを刺激された。

「ふふっ……すまない。怒らないでくれ、わざとじゃないんだ。……僕は君達の愛を笑ったわけじゃない。正直に言うと、君がどんな思いでそれを僕に告白したのかって……そのことを考えると、なんというか……楽しい…いや、非常に嬉しくなってしまってね」

胡散臭い笑みを作り、わざとらしく肩をすくめている。
神に使える身でありながら、こいつは簡単に物事を茶化すフシのある、俗物に近い奴だったのだと思い知った。

「別に俺は、そこまで身を切られる思いでお前に告白したわけではない」

冷静に述べると、イヴァンは笑うのをやめて不意に鋭い視線を向けてきた。

「そうかい? 聖騎士団長である君が、教会の名の下に国で禁じられている同性愛をーーそれも重罪とも言える近親愛を告白するということが、どういう事か……分からないはずはないだろう。しかも、神に仕える身であるこの僕に」

まっすぐ見据えられ、こちらも臆すことなく見つめ返す。
そんなことは、分かっている。端から覚悟のもとだった。

「それとも何か、これは告解のつもりかな?」
「違う。俺はこのことについて、後悔も懺悔もするつもりはないんだ」

断言すると、司祭は明らかに驚嘆したようだった。

「司祭であるお前の立場は分かっている。自分の立場もな……。上への報告をするなら好きにしてくれ。ただ、兄貴を救うために、お前の力が必要だ。どうか協力してほしい」

俺はてらいもなく頭を下げた。しばらく静かになった空気から、少なからず奴の動揺が垣間見得た。

「そこまで君が覚悟しているとは。ハイデル、君はこれだけ一生懸命に騎士団長としての地位を築いてきたのに、全部捨ててもいいと思ってるのか。……本気か? 未練はないのか」
「ああ。大切な兄貴の為ならば、俺の人生など取るに足らん。例え騎士でなくなっても、培ってきた誇りは残る。あとは自分の力で兄貴を守っていく。今と変わらないが、俺に出来るのはそれだけだ」

淡々と気持ちを表すが、綴るうちに胸が熱くなってくる。
自分がどうなろうと、この決意は変わらないのだ。

「まあ、君なら将来なんかどうとでもなるだろうね。欲しい騎士団はたくさんあるだろうし……ふふ。冗談はこのぐらいにしておこう。悪いが教会としては、実力トップの君をそう簡単に手放すつもりはない。年齢的なことはあるが、少なくとも20代のうちはリメリア教会に身を捧げて欲しいと思っているんだ」

普段とは異なりやたらと真剣な表情で告げられ、自然と眉間の皺が寄る。

「本気で言っているのか? 俺は聖騎士としていわば禁忌を犯しているんだぞ。それを見逃すことがどういうことか分かっているのか」

条件反射的に問いただすと、イヴァンは再び喉の奥でくつくつと笑った。

「おいおい、なぜ僕が責められているんだ。だいたい君も知っての通り、僕は司祭ではあるがわりと融通が利くタイプなんだ。まあはっきり言えば、この教会は利益優先だ。統率者は一朝一夕で出来上がるものじゃないだろう。ハイデル、君に辞められたら困るんだよ」

腕を組みながら、司祭はそう断言した。正直言うと、感情論を振り回されるよりは合理的な答えに納得がいった。
いくら団長といえど、こちらは教会に雇われている身だ。契約に沿わないと判断されたのなら、潔く切ってもらったほうが楽だった。

「……そうか。身勝手な振る舞いをしていることは自分でも分かっている。だが可能ならば、求められる以上の働きが出来るよう、これからも尽くすつもりだ。だからーー」
「大丈夫だよ。そう険しい顔をするな、ハイデル。僕はね、個人的な感情だが、とくに二人の関係に反感は持っていない。君が思うよりももっと、俗物なのかもしれないな。この世界にいると、同性愛はそう珍しくもないし」

思案を巡らせながら話す司祭だが、答えに窮する。
俺は誰に対してもそうだが、基本的に他人の感情や自分に向けられる評価に、あまり関心がない。

だが今告げられた言葉には、本来感謝すべきなのだろう。
イヴァンの主張は、驚くべき事にそれで終わりではなかった。

「それにね、君が禁忌を犯してるとして、それにも関わらずずっと聖騎士を続けていられるのは、実際凄いことじゃないか? 守護力だって奪われることもなく、変わらず神の加護を受けている。まあ認められているわけではないかもしれないが、君は聖騎士として働くことが求められているんだよ。僕はそう思うね」

にやりと得意気に告げられて言葉をなくす。
その意見が正しいのか自分には決めかねるが、己の意義については、思いを巡らすきっかけにはなりそうだ。

「なるほどな……そんなことは、考えたこともなかった。お前、時には聖職者らしい教えを説くんだな」

聖騎士として生きることは出来ているが、兄貴と思いを交わし合ってからも、数々の試練が続いている。今もそうだ。もしかしたらそうやって俺は、至上の愛を得るために、自らを鍛練して生きていかないといけないのかもしれない。

だが兄を幸せにすると誓った時から、俺にはその覚悟が出来ていた。

「さて、話がまとまったところで、重要なのはセラウェ君だ。……君達が恋仲であるというなら、君の焦りにも合点がいくな。きっとその時の記憶が無くなってしまい、君はあれだけ慌てていたんだろう?」
「ああ……その通りだ。だが、今の状態は明らかに何かがおかしい。兄貴の中で何が起こっているのか、知る術はないだろうか」

再び二人の視線が静かに横たわる兄へと向かう。

司祭は深く頷いて見せるが、話はこれで終わりではない。ここからが本題なのだ。
俺はイヴァンに、そもそもの発端の話をしようと考えていた。

兄の状態にも無関係であるとは言い切れないし、記憶を探る手立てがあるのならば、今さら秘密にしたところで意味はない。
落ち着いて新たな話を切り出すと、司祭はこの日一番の驚愕を見せた。

「………呪い? 本当かね、それは。なぜ今まで僕に黙っていたんだ」

魔術師の顔つきで迫られ、丁寧に説明を続ける。
俺が兄貴と接近するきっかけとなった、炎の魔女タルヤの呪い。兄のことを考え詳細は省くが、兄弟にかけられた深刻な呪詛だったということを明かした。

「なるほど。それは実に……興味深い、話だね。ふむ。……僕に初めて話してくれたのか? ……いや、正直言って、セラウェ君だけで解決出来る話には思えない。誰か協力者がいるはずだ」
「ああ。エブラルは知っている。タルヤの呪いの件では、世話になったんだ。それとこの間居合わせた、タルヤの親戚であるアルメアもそうだ」

事の成り行きを簡潔に告げると、顎に手を当て熟考していた司祭が顔を上げる。

「分かった。話してくれてありがとう、ハイデル。君がそんな目に合っていたとは……情けないことに、僕はまるで気がつかなかった。分野が違うとはいえ、さすが炎の魔女だな。当時の戦闘も、この教会史においてとくに熾烈を極めたものだった。……君も記憶に新しいだろうが」

司祭が思慮深く反芻する。
呪いにかかった当時のことを思い出そうとすると、自分でも記憶が半分飛んでしまっているほど、俺は満身創痍だった。周囲に隠すことはもちろん、身体をたぎらす戦意によって無理やり生活していたのだ。

「呪術師の目に止まったことは、幸いだったのだろうな。エブラルにうっすら感づかれて、結果的には命拾いをしたんだ」
「……そうか……うーん、これは面白い話になってきたな。しかし未だにセラウェ君の記憶が戻ってこないとなると、エブラル達の力をもってしても、やや困難な事案と評さざるを得ないね」

そうだ。理論上はすでに終わってしまった呪いと記憶との関連性は見られないはずだが、あの二人の呪術師が調べてもなお原因不明というのは、頭を抱えたくなる事実だった。

冷静に努めようと考えた俺はイヴァンに対し、ひとまず兄が眠りに落ちる状況を説明することにした。

「お前も聞きたくないだろうし、俺も聞かせたくはないが、説明しよう」

今までの経験からいって、兄貴が気を失う時は以前の俺との記憶がきっかけになっていると考えられる。
兄がエブラルと話をした際や、アルメアが写真を見せた時、そして俺と触れ合いをしている時に顕著なのは、もはや偶然ではないだろう。

「触れ合いねえ……君達の仲がそこまで進んでいるということは、セラウェ君の心の中では葛藤が起きてるのかもしれない」
「……葛藤か。兄貴は俺たちの事を受け入れてくれているように見えたが、やはり悩んでるのか…?」
「いいや、むしろ納得しているのに記憶が戻らないせいで、苦しんでいるのではないかな。これまでわりとスムーズに君の思いが受け入れられているのなら、そう考えた方が自然じゃないか? きつい言い方だが、完全に彼がまっさらな状態ならば、兄弟と恋仲であるということを納得するのは至難のわざだ。……きっと彼も、無意識にもとに戻りたいと葛藤しているのだろう」

司祭の提言が胸に響き、大きな衝撃を与えた。
知ることの出来ない兄の思いを想像すると、やるせない気持ちになり、いてもたってもいられなくなる。

「……くそッ……どうすれば、記憶が戻るんだ。俺に出来ることは、ないのか……!?」
「焦るな、ハイデル。僕に考えがある。セラウェ君が目覚めるまで、しばらくこの屋敷に預けてはくれないか。研究するにあたり人手は足りてるし、エブラルとも改めて話をしたい。そうだな、日中は領内の別館に連れていくから、君もいつでも会えるようにしておくよ」

一瞬研究という言葉に目が眩みそうになるが、俺は静かに頷いた。
兄貴を誰かに預けるなんて、しかもこの男のもとに置いておくことになるとは夢にも思わなかったが、このまま燻っていては、解決への道は見つからない。

俺が同意したことに大層驚かれたが、奴の人間性はともかく、白魔術師としての腕は信用している。これまでの共闘経験に加え、元々俺に守護力を附与した当人でもあるからだ。

「では決まりだな。それにしても、やはり驚きが隠せないよ。君が僕を頼り、その上弱味をさらけ出したことに」
「……弱味? なんのことだ」
「君達の関係さ。違うかい?」

したり顔を向けられ、俺は反対に険しい目つきで首を振った。

「そんなことは対したことじゃない。知られても別に構わん。俺の弱点はただひとつ、兄貴そのものだ」

聖騎士が何を自信ありげに弱味を明かしているのだと、自嘲する思いではあるが、本当のことだ。
司祭が勢いよく吹き出し、急に煩わしさが戻ってきたものの、俺はなんとか耐えようとする。

「君は……変な男だな。複雑なようでいて単純というか、……うーん。興味深いよ」
「では兄貴を頼む。何かあったらすぐに向かうから、連絡をくれ。いつでもいい」

奴を無視して念を押すと、不意に引き留められた。

「あ、ちょっと待ってくれ。もうひとつだけいいかい?」
「ああ。なんだ」
「君達は同性愛者なのか?」

突拍子もなく聞こえる問いに、思わず目を見張る。
だが冷静な奴の瞳に促され、俺は神妙に答えようとした。

「兄貴は違う。俺は……そうであるといえばそうだが、分からないな。他の男に興味を持ったことはない。これからも無いが」

正直に告げると、イヴァンはまたもや興味津々の顔つきでいやらしく口元を上げた。

「ああ、ハイデル。何故だか君が愛おしく思えてきたよ。今日は随分と素直に答えてくれるんだな」
「気色の悪い言い方はやめろ。……おい、兄貴が目覚めた後も妙な質問を浴びせるなよ。分かったな」
「はいはい。セラウェ君のことは僕に任せて、君は少し休むといい。こうやって信用を得たんだ、神に誓って彼を守るとするよ」

にこりと微笑まれて肩を落とす。
疲労が増した気がしたが、腹を据えて事態の進展を願うしかない。

こうしている間も寝台の上でひとり、眠り続けている兄の手を握り、俺は心の中で「兄貴。大丈夫だよ、絶対」と語りかけたのだった。



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