▼ 32 もう少し
社交パーティーでの一件から一週間ほどが経った頃。
任務の合間を縫って、俺はひとり研究部屋で趣味である実験に勤しんでいた。
普段は時間も忘れ魔術に没頭する自分だが、最近はときおりクレッドのことが頭を掠める。
無造作に机に置いたつもりの写真をちらっと眺めては、二人の時間を思い出し、勝手にドキドキしてしまうのだ。
これはもう常に浮わついた精神状態からして、恋愛中であるということの証明であり、言い逃れできなくなってるのだろうか。
「……あー……駄目だ。ちょっと休憩しよう」
椅子の背もたれにだらりと背中を預け、両手を伸ばして盛大にあくびをする。
再び写真を手に取り、少しでも記憶が甦らないかとパラパラめくり始める。
その時ふと、思い立った。
そういえば、魔術師アルメアはこれを渡してくるとき、「残りがまだあった」という言い方をしていた。
ということは、俺はすでに他のブツを何枚も持ってるのでは?
バカか。なんですぐ気づかなかった。
すぐに立ち上がり部屋中を探そうとするが、記憶を失ってすぐの頃、すでに手がかりのようなものを求め、身近な色んなものを調べてはいた。
「んー。きったねえなあ……ここも何もなかったし」
クローゼットを開き、乱雑な本や器具などを再度調べるが、目ぼしいものは見つからない。
「つうか写真とかって、見つかったら恥ずかしいよな。オズとかも片付けに来るし…」
独り言をぼやきながら、あることを思い付く。
いやでも、エロ本でもあるまいしまさかそんなとこにあるわけないか…と思いつつ床に膝をついた俺は、何気なくベッドの下を覗いてみた。
すると、とんでもない物が目に飛び込んできた。
真っ黒な大きめの四角い箱が、奥の方にぽつんと置いてあったのである。
「うそっ。なんだこれ、思春期の少年みたいなことしやがって」
若干以前の自分に引きつつも、手を伸ばして取り出し、うっすらとついた埃を払った。すぐに中を確かめようとするも、蓋が固く閉ざされていてビクともしない。
鍵もついてないことから、あることがすぐに思い浮かぶ。
「術式の暗証呪文か……手がこんでるな。そんなに恥ずかしいもんを隠してるのか…?」
戦慄しながら思いつく限りの単語をねりこみ、詠唱する。
しかし、どれも合わない。
おかしい。俺は何を考えてるんだ。
普通の暗証単語じゃないってことか……?
一瞬弟に聞けば何か心当たりあるかな、などと思った俺だが、やがてぴたりと止まる。
「もしかして……」
再び精神統一し、真っ黒な箱に向かって呪文を唱えた。
それはずばり、クレッドの誕生日の数字だった。
まばゆい光が放たれ、箱がゆっくりと開いていく。唖然としつつ、目に入ったものをじっと見つめる。
「まじかよ、俺はどんだけあいつのこと好きなんだ。乙女チックにもほどがあるーーん?」
中をごそごそしながら探ると、大量の写真が出てきた。アルメアのものと似たり寄ったりの、こっ恥ずかしいラブラブ写真達だ。これは心臓に悪いからあとでじっくり見よう、そう思ってた矢先のこと。
さらに小さい、手のひらサイズの四角い箱を見つけた。
それを見た瞬間、胸がどきりっと高らかな音を上げた。
「えっ……うそ……」
その品が放つオーラが俺には分かる。見た瞬間に今までとは異なる既視感のような、不思議な感覚が流れ込んだのだ。
震える手で箱を開けると、さらなる輝きを放つ金色のものに、目を奪われた。
「クレッド……これ……」
その場にいない弟に、独り言のように語りかける。
瞳に映ったのは、光輝く金の指輪だった。こんなところに大事に隠して保管しているのだから、どれほど自分にとって重要なものなのか分かる。
指輪をとって手のひらにのせた。まじまじと見つめ、やがて裏面に施された文字に視線が奪われる。
弟の名前と日付ーーそれは、去年の聖誕祭を示すものだった。
「……うっ……ぅぐっ……」
それを見た途端、また勝手に感極まり、目にどんどん涙が溜まっていった。
止めようとしても止まらなかった。
弟による愛情を何度目か分からないほどに突き付けられて、俺の心は完全に揺さぶられていた。
手の甲で拭いながら、やべえこんなんじゃ俺、情緒不安定みたいだと焦る。
けれど切なさと嬉しさと苦しさがごちゃまぜになって、どうしていいか分からなくなった。
クレッドは指輪のことなんて言わなかった。写真のことも、旅行のことも。
俺のことが好きだって、恋人なんだって伝えたかったはずなのに、言えなかったんだろう。
記憶を失ってから毎日のように一緒に過ごしたけど、俺はあいつのことを一人にして、ずっと寂しい思いをさせてきたに違いない。
「ううっ……ごめん……ごめんな、クレッド」
そう分かった上で弟がどれだけ辛抱強く、優しく接してくれたかを思い出し、さらに大粒の涙が流れていく。
ひとしきり泣いた後に、俺は握りしめた指輪をもう一度見つめた。
今の俺にとっても、大事な大事なものだ。
少し迷ったが、深呼吸をしてみた。もう弟を悲しませたりしないという覚悟のもと、自分の左手の指にゆっくりとはめる。
天にかざして見て、しばらく眺めていたが、やはりどことなく照れくさい思いが募ってくる。
「でも、あいつがくれたもんだもんな……。ああ、早く思い出せたら……なんでだ……思い出してえよ」
己の無力さに苦悩し、頭を抱えた。
しかしこうしてる間にも、時間はただ静かに過ぎていく。
俺は指輪をはめた手を固く握りしめ、あることを心に決めたのだった。
そうだ。あいつの為にも、自分から行動を起こさなくては。
その日の夜。俺は合鍵を手にし、騎士団本部最上階にある弟の部屋を訪れた。
まだ若干心の準備が出来ていないこんなときに限って、クレッドは早めに仕事が終わったのか、居間にいた。
俺を嬉しそうに出迎えてくれ、二人でソファに座る。
しかし鋭い弟の視線が、当然といえばそうなのだが、俺の体に向けられていた。
「なあ兄貴、さっきから手隠して……どうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
この間の事件が尾を引いているのか、心配性な弟に尋ねられる。
確かに俺は不自然に、片方の手をずっとポケットに入れていた。最初のハグもこのままだったから、余計に怪しまれたのだろう。
よし。もう言うしかない。
「あ、あの……これ…今日部屋で見つけて、つけてみたんだけど……勝手にごめん…」
胸に秘めていた決意とは裏腹に、なぜか謝罪から入ってしまう。
ああ、顔が熱すぎる。
指輪は自分の部屋にあったものなのに、記憶がないからか、いざクレッドを前にすると罪の意識が少し生まれていた。だからクレッドの反応が怖かった。
でも、俺の予想とは違った。弟の蒼い瞳がじわりと潤んでいく。
「なんで謝るんだ……つけてくれたんだな、兄貴」
静かな言葉には、驚きと安堵のようなものが滲み、いつのまにか抱き締められる。
「いいのか?」
「当たり前だよ。それは兄貴のものなんだから。俺が兄貴に渡したものだ……聖誕祭のときに」
背中に手を回され、俺は指輪をつける許しを得たことに、自分でも驚くほど安心していた。
お互いに気持ちが重なり、おんなじような気持ちでいたのだと感じる。
弟は「ちょっと待ってて」と言って居間を後にした。
金色の指輪をなぞりながら、まだ緊張が止まない。
クレッドが箱を持ってきた。俺のと同じやつで、思わず目を見張る。
中を開けると、少しサイズの大きい指輪が入っていた。裏面に俺の名前が刻まれていて、さらに鼓動がうるさくなる。
「ペアリングなんだ。教会で兄貴に愛を誓って、受け取ってもらった。すごく幸せだったよ、その時」
俺に向かって、照れたようにはにかむ弟。
やばい、話を聞いているだけで弟の思いが伝わり、胸がじんとする。
「兄貴はいいのか? それ、つけてるの」
「お、おう。だから今日してきたんだろ。なんかお前に見せたくて」
自然に話すとクレッドが目を丸くする。そして言葉を失ったように、俺の肩に頭を乗せた。
「なあ。俺、もっと調子に乗るよ……そんな嬉しいこと言われたら」
抱き抱えられながら、ぼうっとする。
奴の背中に手を触れて、なんというか、内側から愛情が募ってきた。
弟が可愛いと思う。理屈とかよりも、感情が先に来ている感じだ。
頭の片隅で兄弟なのに良いのだろうか? これは正しいことなのか?
と考えるときはある。
それなのに、不思議なことに俺は、こいつと両思いだったという事実を聞かされて以来、そこまで激しい苦悶や葛藤に陥っていないのだ。
腑に落ちる、といったら変だが、クレッドの腕に抱かれていると心が安らぎ、受け入れてしまう。
俺はいつからこうだったんだろう。どんな風に前の俺は、こいつの事好きになったんだろう。
突然思い立った俺は、衝動に駆られたかのように、奴の顔をこちらに向かせた。
そしてゆっくり、自分の顔を近づけた。唇に向かって、自分のをそっと重ね合わせたのだ。
「……っ」
触れるぐらいで離したが、弟を見ると、予想通り目を大きく見開いていた。
「あ、兄貴……」
「……えっと……俺からするの、なんか変かな…?」
遅れて恥ずかしさが襲い、斜め上を見ながら尋ねると、止まっていたクレッドがやがて子供のようにぶんぶんと首を横に振った。
「変じゃない、全然間違ってない」
「……そう? ならいいんだけど」
自分からしたくせに、もうこの話題、ここで終わりにしてほしいという願いから挙動不審になる。
だがクレッドは、俺の近くに体を寄せ迫ってきた。
「兄貴から、キスしてくれた。……やばい、嬉しすぎて、俺……」
物珍しそうに、瞳をうっとりさせて見つめてくる。
正直言うと、弟からされるのと自分からするのでは、意味合いが違う。俺は兄貴で年上で、なんとなく責任というか、気持ちの入りようが異なるのだ。
それを説明しようかとも思ったが、話が逸れそうなのでやめた。
……いやでもやっぱ、これだけは伝えとくか。
「あのな、お前とキスするの結構好きなんだけどさ……いや何言ってんだ俺。……これは俺の気持ちというか、お前からばっかり伝えてもらうのも悪いというか……あ、もちろん嬉しいけど……」
ぶつぶつ言う俺のことを、赤らんだ顔のクレッドが真っ直ぐ聞いてくれている。
「とにかく、俺も色々証明したくて……大丈夫だということの気持ちっていうのかな……ああっ。まあその、俺からもしたくてしたんだっ」
たぶん真っ赤になりながら無理矢理主張を終えた。
そもそも自分の思いを伝えるのが下手な俺だから、スマートに出来ないのも致し方ない。
しかしクレッドはそんな俺を変に思うこともなく、真剣な眼差しで受け止めてくれた。
だが、やっぱりこいつは一筋縄ではいかない。
「よく分かった、兄貴。……出来たらもう一回してくれないか?」
「はっ?」
「今のは夢だったかもしれない。もう一度ちゃんと実感したいんだ」
「そ、それはちょっとハードル高いだろ。今ので我慢してくれよ。ていうか夢じゃねーし」
「いやもう一回だけ。頼む兄貴。ちょっとでいいから」
ちょっとってなんだ。何でそんな必死に迫ってくるんだ。
改めて期待されると、凄くやりにくいんだが。
思わぬ申し出に困りきった俺だが、やがて小さく腹をくくる。
「しょうがねえな……じゃあ目、閉じてくれ。そしたらやってやるから」
真顔で頼むと、クレッドが一瞬止まった後なぜか吹き出した。
「何で笑うんだよ!」
「……くくっ……ごめん、だって……初めて兄貴がキスしてくれた時も、同じこと言ってたから」
真面目に話したのに、弟はまだ楽しそうに笑いが堪えられないらしい。
ジト目で眺めていると、やがてクレッドが申し訳なそうに苦笑した。
「ふうん。それでお前は言うこと聞いたのか?」
「いや、聞いてない。だって兄貴の顔見れなくなるだろ? そんなの嫌だし。そしたらーー」
なんだそのわがままなポリシーは。
恥ずかしくて聞いていられなくなった俺は、勢い余って奴の口を思いきり塞いでやった。
するとクレッドが静かになった。
そんなつもりはなかったのに、弟が静かに口を開いて、そろりと舌を出してくる。
頬を撫でられ、首を優しい指先が這う。長い指が髪に入り込み、そっと掻き上げられた。
唇を重ね合わせて、段々呼吸が上がってくる。
「ん、う……」
ああ、気持ちいい。
なんでこいつのキスはこんなにも、満たされるんだろう。
意識がぼんやりしてきて、蕩けてしまいそうになる。
なんだかんだ言って、最近の俺たちはこうして、会うと必ず口づけを交わすようになった。それが自然なことのように、ただ甘やかな時間が過ぎるのだ。
だがその夜は、少し様子が違っていて、二人ともそれを肌で感じていたのではと思う。
クレッドは口を離した後、赤らんだまま言葉少な目に、俺を寝室のベッドまで運んだ。
クッションの上に頭を沈ませると、上から弟が覆い被さってきた。
口にキスされて、首筋にも熱い唇が触れる。
なんとなく、いつもと雰囲気が違う。
もどかしげになぞられたり、気持ちのいいところを撫でられたりするだけじゃなく、クレッドの愛撫が全身に広がっていくのを感じる。
「っん、あっ……あぁ……」
耐えきれず声を漏らすと、少し体を起こした弟と目が合った。
頬を染めて呼吸が浅めで、ずっと余裕がないみたいな顔つきだ。
もしかして、い、今からするのか?
とうとうこの時がやって来てしまったのか。
あれだけ夢の中でしたのに、心臓がばくばくして自分まで頭の中がぼうっとしてくる。
そして急に、頭がぐらついた。
ふわっと体の力が抜けて、俺はとっさに弟の腕に手を伸ばす。
「……あ……、クレッド」
弟の名前を声に出しながら、意識がぐるぐるしてきた。焦点が定まらず、目を見開いた弟の顔がだんだんぼやけてくる。
「兄貴……? どうした? 大丈夫か」
途端に心配が滲む声音で問われるが、うまく言葉が出てこない。
目眩と眠気のようなものが襲い、明らかに自分の異常を感じとる。
「ま……また眠い、のかも……ごめん、クレッド……」
「……おい、っ兄貴……大丈夫、しっかりして」
体を完全に起こしたクレッドが、そばで俺の体を抱き抱え、温かさに包まれる。
これは、おかしい。
本当に眠気だけなのだろうか。意識が遠のいていく感覚が断続している。
同じ疑問を弟も持ったのか、声をかけられながら、頬を何度も擦られた。
嫌だ。今、意識を途切れさせたくない。
やっと弟と一緒になれると思ったのにーー。
「兄貴、……おい、兄貴……!」
やがて完全に弟の声が聞こえなくなるまで、俺はその温かな熱を体にしっかりと感じていた。
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