セラウェ記憶喪失編 | ナノ


▼  10 兄弟水入らず

週末になると、クレッドと約束した通り、奴の部屋を訪れることになった。
驚いたことに俺は合鍵を持っているらしく、好きな時に来ていいよと言われたので、とりあえず夕暮れの時間に向かった。

ベルを鳴らしたが反応がなかったため、鍵を使って入る。
玄関先には長い廊下と扉が見えた。

「…おお、結構広そうだな。きれいだし。お邪魔しまーす……」

そろそろと中に入り、扉を開けた時だった。
そこには濡れた金髪を無造作に拭いている、上半身裸の男がいた。
下着姿でむきだしの筋肉質な裸体と、長い手足に目を奪われる。

「うぉ! クレッド!」
「あっ、兄貴。ごめん、風呂入ってたんだ」

若干照れた顔で微笑む弟から、なぜか視線をそらせない。
端的に言って……マジで良い体だ。引き締まった腰と腹筋とかもう、芸術の域に感じた。

「すごっ……騎士の肉体半端ねえな。どうやったらこんなバキバキになんだよおい」

中屈みになりながら間近で観察をする。魔導師としての性なのか、俺は見慣れぬものに対する好奇心が強いのだ。
すると弟の白い肌が心なしか染まっていった。

「あ、あの……ちょっと恥ずかしいんだけど」
「おっ、スマンスマン。なんか見とれちゃって」

オヤジっぽく言い訳すると弟は「いや、全然平気…」と速攻意見を翻していた。

小さい頃はよく一緒に風呂に入ったし、少年の頃も弟の成長具合を見た気がする。
しかし今のクレッドは、俺の記憶にはない、完全に男としての成長を遂げた姿だった。

なんというか、兄として誇らしくもあるが、自分の貧相さを省みると少し悲しくもなる。

俺の悲哀も知らず、着替えて戻ってきたクレッドは笑顔であることを告げてきた。

「兄貴。ご飯食べたか?」
「いや、まだだけど。お前は?」
「まだだよ。良かったら、俺今から夕飯作るから一緒に食べる?」

突然の提案に度肝を抜かれる。
まさか弟がこの日、俺達のためにご飯をご馳走してくれるとは。
そんなこと、こいつに言われたことないし、ぶっちゃけ料理作ってる姿とか想像も出来ない。

しかし俺は即座に頭を縦に振った。

「マジで? 食べたい!」
「よし。じゃあすぐ作るから、待っててくれ」

こんなに至れり尽くせりでいいのだろうか。
どこか浮き足立つ気持ちを抑えながら、台所で調理を始める弟を眺めた。

新鮮な肉や野菜も準備してあり、器具を手際よく使いこなしながら、どんどん進めていく。

「お前凄いな、料理も上手いのかよ。もはや完璧超人じゃねえか」
「はは、なんだそれ。これは兄貴に教わったんだよ、俺はそれまで何も出来なかったから」
「え!? 俺?」
「うん。兄貴が俺に色々作ってくれて、すっごく美味しくて。俺も何か作ってあげたいなって思ったから、練習したんだ」

照れくさそうに言う笑顔が眩しい。
ていうかなんだそのキラキラなエピソードは。俺達もう単に仲が良いってレベルじゃねえだろ。

「まるで夫婦みたいじゃねーか…」

驚きのあまり口からこぼれると、弟が一瞬手を止めて「いや、それは…まぁ確かに」とかなんとか嬉しげな反応をしたので戦慄した。

でも一生懸命作ってくれてるクレッドを見ていると、正直俺も嬉しくなった。
俺達の兄弟仲、本当に戻ったんだなぁ……と幸せを感じたのは事実だ。


しばらくして出来上がった夕飯が食卓に並べられ、それに合わせて葡萄酒で乾杯をすることになった。

「……う、うめー! お前天才、このミートローフうますぎ! あとスープも!」
「そうか? 良かった、気に入ってもらえて。この酒も美味しいよ、前に兄貴が選んだやつだから」
「え、そうなのか? 確かに旨いわ、さすが俺だな〜」

すでにほろ酔いで気を良くした俺は、楽しい気分でご馳走を堪能した。

最初は二人きりなんて緊張するかなと思ってたのに、やたら気が合うし弟はすごく優しくてなんか可愛いとこあるし、この部屋も居心地が良いしで、これは来て正解だったなと内心安心しまくっていた俺だった。

俺達はその後、酒とつまみに移りながら互いに話もした。
普段は会議や書類漬けの弟だが、任務のときは短期長期合わせて数日から長い間家を空けることなどを知った。

クレッドの働きぶりや仕事の充実ぶりに感心しつつ、俺はというと外ではしがない魔導師だったが日々の依頼をこなし、秘術研究にも精を出し、わりと弟子達との生活を楽しんでいたことも話した。

そんな中、一番の驚きの話題を聞かされる。

「えっ? 俺達実家に帰ったのか? 一緒に?」
「ああ。去年の夏にも帰省したし、一緒に……聖誕祭も過ごしたよ」

小さな微笑みを浮かべた弟に向かって、固まった俺はすぐに反応を示せなかった。
実家……嘘だろ。
あの天敵の親父が巣くう場所だぞ。喧嘩別れして以来、帰ろうと思ったこともなかった。

それなのに、二年が経ってまさかこんなに状況が変わっていたとは。
もちろん、良い方向にだが。本当に信じられない。

「クレッド。お前、マジで凄い……どうやってそんな……実家とうまくいってんのか、俺…」
「え? いや、俺じゃなくて兄貴が認められたんだよ。あの親父も今はだいぶ丸くなったと思うし。凄いのは兄貴だよ」
「いやいや、どう考えてもお前のおかげだろ。なんて礼言えばいいんだよ」

半ば信奉の眼差しで見やった俺に、弟はやや困った様子で苦笑していた。
とにかくだ。この仲直りの状況が、とんでもなく俺の人生に良い風に作用している、気がする。

もう、そうとしか思えん。段々本気で、弟が可愛く思えてきた。
素直で優しくしてくれて、俺のことが大好きだって言ってくれてるんだぞ?

あの不遜な笑みで時々嫌味を言ってくる、いけ好かない美形の男はどこに行ったのかという疑問はあるが、今の俺は間違いなくクレッドに好かれている。

そして俺はそれが、本当はーー心の底から嬉しいのだ。

「なあ、俺さ。実はお前に、ずっと……嫌われてると思ってたんだ。いや、俺も色々間違ったことしてたんだと思うけど、なんつーか……今、お前とこんな風に話せて、嬉しいんだわ」

酒の力か、俺は奴の目をじっと見て本心を話していた。
クレッドは目を見開き、グラスを握る手を少し強めた。

「……兄貴…」
「あ、別に昔のことを掘り返そうとかじゃなくて、ただ単に今そう思ってるというか…」

照れ笑いをすると、机の上の手をそっと握られた。
自分より高い手のひらの体温を感じ、どきりとする。

弟は真剣な表情で、俺のことをじっと見つめていた。

「俺は……小さい頃から、ずっと兄貴のこと好きだったよ。冷たくしたのは、本当に悪いと思ってて……うまく言えないけど、その……兄貴が好きでたまらなくて、そうなったというか……いや、こんなこと今さら言われてもふざけるなって、思うと思うけどーー」

……ん?

え? 今なんと言ったんだこの弟。
好きでたまらない? 小さい頃から?

俺は予想外の台詞に、まばたきを繰り返した。

「ええっと、それはあれか。好きな子には逆に意地悪しちゃうとかそういう、あれ……? いや違うよな……何言ってんだ俺」

しまった。やっぱ昔のこと持ち出すべきじゃなかったかもしれない。
とにかく俺は今尋常じゃなく慌て出していた。

クレッドはそんな俺の様子を悟ったのか、落ち着かせるようにもう一度手を握り直してくるが、余計に落ち着かないんだが。

「というより、俺は、自分の気持ちが受け入れられないって……そう思ってたから」

真剣に見つめられて、酔いがまだ残っている中、弟の言葉を一字一句理解しようとする。
だが疑問が湧いた。

「え……なんでだ? 俺はお前の気持ち嬉しいよ。受け入れるに決まってんだろ、可愛い弟なんだから」

さらっと本音を言ってしまったのだが、クレッドはどこか陰りのある表情のまま、小さく「うん、ありがとう…」と頷くだけだった。

どうしたのだろう。
やっぱり、まだ何か昔のわだかまりが残っているのだろうか。
それとも、俺が思い出せないことに、その間の記憶に関係があるのだろうか?

俺は奴の手を、今度は自分から両手で握り返した。
普段ならこんな真似恥ずかしくて出来ないが、真摯に向き合ってくれる弟に俺も報いたいと思った。

「なあ、何かあったら記憶ないとか気にせず、俺に言ってくれよ。お前、すごい俺のこと気遣ってくれてるけど、俺もお前の兄貴なんだしさ。なんか何でもしてやりたいっつーか……今まであんまり出来なかったからさ」

蒼い瞳をまっすぐ捉えて伝えると、なぜか少しだけ、奴の瞳が潤んだ気がした。
言葉もなく、俺のことを見つめたままだ。

大丈夫か? やっぱり、俺のせいで何か辛い思いしてんじゃないか……そう思った時だった。

「兄貴、じゃあお願いがある。こっちに来て」

小さな声でそう言われて、俺はひとまずおずおずと立ち上がった。
どうすればいいのか分からないが、弟が明らかに元気のなさそうな顔つきだったため、慰めたほうがいいのかと、目の前で挙動不審になっていた。

すると椅子に座ったままのクレッドは、両腕を伸ばし、俺の胴を抱き寄せた。
柔らかい金髪が胸の辺りにあたり、俺は硬直するが、構わず抱き締められる。

これは……どうしたんだこいつは。
あれか、クールな見た目によらず甘えん坊なのか? 

話によれば俺のことが好きなのに言えなかったというのだから、その分甘えたい系なのかもしれない。
それに単に、弟はハグが好きなのかもしれない。

俺は平静を装いながらも、奴の背にゆっくり手を回した。
そしてそれだけじゃあれかと思い、勇気を出してお兄さんらしく頭をぽんぽんと片手で撫でた。

「大丈夫か、クレッド」
「……兄貴。それ気持ちいい」
「そ、そうか」

異様な光景に思いながらも、弟をなだめ続けていた。
するとくくっと小さな笑い声が聞こえてきた。途端に手を止める。

「おい、笑うんじゃねえよ。俺だって分かってんだぞ、20代後半の大の男二人がなぁ、こんな…」
「いいだろう、別に。前から俺達こうやってやってたぞ」

開き直った弟の言葉に閉口する。前っていつだよ。

こういうところは、昔のわがままさが思い出されて懐かしくなるほどだ。
そう思ったら、あんま変わってねえな、こいつ。でかい図体のくせに。

「なあ、お前さ。ベタベタすんの好きなの?」
「どういう意味だ? 好きじゃないよ。兄貴とだけだよ、それは好きだ」

おいそれこそどういう意味だ。どう受けとればいいんだ、俺は。
クレッドのやつ、本気の顔してるし。

「へえ。じゃあ誰にでもこういう事するタイプじゃないんだな。それはよかった」

ぼそっと呟くと、クレッドが突然立ち上がった。
大柄な男との体格の差にびびりつつ、奴はなんと再び俺のことを抱擁してきやがった。

「おい。何の真似だお前。今度はどうした、自由すぎだろう」
「兄貴、昔も俺に同じこと聞いてきた。なんか懐かしくて……あと嬉しい」

何の話だと思ったのだが、記憶を辿ると確かに前もこんなことがあったような気がする。
よく覚えてるなと感心した。

「それってお前が変わってないってことじゃないか? ん?」
「ああ。全然変わってないよ。俺は昔のまんまだ。だから安心してくれ、兄貴」

自嘲気味に話す弟にたいして、こちらも段々調子が狂ってくる。
でもクレッドの元気も、少しは出てきたみたいだ。

いつの間にか至近距離で向き合っていた俺達だが、俺にとっては緊張感は薄れてきていた。
とゆうか、酒のせいか眠気が襲ってきてあくびが出てきた。

「兄貴、眠いのか?」
「うん、まぁちょっとな。飯も食ったし」
「そうだよな。今日泊まってくだろ?」
「うん……、ん?」

自然に放たれた言葉を一瞬考える。
俺今日泊まるのか? こいつの部屋に。

それは想定してなかったぞ。いくら仲いいっつってもな、おかしくないか。

「いや、さすがに悪いだろ。それ…」
「全然悪くないよ、明日休みだし。結構ここに泊まってくぞ、兄貴」

優しい笑みで促されるが、本当かよと訝しむ。俺の仮住まいだって同じ領内にあるんだぞ。

「……ふあぁ……まあいっか。じゃあお言葉に甘えて……つうかお風呂借りていい? お前の家すげえ広いもんな、風呂場も凄そう」

泊まるのに躊躇していたくせに、風呂好きの俺は厚かましくも頼み始めていた。
しかしクレッドの反応は渋い。

「駄目だよ、酒飲んだだろ? 明日にしたほうがいい」
「大丈夫だって。慣れてるから。そんなに長く浸からねえし」
「危ないよ、言うこと聞けって兄貴」
「へーきだっつってんだろ、子供じゃないんだから」
「……わがままだな、じゃあ俺と一緒に入るんならいいぞ。どうだ?」

お、久々の兄弟喧嘩か? と若干わくわくしたところで、変な台詞が聞こえた。
一緒に…何だって?

「はっ?」
「兄貴が入るんなら俺も入る。いいのか」

厳しめの表情で言われて言葉が返せない。
どう見ても真剣な様子なんだが。この弟一体なんなんだ。

「い、いいわけねえだろ恥ずかしい。俺絶対体負けするだろ」
「なんだ体負けって。兄貴も全然負けてないよ、大丈夫」
「何がだよ! つうかなんで俺の裸のこと知ってんだよ!」

急にクレッドが赤くなる。おいそこで黙るなよ。
まさかとは思うがーー

「おい一緒に入ったことあるとか言うなよ、せ、セクハラだぞ!」
「酷いな。風呂ぐらい入るだろ、仲良い兄弟なら」
「ま、まあ…温泉とかなら。……って否定しろよ、どうなってんだ俺達は!」

ぜえぜえ言いながら迫る。もう変に汗だくでやっぱ一回体流したいんだが。

弟はいつの間にか楽しそうに笑っていた。
こいつ、からかってるのか? なんか面白がられてる気がする。

思わぬところで大混乱に陥りながらも、俺はどうするべきか、回らない頭を素早く巡らせていた。



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