召喚獣と僕 | ナノ


▼ 1 レニとラーム

「レニ。起きろ、レニ。お前が起こせと言ったんだろう? もう朝だ」
「……うん。わかった…」

枕を抱えて眠る自分の瞼に、光を感じる。
起きたくない。窓から差し込むぽかぽかした春の陽気に、包まれていたい。

けれどもう一人の住人が、僕の眠りを阻んできた。

「お腹が空いた。レニ、いいか?」

視界が急に暗く覆われる。同時に重みがずっしりと布団の上にのしかかった。

「んっ……ぅむ」

ぱちりと目を開けると、僕の口は召喚獣によって塞がれていた。
いつもの茶狼のラームじゃない。人型の大きな男だ。

僕はもう一度目をつむって長いキスに耐えた。
自分のものより厚みのある唇に包まれ、半分息を止めている。

これはただの食事だ。魔術師の自分が使役する、召喚獣への。
そう言い聞かせるために。

「終わった。目を開けろ、レニ。そんなに嫌か、俺と口をつけるの」

ゆっくり半目を開くと、子供のように眉を下げてみせるラームが両手をついて、僕を見下ろしていた。
長めの茶髪に手を伸ばしたら、その手を取られて彼の頬にすりつけられる。
まるで狼のときのように、気持ち良さそうに喉を鳴らしている。

「嫌っていうか、意味が分からないんだもん。なんで僕、男とキスしてるのかって」
「俺のご飯だ。しょうがないだろう? こうやって生きてるんだから」

ラームは人間のように感情豊かに、表情を変える。
見た目は体格が良すぎるほどの立派な成人男性なのに、喋ると少し子供っぽい。
でも人間ではないから、魔力を必要とする。

詠唱による魔力供給の代わりに、体の触れ合いを必要とするのは、魔力が少ない僕だけの問題ではない。
簡単にいえば彼の空腹が凄まじいからだった。
だから僕達は、一日最低5回はキスしなければならない。

「ああ。もう起きないと。今日からバイトなんだ」
「バイト? もう学校は行かないのか」
「そうだよ、ぎりぎり卒業したからね。バイトのことは話したでしょ、ラームも必要だから一緒に来てねって」

僕は布団をはがし、重い腰を上げた。召喚獣が寝床にあぐらをかいて見上げる前で、パジャマから私服に着替える。

丸い窓の外からちゅんちゅん、と鳥の囀りが聞こえる。
小鳥や動物は好きだ。外の朗らかな空気に誘われてるみたいで、気分も高揚してくる。

この塔でのんびり暮らす生活もお休みかと思うと、ちょっとは寂しいけれど。

「さ、今度は僕のご飯だ。ラームも準備出来た?」
「ああ。俺はもうとっくに出来ている。行こう、レニ」

召喚獣が差し出した手の指先だけ、そっと握る。
ふっと蜂蜜色の瞳を細めたラームを見上げ、僕は首を傾げたが、ちんたらしてる時間はない。

そうして僕は朝食を取るため、二人で敷地内にある屋敷へと向かうことにした。





魔術のアトリエ兼寝床となっている塔を出て、ちょっとした森のような小道を歩いていくと、僕の父と使用人たちが住んでいる屋敷がある。

玄関の両扉を開け、廊下の先の食事室へと足を踏み入れた。
新聞片手に朝食をとる父チャゼルが振り向き、挨拶がわりにあくびをする。

「ふあぁ……。はよ、レニ。今日早えなぁ」

父は明るい金髪と赤い瞳という特徴的な容姿だけでなく、朝が弱い所も僕に似ている。
年のわりに顔立ちは若く、だらしない服装を直せばそれなりに見えるのに、といつも思う。

「だって今日バイトだから。お父さんが紹介してくれたんでしょ、もう忘れたの?」
「あ。……ああ、そうだったな。最近研究続きだったからさ、記憶がよく飛んじゃってよ」

頭を掻いて眠気覚ましのコーヒーをすする父が少し心配になる。
僕に魔術を教えてくれた「師」でもある父は、自ら怪しげな魔道具会社を経営する魔術師として働き、日々徹夜ばかりしているのだ。

会話もそこそこに僕はテーブルにつく。
隣に座るラームがいつも通り体ごとこちらに向けて、じっと様子を見てくるのも気にせず、ぱくぱくとご飯を食べ始めた。

「レニ、お前緊張してんだろ? 大丈夫だよ、あいつもいるんだからさ。困ったら泣きついて助けてもらえばいいし」
「トマス伯父さん? うーん。お父さんの兄弟だけど、なんかあの人妙に緊張するんだよね、僕」

実はバイト先の教会で、今日これから面談をする相手というのは、父の双子の兄なのだ。
完全なるコネを使って雇ってもらえるのはありがたいけれど、僕にはもう一つ心配事がある。

「それにさ、ラームのことだけど。大丈夫かなぁ、あんまり協調性なくて…」
「はは、それはしょうがねえよ。こいつお前のことしか眼中にないし」
「ーーレニ。ほっぺたに何かついてるぞ」

父と会話中の僕に、いきなり召喚獣の純粋な声が届いた。
太く硬い指に顎を取られ、顔を見合わせたかと思ったら、ラームの顔が迫ってくる。
ぺろり、と舌で僕の口のすぐそばを舐めとられ、全身が止まった。

「なっ何すんだよラーム! お父さんの前でっ!」
「ついてたから舐めた。ジャムだから虫が来るぞ。お前虫嫌いだろう?」
「そんなすぐに来ないよッ」

僕はきっと顔を真っ赤にして、子供のような言い草をする召喚獣相手に怒っていた。
目の前で見ていた父の笑い声が食事室に響く。

面白がられて余計に腹立たしい。僕はもう十六歳なんだから、笑い事じゃないのに。

「はぁ、ラーム。よく親父の前でやるよな、お前も。でもな、外ではすんなよ。レニが可哀想だからな」
「……なぜだ? かわいそうなのか、レニ。これも嫌なのか」
「これもって、お前普段何してんだよ俺の息子に」

呆れ顔で話す父を無視して、憐れみを誘うラームの視線が僕に突き刺さる。

二人の間の魔力供給のことは、父には秘密だ。
隠し通せてるのか分からないけれど、バレるわけにはいかない。

「もう、ラーム。そろそろ行くぞ。初日から遅刻したら駄目だからなっ」
「分かった。行ってくる、チャゼル」
「おう。気をつけろよ二人とも、遅くなりそうなら連絡するんだぞ」

なんだか朝からどっと疲れてしまった。
でも気持ちを切り替えて、僕と召喚獣は教会に出かける準備をした。



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