▼ 8 理解する
シスタは彼らしくない足音で屋敷の廊下を踏み、ぴたりと広間のガラス戸前で止まった。直に夜が来る薄闇の下、庭園のテラスに出る。
「ブルード。紅茶を入れてもらえるか」
「かしこまりました、シスタ様。ご一緒にケーキはいかがでしょう」
「……頼む」
そばへ現れたグレイの髪色の執事が礼をし、朧に消える。
同時に回りの松明台にも火が灯った。
丸いテーブルへ着き腰を下ろす。そう時間も経たぬうちに長身の老人が部屋から台を引いてくる。
彼はポットとカップを用意し、丁寧に注いでくれた。
薄いブランケットも持ってきてくれたため、肩に羽織った。
「ケーキを食べ終わるまでそこにいてくれ」
「かしこまりました。ごゆっくりお召し上がりください」
シスタは景色を眺めながら、一口ずつ運んだ。果物入りのショートケーキだ。
執事が静かに控える光景が懐かしく、よく噛んで味わった。
残り半分になり、姿勢よい執事に話しかける。
「少し聞いてもいいか」
「なんなりと。シスタ様」
「……彼のことだ。ベルンホーンは、あなたから見てどんな人物なんだ? 昔の印象でも構わない」
執事はじっと青年に視線を合わせた。きりりとした精悍な顔立ちだが、皺が刻まれた目元は柔らかい印象を受ける。
「ベルンホーン様はとてもお優しい方です。エアフルト家の三男で、ご兄弟の中でも一際純粋な面を持ち、また芯がしっかりしてぶれることのないお方だと思います。冒険心が強く、子供の頃から無茶をなされることもありましたが、今や立派な男性に成長されたと感じますよ」
青年は穏やかな顔つきで聞いていた。
「そうか……なんだか想像が出来るな。確かに私も彼の優しさは感じるよ」
ベルンホーンなりの気遣いは、この短い間でも端々に感じた。馴れ馴れしい性格だが、こちらを求める様子は時々本当が混じっているのではと勘違いするほどだ。
「こんな風にあいつの情報を聞き出すのはまずいか。あなたから色々聞いてしまったな」
「大丈夫ですよ。ベルンホーン様はこのぐらいのことで怒る方ではありません。むしろ、直接尋ねられたほうがお喜びになるのでは」
それでも最後の言葉はやや差し出がましいと思ったのか、執事はお辞儀をして「お風邪を引きませんよう」とシスタを一人にした。
しばらく風を肌で感じていた。
すると、細長い影が庭園に降り立った。ベルンホーンだ。
彼はそばまで歩いてくると美しい所作で跪き、抱えた花束をシスタに差し出した。
「許してくれ、シスタ。さっきは俺が悪かった。お前を怒らせるつもりはなかったんだ。……これは俺が初めて自分で買った花だ。受け取ってほしい」
悪魔のまっすぐな表情を見ていると、また芝居がかったことを、と邪険には出来なかった。
素直に受け取り、中心がオレンジに染まる青色の花々を胸に抱いた。
「私に謝罪などいらない。私も頭に血がのぼり、お前にひどいことを言った。すまなかったな」
ベルンホーンは明らかに胸をなでおろした顔をした。
「いいんだ、お前は何も間違ったことを言っていない。俺は確かに短絡的だった。お前の彼氏に嫉妬してしまった故に、つい子供のような態度をとった」
「……本当に反省しているのか? 私達は友人同士だ。お前の考える妙な関係ではない」
しかし悪魔は基本的に信じないのだ。この件はとくに。
そしてベルンホーンは、ときに愛は一方的なのだとよく知っている。
シスタを立ち上がらせ、手を引いて屋内へ誘った。
「ここは冷えるな。今日はお前の部屋へ入れてくれ」
人間は複雑で面倒だ。常に絡まった糸のようで、丁寧にほどいてやってもまたすぐ絡まる。悪魔の大きく大雑把な手には余るのだ。
折れたベルンホーンは話を聞いてやることにした。
思い出させたくなかったからこれまで触れなかったが、青年を深く知ることは必要だ。
「お前はなんの病気を患っていたんだ?」
「神経の病気だ。遺伝性でな。体がゆっくり弱っていき、三十手前に亡くなると言われていた」
花瓶へ飾った花を見つめながら、ベッドに並んで座り、シスタは詳しく話す。
親友が悪魔召喚を行ったのは、シスタが十八歳になったときだ。三つ年上のその男も、今は亡き同じ師に魔術を教わった仲間だった。
「奴の名はエハルド・オース。家族も友人もたくさんいて明るく、闇とは無縁の男だと思っていた。それなのに、何の予兆もなく、急にあんなことをするとは……」
「……ほう。思いきりと根性はある奴のようだな」
我慢して聞いていたが二人の密接なエピソードなどどうでもいいことばかりで悪魔はすぐに飽き飽きした。
友情はドライであってしかるべきで、ドロドロした情念などは恋愛だけで腹が一杯だ。
「ひとつだけ約束しろ。その魂がどう存在してるか保証はない。とっくに売り払われ、消されている可能性のほうが高い。俺みたいな収集者は異端なんだ」
悪魔は真面目なトーンで語りかけ、青年の手を握った。
「だからなシスタ。そいつがたとえもうこの世に存在しなくとも、絶望して身投げしたりするなよ」
言いたかったことを伝え、子供にやるように頭を撫でる。
青年は予想に反して寂しげな笑みを返した。
「何があろうと覚悟はしている。私はただあいつがどうなったか知りたいだけだ。……それに、私はお前に魂を捧げた。私の行く先を決めるのはお前だ、ベルンホーン」
そう告げられると、またあの時のように鼓動が鳴り始めた。
まるで求婚のようではないかと。
悪魔にはせつなく感じ、自分が初めて憐れに思えた。
「シスタ……その通りだが、俺もお前のためにいるのだということを忘れるな。お前はただの奴隷じゃない。俺の大切な存在だよ」
肩を抱き寄せる。いい雰囲気だと勝手な手応えを感じていたのだが。
「私からも頼みがある。私に「優しい」言葉を吐くな。神経に障る」
青年の棘にまた触れたベルンホーンは、自然と柔らかい笑みをこぼす。
どうしてそこで機嫌がよくなるのかシスタには分からなかった。
「具体的にどういうことだ? それは俺の「甘い」言葉か、シスタ。教えてくれ」
「すべてだ」
「お前の言うことは難解だな。それではお前と話せなくなってしまうだろう」
ため息混じりに頬へキスし、二人はしばらく珍しいお喋りの時間を過ごした。
◇
こうして少しは理解し合えた悪魔と青年は、後日非公式オークションの会場にいた。
正装で豪華なソファ席が並ぶホールに入場する。闇取引ながら規模は大きく、客は皆仮面をつけていて妖しげな雰囲気だ。
魔族の中でもとくに反社会的な出で立ちの組織が警備を行っていた。
ベルンホーンとシスタは中央の二人席に座る。着飾った紳士淑女と同様、酒を片手に開始を待った。
音楽とともにアナウンスがなされると、早速取引が始まり、次々とコールがかかる。出品者はもちろん伏せられ、購入者にもスポットライトは当たらない。
「俺達の番だ。わくわくするな、シスタ」
「そうか、私は怖くなってきたよ」
堅実な青年には慣れない場所だ。
テーブルに乗った自分達の商品が登場すると、経験豊かなベルンホーンの横顔は娯楽のごとく見入っていた。
「お! すぐに誰か落札したぞ。信じられない額だ。本気か? 素人かよ」
一瞬怪訝な声を出したが、三つの魂セットが買い取られたなら喜ぶべきだ。
しかし不思議なことに、出品者は会場に影も見られなかった。
「どういうことだ? ここにいないのか」
「きっとVIPだろう。別室で参加しているのさ」
上機嫌な悪魔はそのまま終わりまで見届け、青年を連れて会場を去ろうとした。
裏口の馬車に乗り込もうとした時、支配人の中年男に声をかけられる。
「お客様。お待ち下さい。少し問題が起きまして」
「なんだ? 不備はないはずだが」
不可解なベルンホーンは言われるがまま、シスタとともに会場の控室に案内された。
何度かここには出品歴があり、トラブルになったこともなかった。
だが突然驚愕の事実を知らされる。
「なんだって? 出品者を明かさないと買わないと言っているのか。誰だそいつは! 無礼な金持ちだな、ルールの守り方も知らないとは」
「いえそんなことは……滅相もございません、ただ、私どももあの方のお申し出は受け入れるより他は……」
歯切れの悪い支配人の後ろから、扉が無遠慮に開かれる。
現れた男に、ベルンホーンの口は開いたまま固まった。
透けるような白肌と、肩まで真っ直ぐ伸びる銀髪がまぶしい極上の美男子だ。だが表情は魔族の中でも抜きん出て冷血で、紫紺の瞳は侮蔑の眼差しを向けていた。
「やはり来たか。いつかお前が引っかかるのではないかと、待ち構えていて正解だったな。ベルンホーン」
「…………兄上」
シスタは顔を引きつらせる上級悪魔の焦りと緊張を、初めて肌で感じとった。
兄と呼ばれたもう一人の魔族は、決して距離を縮めたくない威圧感と冷気をまとっている。
「なぜこのような汚れた場所に貴方がいるんです。まさか俺の商品を落札したのは、兄上か?」
「そうだ。あんなゴミのようなもの要らないが、お前に言うことを聞かせる機会があるのなら、私は手間を惜しまないからな。実に弟思いの兄だろう?」
ベルンホーンの普段のお気楽さは影をひそめ、目線が下にある兄を見つめて肩を落とした。
「ちゃんと買ってくださいよ。それと今俺は忙しいんです。今度にしてください」
「忙しい? お前がか? 仕事につかずいつもふらふらと情けない生き方をしているボンクラ男のどこが忙しいとーー」
悪魔の兄は口は厳しいがまとう気品と出で立ちから、位の高さが伺えた。魔力量も凄まじく圧倒される。
後ろで目線を下げている護衛二人も長々とした説教に慣れた様子だ。
彼はシスタを完全に無視し、いないものとして扱った。目に入れる必要もないのだろう。
「とにかく、一度屋敷に顔を出せ。父上もお前に会いたがっているぞ」
「そうですね……では兄上がいないときにまた」
「何か言ったか?」
「冗談ですよ。行きますから。お金は全額振り込んでくださいね、苦労したんですそいつら殺すの」
「嘘をつけ。まったく、下賤の輩に対して我が家の力を無駄に使うとは。ーーではな、私も忙しいんだ。一週間後の夕刻に来い」
そう言い切り、彼は長いローブをひるがえして去っていった。
ベルンホーンは短い間にも疲労がにじみ出ている。
だがやがて落とした肩を戻し、シスタに向き直った。
「びっくりさせたか? 悪いな。今のは俺の家の長男、ゼフィルだ。見た通り、ものすごく付き合いづらく厳しい男だよ。まあいい、無事に売れたし、あちらに渡ったならこれ以後は心配することはない。さて帰ろうか、シスタ」
気を取り直す男に対し、青年はまだ疑いの目だ。
「お前は家の中で複雑な扱いなのか?」
「……うっ。おいおい、お前まで厳しい物言いはやめてくれ。俺の唯一の癒やしが……」
頭に顎を乗せハグされる。
なんだか同情心が湧いた。この完全無欠的な強い男にも、当然ながら従わざるを得ない格上がいるのだと。
prev / list / next