Otherside | ナノ


▼ 9 霊魂管理局

実家へ帰る前に、ベルンホーンにはやることがあった。自分が腰かけ的に籍を置く霊魂管理局での用件だ。

ロングコートに白シャツという、街歩きの格好をした悪魔をシスタは玄関近くで呼び止めた。

「ベルンホーン。出かけるのか? 私も行きたい」
「……えっ? ああ……そうか? なら一緒に来い、シスタ」

今日は一人で行かなければならなかったはずが、お気に入りの青年についていくと言われれば、いくら上級悪魔でも無下に出来なかった。

あの日から少しずつシスタは積極的になっている。
青年を連れ回すのは楽しいが、移動する間にどう切り抜けようかと密かに考えていた。

都市の奥まった森に到着し、頑強なフェンスが囲む建造物に入っていく。
看守のごとく制服をきっちり着た受付の男は、この前の厳格な手練れではなく初々しい若者だ。

「あっ、エアフルト様。今日は所長とのお約束ですね。どうぞ突き当りの部屋へお入りください」
「ありがとう。君は話が早くて助かるよ」

褒められて笑顔になった金髪の青年をちらと見たシスタは、やんわりと悪魔に正面を立ち塞がれた。

「ここで良い子で待っていろ。今日は特別な話があってな」
「……そうか。分かった」

あっさりと頷いた奴隷に満足し、ロビーの長椅子に座らせた。何食わぬ顔のベルンホーンが扉奥に消える。

部屋は所長の書斎で、のんびりした男にはいつも待たされる。
十分近く経ち腕時計に苛立ち始めた頃、奥から恰幅のいい制服の男が現れた。金髪を後ろになでつけ、指輪を多く嵌めた成金ぽい男だ。

「ベルンホーンくん、久しぶり。よく来たね」
「お久しぶりです、所長。今日はお時間を取って頂き感謝します」
「いいんだよいいんだよ、何、仕事してくれるの?」

にんまりと笑い、珈琲をすすって椅子の肘掛けを指でとんとんと押し続ける。
それが嫌いな悪魔はじっと耐えながら言葉を濁した。

「その前に聞きたいことがあるんですよ。上級悪魔の名簿を見せてくれませんか? トロイエという者を探してるんですが。所長はご存知ですか」
「うーん。知らんねえ。誰それ? 重要なやつなの?」

頷くと、指をぱちんと鳴らした男は名簿を部下から持ってこさせようとした。
だが誰も来ず、首をひねる。

すると数秒後に扉が開かれた。入ってきたのは白いローブをまとったシスタだった。
驚きの声を先に上げたのはベルンホーンだ。

「なっ。シスタ、どうやって入ってきた。あの男が通したのか?」
「彼には少し催眠で眠ってもらった。名簿を探している最中にな。これが必要か」

シスタは悪魔にではなく、所長に分厚い本を差し出した。挑戦的な振る舞いにあのベルンホーンも半分頭を抱える。

「失礼だろうシスタ。でもすごいな、お前の力を見くびっていたかもしれない。ねえ所長?」
「あのなぁ……私の息子に何するんだよ! 無礼だぞ君! 早く起こしてこい!」
「ここに私も同席させてもらえるなら」
「あーあー分かったから! もう! ベルンホーンくん、きみの責任だよ!?」

怒り出す所長に二人は頭を下げる。だが受付を起こし戻ってくると、所長も落ち着きを取り戻しなんとか許してもらえた。

自分で勝手に見ろと言われ、ベルンホーンは仕方なくシスタの前で調べる。

「トロイエを探しているのだろう。彼は中級のはずでは?」
「……気づいていたか。俺の動向に」
「なんとなくは。忙しそうにしていたからな。お前なら先に手を打とうとするはずだ」

だが、親友を殺そうとまで目論んでいるとシスタは気づいてないだろう。
そうタカをくくっていた悪魔は、トロイエについての調査を彼にも明かした。

「ないな……そんな名前はどこにもない。ありえないだろう。犯罪者か? 所長、あなた野放しにしてていいのか?」
「君達の話は聞いたがね、そこの魔人くんの言うことを全部信じてる君のほうがおかしくない? 嘘つきかもしれないじゃん」

シスタは「嘘ではない」と強く反応する。
それを見て所長は意味深に笑った。ベルンホーンはそんな彼を怪しむ。

自分はシスタを信じているつもりだ。だから何か隠しているならこの男だと考えた。

「やっぱり知ってるんですね。この上級は俺ですら簡単に手が届かないところにいるに違いない。そうだろう所長」
「ははは〜さあなぁ。知りたければ仕事してくれ、ベルンホーンくん。頼むよ。今ちょうど君に助けてほしい案件があるんだって」

やはりか、とうなだれる悪魔をシスタは気がかりに見やる。

「わかりました。なんですか」
「やった! 助かるよ、ほんとに」

嬉々とした所長はトロイエの情報を渡す代わりに、依頼内容を説明し始めた。
最近、確実に面倒事が増えているのだが、隣で真剣に耳を傾ける青年を見ていると、愛しくも思い、ベルンホーンに不思議とやる気は生まれていった。





後日、さっそく現場へ向かう。早く済ませ目標に目星をつけておきたかった。
そんな悪魔の隣には、シスタも一緒にいる。今は魔人として生きる魔術師として、肩を並べてもすぐに死なない程度の実力はあるとベルンホーンも判断していた。

「俺の加護がある限り、お前は無事だけどな。シスタ」

首輪をなぞり優しく言い聞かせる。
青年は冥界での初めての仕事に緊張した様子だった。

さっきから建物の一室で、ある男を見張っている。相手は上級悪魔だ。そう知っただけで震えが起きた。

「あの男を捕らえるのか?」
「そうだよ。見てみろ、薬漬けのようだな。もう十数年も姿を見せていないと所長は言っていた。早く奴の所持する魂を回収しなければいけない」

簡素なアパートの窓には、床にうずくまる長髪の男が映っていた。裸の上半身は痩せていて瞳も虚ろだ。

彼は管理局に雇われた者で、魂狩りの仕事を日々こなしていた普通の上級悪魔だ。しかし直近の依頼で地上に消えたのち、長く連絡が取れなくなったようだった。

ところが最近急に姿を現したため、彼を捕まえる力をもつベルンホーンに捕獲が頼まれた。

「とはいっても俺の仕事は単純で、ただ説得することさ。なにか事情があるんだろう」

あまり殺気を放たない悪魔をシスタは不思議に見やる。
中級との戦いではあれほどヒリついていたのに、今回はそれほど重大視してないようだ。

しばらく動かない対象を観察したあと、いよいよ悪魔はその部屋に向かった。

階段を上り、何度かベルを鳴らす。
応答がないためドアの結界を解いたのち、鍵をこじ開けた。

男は生活感の薄い部屋の窓際で、同じポーズでうなだれている。意識は朦朧としていた。

「おい起きろ。……駄目か? シスタ。屋敷へ戻ってブルードから酔い覚めの薬を貰ってくれ。ドリマ中毒だと言えばわかる」
「……! ああ、分かった。行ってくる」

指示されると思ってなかった青年は、責任をもって屋敷へ向かった。やがて戻り、ベルンホーンが男に小瓶を飲ませた。

「っう、ぐっ、ふ」

むせる男の背を叩き、呼吸を整えさせる。

「なんだお前……」
「管理局の者だ。持っている魂を渡せ。腐ってしまえば転生できなくなるぞ」
「いやだ……渡さない、これだけは……」

男は自身の胸を鷲掴み首を振る。

「大事な女の魂なんだ。見逃してくれ、頼む……」
「諦めろ。それはお前のじゃない。局に所有権があるのは知っているだろう?」

冷たく諭したベルンホーンを真下から男が鋭い眼光で睨みつける。

「違う! 俺のだ! 邪魔するな!」

男が手を伸ばしたのは近くにいた奴隷の首輪だ。しかしその腕はベルンホーンの五指に握られた。
シスタは突如訪れた緊迫感に動けなくなる。

「……それは俺の奴隷でね。勝手に触らないでくれ」
「人間のペット連れか。俺と変わらないじゃないか」

振りほどいた男は立ち上がり、もう元気になったように歩きながら距離を取る二人を見つめる。
ベルンホーンは面倒くささを隠して提案をした。

「その女が気に入ったのなら、似たようなやつを俺が紹介してやるよ。お前好みに作ってやろう。どうだ?」
「ははっ。お前は気狂いか? 俺はこれがいいんだ」

胸から魂を取り出して、赤い舌を伸ばし口に入れる素振りをする。
その場にいた奴隷はぞっとした。両者の言い分に。

「長年地上になど下りているからそうなる。上級のくせに人間と深く付き合うな」
「お前はどうなんだ? その首輪……慣れた手口だな、常習だろ? くくっ、下層ペットを舐め回す変態が」
「これは俺が見つけた野良の魂だ。時間をかけて厳選したものだから、他人に口を出される筋合いはない。もう一度言おう、その魂は局に管理権がある。犬なら犬らしく、さっさと飼い主に獲物を差し出せ」

語気を強めたベルンホーンに対し、男はカッとなって「うるせえ!」と叫び前方に手を突き出した。シスタは反射的に身構える。

だが瞬きした一瞬のうちに、そこはアパートじゃなくなっていた。
満天の星空のもと、足元に褐色の砂が広がる荒野だ。

空間転移を初めてここまで高度なレベルで味わったシスタに震えが起こる。

ベルンホーンはしかし腕を組み、そんな青年を見つめていた。

「ああ、またお前を不安にさせてしまったか。こんなやつのせいで。ごめんなシスタ。すぐに終わるから、そこで待っていろ」

そう告げた悪魔の頬が、鋭い直線で切られる。
流れる赤い血を、ベルンホーンは嫌そうに指で拭った。

「やめろよ、そのままの姿でいろ。今日は長く風呂に入りたくない。この仕事が終わったら、奴隷をゆっくりベッドの上で愛でたいんだ」

ふざけた言い分を男は聞かず、あの奇妙な音が広がり始めた。
頭を下げ、不規則な呼吸で肩を盛り上げる男を目にし、シスタは叫ぶ。

「……だめだ、やめろ、ベルホーン、やめてくれ!」

上級同士の戦いが始まったらきっとこの悪魔も無事ではすまない。あの禍々しい怪物のような姿が鮮明に蘇る。

しかし、敵は変身する寸前に一瞬で姿が消えた。
代わりに重い打撃音が響き、不思議に思ったシスタは下方を見る。

すると男は後頭部を地面にめり込ませて倒れていた。
前屈したベルンホーンが彼の頭を掴み、押さえつけている。

彼の腕は黒く盛り上がり、無数のつららに埋め尽くされていた。それが侵食していき、上腕から首にまで上がってくる。

「ベルンホーン!」

シスタはすぐさま走り寄った。
すると悪魔はゆっくり振り返り、緑の瞳の瞳孔を開かせたまま、ぱっと手を離した。

「だ……大丈夫か」
「平気だよ。ああ、でもまたこのザマだ」

ぽたぽたと黒い血が腕から流れている。溢れ出た魔力だ。
ベルンホーンは気に入らず、「欠陥品だ」と吐き捨てた。

しかしシスタはローブを脱いで自分のシャツをちぎり、それを手当するように彼の腕に巻き付けて結んだ。

「シスタ、お前は優しいな。俺はどこも怪我してないのに、なぜか心が痛む」

静かな風の吹く夜の荒野で、二人は下にめりこんでいる男を見た。

「死んだのか……?」
「このぐらいでは死なない。腐っても上級だ。運んでやろう」

彼を抱え、いとも簡単に空間魔法をとき、アパートへ戻った。
床に寝かせ、治癒魔法を全身に当てろと言われ、シスタはそのとおりにする。
意識はなく顔はへこんでいて、意味があるのか分からなかった。

その間、ベルンホーンは彼の家を調べ、いくつかの魂も回収した。

彼はどうするつもりだったのか、局に報告もせず家にためこんでいたようだった。
シスタはこういうことは稀に起こると聞いた。悪魔でも情が移る場合があるのだ。

体の構造も関係するらしい。地上では年月が約三倍の速さで進む。魔界や冥界にいる魔族の年齢がそのまま比例するわけではないが、時間の流れは変わらない。

そのため地上に長く留まればとどまるほど、体内の流れも凝縮され、魔族の身体機能や精神に影響が出るようだった。

人間界の綺麗すぎる空気も蓄積されれば、瘴気が必要な体には中毒を引き起こす。

「私は長い間悪魔を研究してきたが、知らないことだらけだ。……そうまでして地上を離れなかったとは。彼は本気でその女性を愛していたのだろうか」
「さあな。俺達にはどうでもいいことだ」

この間は偉そうに愛を語っていたのに、何なのだと青年は顔をしかめる。
だがシスタも別にこの男と真剣に語り合いたいわけではなかった。

シスタ自身、人を愛することがどういうことか、まだ知ったことはなかったのだ。

アパートを去り、管理局へ向かう前に尋ねた。

「どうしてお前はそんなに強い? 上級の中でもレベルはかなり違うんだな」
「そりゃそうだ。皆才能も生まれも血統も異なるからな。そして俺は、別にそこまで強くない。兄上達と比べればな」

依頼が一段落し、段々と悪魔にも柔らかい顔つきが戻る。

「こいつが本当の姿になる前に落とせたかどうかで、もちろん今日の結果は変わったぞ。俺も少し本気を出さなければならなかった。そうなったら、帰りも遅くなり、お前を抱くまでも時間がかかった。最悪だ」
「わかったよ。お疲れ様だな」

もういつもの調子に呆れた青年が労うと、ベルンホーンは楽しそうに笑った。



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