Otherside | ナノ


▼ 2 色々知る

ベルンホーンがシスタと出会ったとき、その魂の恐れ無き潔白さに魅了された。
強く、無垢で、触れがたいのに悪魔を心から求める激情を感じとった。

なにより魂の色だ。
静かな深海で煌々と光放つかのような、深い青。
ずっと追い求めてきた魂の原石は、まさにこれだと考えた。

「ここは……何の部屋だ?」

シスタが目覚めたあと、ベルンホーンは屋敷の地下に連れて行った。壁一面銀色のがらんとした空間に、いくつかの彫刻が施された台座が置いてある。

「これは魂の柱だ。捕らえたものを保管している」
 
手を伸ばし、力の波動を伝えていく。
すると二つの台から、炎がまっすぐ立ち上った。一方は黒光りで、もう一方は色褪せた黒だ。

「中級悪魔ディーエと、俺が契約していたマルグスの魂だ。予定より早く手に入ったな」

シスタの目の色が変わる。彼は初めて仲間に取り憑いていたディーエが死んだことを知った。

「ではシグリエルは、打ち勝ったのか?」
「誰だって? ……ああ、マルグスの息子か。奴は父親を殺したが、自分も死んだよ。この中級はそのあとに仲間の転生者に狩られていた。だから俺が持ち帰ったのさ」

淡々と告げると青年は絶句する。混乱の中で無情な哀しみに沈んでいった。
経緯はよく分かってないようだが、ベルンホーンも地上の人間関係には興味がない。

シスタが驚いたのは、悪魔は残った兄弟らの魂も奪わなかったことだ。
ベルンホーンは契約者の魂を熟成することに重きを置いていて、自ら乱獲するタイプではないのだと知った。

マルグスとの契約についてさらに尋ねると、こう答える。

「よく喋る男だった。気前はいいが奴自身の質が悪すぎると思い、一時期放置したんだ。その間に現れたのがこの中級だ。俺は同時期に契約をいくつかするから、適当に回収する予定だった。……シスタ、お前を見つけたのは運がいい。あの男を追い出した手腕には惚れ惚れしたよ」

出会いの場となった光景をベルンホーンは追想する。
そのつもりはなかったが、妖艶な笑みはリップサービスに思えたのだろう。
青年は素っ気無く話題を変えた。

「お前は今も何者かと契約をしているのか」

問われると悪魔は「ああ、している」とだけ答え、詳しくは語らなかった。

なんのために?生業か?という厳しい眼差しが突き刺さる。
その答えを教えてやろうと、ベルンホーンは上機嫌に二つの魂を取り、手のひらにしまい込んだ。

「では俺の仕事の一部を見せてやるか。まずはお前に街を案内し、服も手に入れなくてはな。さあ出かけるぞ、シスタ」

奴隷の青年を手招くと、颯爽と地下を後にした。





二人は冥界一層の大都市エラクワに降り立った。
シスタの目に飛び込んできたのは、同じく転移魔法で往来する人々と、彼らが大広場へ続く一本道へ歩き出す姿だ。

冥界の街の作りは何もかもが巨大で、紫色の空の下には宮殿のような高層建築が立ち並ぶ。

石畳の広場へ行くと魔神や魔物像らしきものもあり、まるで観光地のように魔族の家族連れが写真を取っていた。

「普通の街のようだ。文明は進んでいるが……」

馬に似た動物の馬車が行き交うのを眺めながら呟く青年に、ベルンホーンは笑いかける。

「魔物がほっつき歩いている荒涼の地を想像したか? 一層に住んでいるのはほぼ上級市民だ。棲み分けは大事だからな」

シスタは納得し悪魔を見やる。
周りの魔族は皆長身で暗色のマントを羽織っているが、ベルンホーンは白いタートルネックに淡色のコートを羽織り、華やかな印象だ。

少しくせ毛の柔らかな銀髪は、朝と違い綺麗に後ろに撫でつけられ、大人の男に見える。
外にいても目立つこの男は、容姿が一際美しいのだと認識した。

「どうした? 俺のことをじろじろ見て」
「いや……何でもない」

対して自分は首輪にローブ姿の、明らかな奴隷だ。
街中でシスタを一瞬見る者は多いが、ベルンホーンは自然と視線を避けられている様子だった。



それから二人は服屋に向かった。衣服や靴、装飾品が揃う老舗店では、特別個室で服を出され選んだ。
残りは家に送るという。ベルンホーンはシスタにかかる金を気に留めてない様子だった。

「私は奴隷としては破格の扱いだな。お前と並んで見栄えが悪くならないようにするためだと思うが」
「シスタ。お前は裸でもこの場にいる誰より魅惑的だ。もっと自信をもて」

表通りを歩く最中に隣の男から辱めを受けたと感じた青年だが、顔には出さずに無視する。

「しかし、お前は何でも黒を選びすぎる。俺は黒が好きじゃないんだ。もうやめてくれ」
「……わかった。だが、このローブの色は……慣れない」

さきほど買ったものは、白い上質な布に薄青の刺繍が施されている。奴隷の身分をむしろ隠すような目立つ代物だ。しかしベルンホーンはただの好みだと説明した。

二人はやがて目的地へたどり着く。そこは銀行に似た場所らしい。
議事堂か神殿かと見まごう荘厳な建造物の裏口から入ると、七三分けの白髪の紳士が会釈をして待ち構えていた。

「ようこそエアフルト様。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

当然のごとく長い廊下奥の個室に案内される。
商談を行えそうなアンティーク調の室内では、机の前に二つ席があり、ベルンホーンは隣にシスタを座らせた。

ボーイが現れ、炭酸水のようなグラスをそれぞれに置く。

悪魔は手のひらから魂を取り出した。
特殊な台に乗せ、従業員が鑑定し始める。そのやり取りでようやくシスタは売買取引なのだと知った。

「素晴らしいですね。この人間の魂は成熟しきったものです。時間をかけた分のリターンは確実にあるでしょう」
「そうか? たいした魂とは思えず感動は薄いよ。薄汚さはピカ一だが」

二人は上質に笑う。マルグスは死んで当然の下衆だということは周知だが、人の魂を品評される不愉快さはあった。

「それでな、この中級のは綺麗に洗ってくれ。記憶が残らないように」
「わかりました。契約を横取りされたのですよね? ならば消しても問題ありません」

悪魔の魂の取り扱いに関しては条約があるようだった。
それでもシスタには、すべて計算された流れにも見える。

話し込む二人にシスタは蚊帳の外だ。
ふと、グラスに手をのばす。口をつけた瞬間、水の色が真っ青に変わった。異変に気づくがそのまま飲むと、美酒の味がした。

二人の視線はいつの間にか自分にある。老人は微笑んだ。

「それは魂の色を映す酒なのです。美味しいでしょう」
「ああ……美味いな」

こういうのが流行っているのかと感心した。
シスタにじっと見られたベルンホーンは苦笑する。

「俺の色が気になるか? やめておこう。この味はあまり好きじゃなくてね。知っているのにこの男がお前を楽しませようとわざと出したんだ」

魔族は笑い合う。どうやら自分も不歓迎ではないらしい。
ベルンホーンに好き嫌いが多いことも知った。



無事取引を終え銀行を出た。
伝票に記されたゼロが桁違いの金額は、即口座に振り込まれるようだ。

冥界でのやり取りは高度な文明だと感じる。ベルンホーンがかなり地位の高い悪魔だということも。

「では、お前は魂を集めて売るのが仕事なのか。狩猟者のごとく」
「その言い方だと死神のようだが俺は違うんだ。まあこれは、趣味に近い。今それで飯を食っているかと言われればそうだが」

回りくどさに要領を得ない。詳しく話す気もないのだろうと考えた。

「飯と言えば、お前はお腹が空かないのか?」
「……そう言われると空いてきたな」
「なんだ、我慢していたんじゃないだろうな。遠慮なく俺に言うんだぞ。お前の必要なものは与えてやる」

およそ奴隷にやる素振りではない、街中で頭を撫でるという行為をされてシスタは閉口する。

「外で食べるか。それとも俺に何か作ってほしいか」
「お前が、作るだと?」

どういうつもりなのか、さっぱり分からなかった。

「よし、そうしよう。実は俺もうるさい所で食べるより、家で静かに食事するほうが好きなんだ」

その意見に同意したつもりはないが、これから起こることに興味を引かれ従った。

二人が屋敷へ着くと、すでに衣服や靴が豪華な箱で届いていた。

しかし妙だ。明らかにこの悪魔は裕福で位が高そうなのに、シスタでさえ生前に雇っていた使用人の類が一人もいなかった。

気難しいタイプにも思えない。腹の内は知るよしもないが、想像していたより明るく気さくな男だ。
昨夜の雄々しく劣情した男の部分は除くとしても。

一階に食事室はあったが、暗く静まっている。
隣室の台所に向かい、カウンター裏で作業をする男をシスタは遠目で眺めていた。銀髪の男が油も跳ねるのも気にせずダイナミックに鍋を振るっている。

やがて食卓に出されたものに愕然とした。
どう見ても焼いた皿いっぱいの巨大なヤモリだ。毒々しい赤色は食欲を減退させた。

「これは冗談だろう。私は爬虫類は食さない」
「いいから食べてみろ、美味しいぞ」

尻尾を掴み丸呑みする様子は初めて悪魔に見えた。

「どうした?」
「いや……喉が強いんだな」

指摘がうけたのかくつくつと笑い出す。ベルンホーンは隣の椅子ごとシスタに向き直り、緑の瞳を艷やかに細めた。

「お前の喉はどのくらい強いのかな?」

そう言って顎をそっと上向け、唇をいやらしく見つめられてシスタは辟易する。
何を言わんとしているか分かる自分にも嫌気がさした。

「お前は下品な男だ。ベルンホーン」
「下品? どこが? 性的魅力を称えることは良いことだろう?」

本気でそう思っている男を相手にするのはやめたかったが、悪魔はわざとらしく首をひねる。

「俺はひょっとしてお前の想像と違ったか」
「ああ。勝手に孤高の存在だと思っていた。皆、とてつもなく恐れていたよ」

今、その恐れが消えたわけではないが。
悪魔の軽妙な笑い声に、なぜか背筋は凍らない。

自分も人の身でなくなったからだろうか。

「ふふ。見えないものや手の届かないものを想像するとき、勝手に盛り上がるのは嫌いじゃない。俺も同樣だからな。お前を転生させるときは、柄にもなくドキドキしたよ。姿形は自由に設定できるのに、前世と同じにした。なぜだか分かるか?」

うっとりと頬を触られ、黒髪に指が優しく入り込む。
理由などシスタにはどうでもよかった。ただ、この鮮やかな緑の瞳に捕らえられるのは落ち着かない。

「お前が作ってくれた料理が冷めてしまうな。頂くことにするよ」

ナイフとフォークで少しずつ口に運ぶと、悪魔の笑いがまた広がった。

黙々と食べると味は意外とおかしくなかった。昔、地元で頻繁に出された蛙が嫌いだったが、それに食感は似ているのに肉の味がして旨味がある。

「悪くない。美味しいといえるだろう。ありがとう」
「ふっふっふ。俺に礼を言うなんてお前は律儀なやつだ」

ベルンホーンは青年が腹を満たす様を機嫌よく眺めていた。そして最後にこんなことを言う。

「毎日作ってやりたいところだが、俺も中々多忙でな。お前のために料理人と執事を用意しよう。どうだ? シスタ」
「いや……そこまでしなくていい。お前はあまり人に囲まれるのが好きではないんだろう? 自分の世話は自分で出来るさ」

悪魔は素っ頓狂な顔をした。シスタの鋭さと気遣いは意外だったらしい。

「俺とそんなに二人きりで過ごしたいか。可愛いことを言う」
「……どうしたらそんな風に曲解できるんだ。やっぱり用意してくれ。一人じゃ不安になってきた」

投げやりに呆れる青年に悪魔は微笑む。
最初からそのつもりだった。
不在時に大切な奴隷を見張るためにも。



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