▼ 1 奴隷化 ※
シスタ・レイズワルドは、純白の壁と家具がぼんやり薄紫の照明に照らされる部屋で目覚めた。
直立する自分は何も身につけておらず、白くなった手のひらを裏返して見つめる。
「…………私は、転生したのか。ベルンホーン」
視線を正面に上げて尋ねる。
一人がけのソファに座った男は、鮮やかな緑色の瞳をにっと細めた。
あの最期のとき、心象風景の中に現れた上級悪魔。
白い肌に映える真ん中分けの銀髪に、凛々しい眉にかかる程度の前髪、堀の深い整った顔立ちに覚えがある。
奴は立ち上がり近づいてきた。
筋肉質でスリムな肉体は見上げるほど背が高く、魔族特有の手足の長い完璧な造形には威圧感すらある。
「俺のことを覚えていてくれて嬉しいよ。シスタ」
伸ばされた長い指に、頬を触られ撫でられた瞬間。払いのけたくなったがシスタは我慢する。
「何か着るものをくれないか」
「必要ない。お前の肢体をよく見せてくれ」
つま先から下半身、胸部、顔へと眺め回され、不快になる。その時点で嫌な予感はしていた。
ベルンホーンの手元には、いつの間にか黒い輪が握られている。
転生し、魔人になったばかりの青年の青い瞳が、わずかに動揺を映した。
「怖いか? 怯えるな……これはお前を守るものだ。魑魅魍魎がのさばる冥界では、これなしではお前は一瞬で死んでしまうからな」
喉の奥で笑いながら、悪魔は青年の首にかちりと首輪を嵌めた。
銀細工が施された細い黒革にシスタは強く眉間をよせたが、しかたがない。
自分はもう、この男の奴隷に成り下がったのだ。
「さあシスタ。俺にお前を味わわせてくれ」
「……なんだと……?」
「とぼけるなよ。何をするか分かっているんだろう? ここは俺の寝室だ。愛しい奴隷よ」
シスタの目元が怒りで引きつる。
男はどこ吹く風で、顎をとり口をそっと親指でこじ開けた。
身長差があるため背をかがめ、青年の唇に舌をいれてキスをする。
「…………ッ」
青年は体を硬直させたまま、終わるのを待つ。
ベルンホーンは両腕をまわし抱きしめたあと、耳から首筋へ口元を這わせ、機嫌よく匂いを掠め取った。
「ああ……お前を食うのが待ち遠しい。俺のはすごく大きいんだ。きっとお前も気に入るはずーー」
耳障りのよい美声に吐き気がしながら、シスタはすぐ後ろにあったベッドに押し倒された。
「く……ぅ……ッ」
それから冥界の朝が来るまでシスタは悪魔に犯された。
意地でも奴の好みの喘えぎを出さぬよう、耐えに耐える。
痛みはまるでない。傷一つない肌を含め、外見はさらに美しくなっただけだが、人でなくなった強靭な体は快楽のみを真っ向から受けるように作られたと錯覚する。
「ああ、まったくお前は、頑固な男だ。俺のペニスに抗えるとはたいしたものだな。俺にもっと褒めてほしいなら、少しは腰を振れ。動きを合わせろ」
非協力的なシスタに対しても、男は子供にするように微笑ましく語りかけるのみで本気で怒らない。その余裕が癪に障った。
「私は、こんな風に使われる以上の価値がある……お前にはいつかそれを分からせてやる……」
下から聞こえてくる恨み節に、腰を打ち付けるのを中断する。
ベルンホーンは自身を引き抜き、青年をひっくり返した。
真正面から至近距離で見つめると、まるで恋人同士のスペースにいるように悪魔は胸が高鳴る。
「お前にはもう価値を見つけている。そう心配しないでもいい。たとえセックスがつまらなくとも、お前を捨てることはないよ、シスタ」
「〜〜っ」
青年は初めて怒りを露わにし舌打ちをした。
悪魔は嬉しそうにその口を塞ぎ、太ももを開かせて中心に戻り埋めこんでいく。
魔力の共鳴が脳にまで響き渡り、ベルンホーンは押し迫る快感に酔いしれていた。
「ああシスタ、そうだ、もっと締め付けろ、さっきはつまらないなどと言ったが、お前はセックスも最高だ。毎日種付けしてやろうな」
逞しい腕を立て下半身を揺さぶられ、頭に血が上りそうになる前に、シスタは強く歯を食いしばったまま内壁を激しく震わせた。
途切れない息を吐き、力尽きた様子で両肩がシーツに落ちる。
上から抱きしめ覆いかぶさった男も深い息を繰り返し、飽きずに首筋への愛撫を始めた。
◇
シスタが再び目覚めたとき、そこは別の部屋だった。
内装は同じく純白で明るく、ベルンホーンの寝室に似た清廉な雰囲気だ。まったく悪魔の屋敷らしくない。
より小さめのベッドから起き上がったシスタは、薄手の白いシャツとズボンを履いており、あれほど汗だくだった肌はさらさらしている。
部屋を歩き回り、浴室近くにある全身鏡で自分を見た。
馴染みのある小綺麗な黒髪の男だ。魔術師らしく細身だが、骨格はしっかりしていて程よく鍛えている。
セットしていないため、さらっとした前髪は下りていて、年より若く見えるのは気に入らなかった。
「本当に冥界に来たのか……」
紫色の空を映す窓に引かれ、バルコニーに出た。
するとぎょっとした。隣のテラスで煙草を吸っている悪魔本人に会ったのだ。
「なっ!」
「ん? ちょうど起きたのか。運命だな。ははは、お前の素で驚く表情を見れた」
ベルンホーンは寝癖のついた髪で笑顔を向ける。
ボタンを外したシャツから筋肉質な上半身が覗き、色気を惜しみなく晒している。
「こ、こっちに来るな」
言うのは遅く、彼はひらりと柵を乗り越え、離れた隣のバルコニーに跳んだ。
意表を突かれたシスタには余裕はなく、身構えたものの悪魔の腕の中に捕まる。
「ああ、いい匂いがする。俺の精気と混じり合って濃厚な感じだ……」
「気色の悪い言い方をするな」
昨夜の醜態を思い返そうとしたが、諦めた。精神に害だ。
「ここは私の部屋か。律儀に用意するとは」
「なんだ? 俺の部屋に泊まりたかったか。いい案だが、多少は個人の領域も必要だと思ってな」
指に胸元を突かれ、そっと下りていく。
じっと耐えていたシスタは悪魔を見上げた。
「私はこれから、お前の奴隷となるのか」
「そうだ。問題があるか?」
「好きにするといい。……だが、こちらの望みも覚えていてほしい」
下手に出て伝える青年の目つきが研ぎ澄まされる。
病気の自分を救うため、悪魔に身を捧げた亡き親友を探すという、文字通り命を賭けた願いを。
ベルンホーンはふっと笑った。
はぐらかされないようにシスタは真剣に見据える。
「お前を冥界に連れていくというのが俺との契約の主体だ。その対価がお前の魂と奴隷化だよな? 違うか、シスタ」
そう問えば、美しい魔人の青年が、生まれたばかりとは思えぬ気迫で睨みつけてくる。
「ふふ。そんな顔をされると、またお前を犯したくなる。……そう焦るな。俺の手元に届いたばかりで、他の男の話をされれば俺だって機嫌が悪くなってしまうさ」
男は気分を和らげようと、青年の唇にちゅっとキスをする。
まるでシスタの魂そのものに価値があるかのように、慈しむ眼差しで瞳を捕らえた。
ベルンホーンの瞳には催眠の効果でもあるのか。意識がぐるぐると回りだす。渦の中に、ヘビの瞳孔のような裂け目が一瞬見え、体がびくりと強張ったシスタは、そのまま気を失った。
意図してなかったベルンホーンはとっさに青年の体をキャッチする。
「弱いのか強いのかわからんな。……興味深い男だ」
優しく頬をさすり、しばらく横抱きにして眺めていたが、寒風が吹いてきたため室内に入った。
そのままベッドに横たえ、腰をおろして上から眺める。
「お前をその親友に会わせるだと? 冗談じゃない。見つけ出して殺してやる。……お前はもう俺のものだ、シスタ……」
恍惚とした表情で明かされた思いを、奴隷になった青年は聞くこともなかった。
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