▼ 60 最終話 永遠 ※
「そんでさ、あいつほんと飲み込み早いんだよ、武器も全部覚えちまったし。ほとんど一緒にいるラノウもよく気がつくって褒めてたぜ。やっぱり組で働き出して正解だよな!」
仲間の近況を自分のことのように喜ぶ弟に、シグリエルは穏やかに相槌を打っていた。
転移魔法で屋敷に着いてからも、話に夢中の弟を一旦停止させ、黒装束の中に抱きよせる。
「お前は本当に、ハラドのことばかりだな。ここで一緒に働きたいなら止めないぞ」
「はっ? 違うって! つうか止めろよそこはっ。俺はもうすぐ兄貴といられるの楽しみにしてんだぞ? ええと、急にこうなって悪いと思ってるし」
頬をかく弟に「冗談だ」と笑んで安心させ、束の間の別れのキスを額にした。
そこを通りすがりの屈強な部下にぎょっとした顔で見られたが気にしない。
「ではまた、夜に迎えに来る」
「おう、ありがとな兄貴。寂しくないぞ、すぐ帰るから!」
なぜか子供扱いを受け腑に落ちないシグリエルは、弟に合わせ手を振り、また魔法で家に戻った。
光景は屋敷の大理石の廊下から、木彫りの居心地良い居間に移る。
けれど心はぽっかり穴が開いたように、一人きりの気持ちが室内にこだました。
「寂しいぞ、アディル」
もうすでに。
この生活が始まりたったの一週間ほどだが、弟がいることに慣れてしまい、夜まで一人で過ごすのは想像以上に退屈だった。
この何年も、どうやって生きてきたのかさえ疑問になる。
シグリエルは研究室に向かい、いつものように実験を行った。
最近は自分を含め診察が必要な不死者が三人なため、薬品や保湿剤も多く作成している。
サウレスや当主の相談も乗っているし、時々ゾークまで自分のところに来るため結構忙しい。
だが皆の役に立てることは自分でも嬉しく、有り難いとも思っていた。
午後になり、休憩がてらシグリエルは屋上の温室に行く。
ここにはヒルがいて、弟の提案によりもっとコミュニケーションを取ろうと、まめに餌をやるようになっていた。
豚の血を十滴ぽたぽたと、黒くぬめる物体の上に垂らす。
「…………ロック。お前も寂しいか。パートナーが必要だな」
誰にも聞かれない台詞を吐き、シグリエルは我に返って無造作にガラスの蓋を閉めた。
そうやって時間が過ぎ、何をするでもなく居間でぼうっとしていた時のことだ。
時刻は三時頃で、まだまだアディルの帰りまでは遠かった。
しかし誰かが転移魔法を使い、目の前に緑色の淡い光が立ち込める。
「ーーあれ? おお、ちょうどここにいたか」
「ミズカ。家の中に直接入ってくるな」
「外雪降ってんだぞ、お前出てくんの遅いだろ。地下にこもってて」
友人兼雇用主はにやりと不気味な笑いをし、シグリエルに嫌な予感をもたらす。
「暇そうだな。ちょうどいい、来いよ。アディルは?」
「ラノウの屋敷だ。俺は暇ではない。今日は仕事は休みだろう」
「皆お前を待ってんだよ、早く来てくれって!」
黒髪の男に急かされ、ラフなシャツ姿で別の場所に転移させられた。
この男はいつもこう強引だ。だが結局逆らえないことも知っていた。
そこは立地のよいレストランだった。内装は華美な異国風で、幾重ものカーテンをくぐっていくと個室に案内される。
丸テーブルには男女がいて、ミニスカート姿の一人はすぐさま立ち上がった。
「あっ、来た!! シグリエル……っ!!」
涙目で向かってきた女にどすんっ、と胸に飛び込まれる。
上目遣いの瞳は濡れていて、言葉に詰まった。
「もう、アンタってば死んじゃうなんて、何考えてんのよ……っ」
「……すまない。ネメニア」
体をそっと離し、両肩を支えて顔を覗き込む。金髪セミロングの若い彼女は、しばらくするとぱっと明るい表情を作った。
シグリエルの手を引っ張り、テーブル周りのソファ席に座らせる。
そこにはゲインズ医師もいた。珍しく白衣ではない小太りの老人に、手を差し出されて固い握手を交わす。
「ゲインズ先生。お久しぶりです。挨拶が遅れてすみません」
「いいんだよ。ワシも非公式の学会から帰ってきたとこだ。……ああシグリエル、またお前とこうして話せるのは奇跡だな。その体は師匠に治してもらったのか? 実にいい腕じゃないか」
彼は前向きな言葉を発し、シグリエル達の苦労を慮った。
これまでの感謝を改めて伝える。
マルグスとの戦いでは多くの死傷者を出した。助かった者はこの医師の助けなしには生きられなかっただろう。
ゲインズは酒も進み、普段はつっけんどんで口の悪い医者ではあるが、これからもシグリエルには協力を惜しまないと上機嫌に話す。
「確かにじいさんはこいつのこと気に入ってるもんなぁ。入院してたときもすげえ気にしちゃって。俺も何度相談されたことか」
「馬鹿もん! 余計なことを言うな! はは、ワシは見目麗しい男女が好きなんだ。ね、そうだよねーネメちゃん」
「そうですよねー。アタシたち院長のお気に入りだから。改造した者同士もっと親密になれそうじゃない?」
可愛らしくウインクして立ち上がり、顔の赤らんだ若い女がシグリエルのそばへ行く。ちょこんと尻を太ももに乗せて腕を巻きつけた様に、裏切られた院長は阿鼻叫喚になった。
ずっと光景を眺めているミズカは爆笑している。
「ネメニア……俺の膝から降りろ」
「いやだぁ。このぐらい許してよ。アタシも院長も、一日中一緒に泣いたんだからさ」
ぎゅっと抱きしめられて、シグリエルは何も言えなくなった。
だが弟のことを思い出し、やんわりと彼女の背を支えて隣に座らせる。
院長も光る目元を拭い、何てこともないようにまた乾杯をした。場にそぐわないこともない。シグリエルがまた皆のもとに戻ってくれた祝いだ。
「おかえり、シグリエル。お前はな、ワシに貸しがある。これからも助けてくれなきゃいけないぞ」
「はい。いつでもどこでも行きますよ、ゲインズ先生」
「はっはっは! それは心強いな!」
男女の笑い声が響き、宴は続いた。
不死者は飲食をしないが、思い出話に加わるだけで皆は喜んでくれた。
時間は徐々に過ぎ、夜になる。
やがて医師は酔い潰れ、ソファ席に丸まって眠りこけていた。
ミズカは今日の再会に水を差さないように、静かに心地よく飲んでいる。
看護師のネメニアはシグリエルの隣で机に突っ伏し、グラスを手にぐだを巻いていた。
「ねえ、アンタにさ……聞きたいことがあったんだよね」
「何だ」
「アタシもアンタも、一人の世界があったでしょ。……誰も入れない、いれることもない、一人ぼっちの世界がさ。……アタシは入りたかったけどね、アンタの世界に」
彼女の抽象的な話に、ただじっくり耳を傾けていた。
「アンタは今、一人じゃないの? シグリエル……」
聞きたかったことはそれで、彼女の横目は気になる男の横顔を見つめる。
それはやがて自分に振り向いた。優しい顔つきで。
「ああ…………もう一人じゃない」
そう言ったから、ネメニアは心の底から安心したような表情で、すうっと寝入ってしまった。
シグリエルは彼女が脱いでいた上着をそっと背中にかけた。
しばらく空間を見つめていたが、ミズカに視線を移す。
「二人とも飲み過ぎだ」
「そりゃそうだろ。俺ら最近皆アル中気味だ。お前のおかげでな」
シグリエルが罪悪感まじりに顔をしかめると、ミズカは「嘘だよ」とたち悪く笑う。
「でも来てよかっただろ? 畏まるよりさ、こんな感じで」
「……そうだな。助かったよ、ミズカ」
礼は言うものの、シグリエルは腕時計を気にした。
それを友人は見逃さず、喉の奥で笑い始める。
「お前ってやつは……まだ時間あるだろ、弟を迎えに行くまでに」
「三十分しかない」
「じゃあ残りは俺に付き合え。送ってやるから」
シグリエルは納得し、了承した。
それから二人は、穏やかに男同士の時間を過ごしたのだった。
◆
「あれ? なんか違う匂いする」
時間ぴったりに迎えに行ったシグリエルは、自宅に着いた途端、腕の中のアディルが発した言葉にぎくりとした。
不死者になった弟は鼻がいい。
観念して今日の出来事を話した。すると弟は意外にも申し訳無さそうに顔を曇らせる。
「そうだったのか? なんか悪いな、俺が中断させたか」
焦り気味に言われ、優しい弟を腕に抱いて否定する。
「どうだった? 楽しかったか、兄貴」
その表現はそぐわないかもしれないと思いつつも尋ねた。
兄が頷き、皆温かく迎えてくれたと話したら、アディルは安心したように微笑む。
「だが、お前がいないと寂しい」
シグリエルは言うつもりもなかったことをつい言ってしまう。久々に旧知の仲間と会い、浮足立っていたのかもしれない。
「俺もだよ。屋敷にいるのは楽しいけどさ、早く兄貴の顔見たくなるんだ」
弟はあどけない顔つきで微笑んだ。
昔を思い出させるその表情に触れたくなったシグリエルは、頬に両手を添えてキスをした。
ゆっくり、味わうように。何度も。
二人の夜はここから始まる。
寝室に向かったシグリエルは弟を抱く。体は普通より冷たいが、熱した愛はいつまでも互いを行き来し、奥深くまで気持ちを確かめ合うのだった。
兄の大きなベッドの上では、今夜は少し違う光景が見られた。
正常位で抱かれていたアディルは思い立ち、兄を寝そべらせて腰辺りにまたがった。
「アディル……」
「へへっ。今日は俺が上になってやるよ。うまく出来っかな…」
急に積極的になった弟の腰を両手で支え、裸のシグリエルは見上げる。
自分よりも細身だが、逞しく均整の取れた弟の上半身が、ゆっくりと動き出す。
暖色の明かりが肌を小麦色に映し、はっと目が覚めるような光景だ。
「あ、ん、あぁ」
恥ずかしくなってきたのかいつもより控えめな弟の声に笑み、徐々に揺らした。
「やめ、ろって兄貴、俺が、する」
筋力で抗おうとする弟に、軽く腕を押さえつけられて主導権を握られ、腰を振られる。
「……こういうのもいいな。必死なお前も可愛いぞ。愛されていると感じる」
今更何を言うのか、低く囁いた声が聞こえたアディルは顔を赤くし、兄の上で専念していた。
「あ、んぁ、兄貴っ」
「奥に欲しいか?」
「ほしい、欲しいよ兄貴……してっ」
ようやく下から激しく突き始める。それだけでは足りず、やはり弟を隅から隅まで感じたくなったシグリエルは、起き上がり、押し倒して包みこむように律動した。
「あぁぁっ、イク!」
びくびくと背をのけ反らせ弟が達する。
寄ってきた頬にキスをし、密着した腰も止めない。
愛おしく、ずっと続けられる行為だ。シグリエルにとって時間はいつも足りない。
永遠が待っていようとも、アディルを欲した時間は長い。
夜が更け、時計の針は三時頃までまわった。
木々がざわめく窓の外は真っ暗で、闇が二人を包み込む。
シグリエルはシーツの上に座った形で、弟を自身の上に座らせて丁寧に揺らしていた。
「兄貴、気持ちいい…」
くたりと腕を兄の首に回し、掴まりながらアディルはまどろむ。
繋がっているときは幸せを最大限に感じ、そのまま夢に堕ちそうになる。
そのとき、窓の外からどんっと音がした。
兄の動きが止まる。弟も一瞬、外を見た。
「ん、なんだ…?」
「鳥だ。大丈夫、気にするな」
没頭している兄はアディルの短い黒髪を撫で、自分に向かせようとキスをする。
甘い甘い口づけは、弟の瞳をいっそう細めさせ、とろけさせる。
「はあ……なんで俺は、いつも眠くなるんだ……」
「……俺のせいだろう?」
「そうだけどさ……もっと兄貴と……喋りたい」
魔力を注ぎすぎた弟のまぶたが、ゆっくりと落ちていく。
シグリエルは可愛らしい言い分に微笑みをもらしたが、アディルの頭を抱えてそっとシーツの上に下ろした。
もう眠ってしまっている。
完全に自分のせいではあるが、この瞬間はいつも少し心細くなった。
自分も隣に横たわり、弟の寝顔を見つめる。
「愛しているぞアディル……永遠に」
頬にキスをし、口にももう一度唇を重ね、おやすみのように伝えた。
すると不思議と、自分も気だるい気分になってくる。
魔力を注ぎすぎたことにより、疲労するなんてことが、まさか起きたのだろうか?
首を傾げつつも、シグリエルは身をまかせて目をつむった。
そしてしばらく、本当に短い時間だけ、眠りに落ちたのだった。
シグリエルはまぶたの裏で夢を見ていた。
夢の中で何度か訪れたことのある海岸だ。
師の住居があった浜辺にも似ているし、まったく別の場所にも見える。
白い砂浜にはオレンジの夕焼けが広がり、シャツ姿のシグリエルが歩いていくと、ひとりの少年を見つけた。
曲線がかった黒髪の、褐色肌の弟だ。
「アディル」
駆け寄ると少年は振り向いた。
思わずひざまずいたシグリエルは、弟に手を伸ばし抱きしめる。
腕の中にしまうと、懐かしい温かい感触がした。
「お前は今、どこにいるんだ?」
体を離し問いかけた。
するとアディルはにこりと笑う。
「お兄ちゃんと一緒にいるよ」
無邪気な柔らかい表情に、シグリエルの涙が流れる。弟はずっと求めていた笑顔のままで、こう言ってくれた。
「ずっとずっと、一緒だよ」
だからシグリエルは、自分も涙の中に笑みを浮かべることが出来た。
夢から目覚めたあと、シグリエルはアディルを大事に抱きしめて、幼かった弟の言った言葉を、何度も噛みしめるのだった。
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