Undying | ナノ


▼ 51 幸福と悲哀

覚醒してから師のもとで生活し数日が経過した。
敷地内の離れでシグリエルは昼間、瞑想をしている。

自然の音が聞こえる中、無音に努めようとしている正面の弟を片目で見やった。

「アディル。俺に無理して付き合う必要はないぞ」
「…えっ? 何言ってんだよ、体に良さそうだからやってるだけだって。……あ、もしかして邪魔?」

苦笑いする弟にシグリエルは笑み、首を振る。
ただ慣れない姿勢で床に座り、唸りが聞こえてきそうなアディルがかわいそうに思えただけだ。

「こっちへ来い。構わないで悪かった」

弟は「ち、ちげえよ」と否定してたが素直に兄の隣に腰を下ろす。あぐらをかいた腿に片肘をのせ、物珍しそうに兄を見つめる。

「そうしてると、身体はいい感じなのか?」
「ああ。魔力の循環を感じる。もう肉体が機能していないから、以前とは魔術の理が異なる感覚がするんだ」

心技体が重要である魔術において、体を失ったシグリエルには痛手かと思われたが、それは逆だったらしい。
現世との壁が薄くなった不死者の肉体は、より精神性が凝縮し、霊力を閉じ込め発揮しやすくなった。

「そうなのか。すごいな、エルゲもそんな事言ってたが。やっぱ凡人の俺とは全然違うな」

兄の経緯を知ってるだけに真面目な口調ではあったが、アディルは純粋に感心していた。
いずれにせよ身体がいい状態なのは喜ばしいことだ。

「なあ、俺が兄貴の使役体ってのは、変わらないんだよな?」
「そうだ。形式的に、だがな。俺を覚醒させたのはエルゲだが、契約はもう俺達の間に移されている。魔力はこれまで通りお前にやろう」

シグリエルは穏やかに笑み、弟の頭をそっと撫でるように触った。
今はまだ不安定なため安静にし、二人の物理的な距離も離すべきではないが、次第に前と変わらぬ生活になっていくだろう。

「アディル。こうなってから俺は気づいたよ。お前のことを何も思いやれてなかったと」

不死者になった弟への申し訳ない思いを明かす。
不便や状況の変化など、自分が同じ立場となってから分かったことがたくさんある。

「え、大丈夫かよおい。やっぱり相当きついか? その体は」

弟のことを言ったのに自分の心配をされ、シグリエルは困って否定をした。

どこか浮世離れした感覚があるのは事実だが、もともと人としての生活への執着は薄かった。食事は最低限で済んでいたし、睡眠が取れないのも悪夢を見る可能性が消えたため悪くはない。

夢で昔の弟に会えなくなったのは一抹の寂しさを感じたが、心の中ではずっと一緒だ。
それに今は現実のアディルがともにいて、笑顔を見せてくれる。

アディルは不死者となった兄の実感に驚いていたものの、妙に納得もした。

「お前のほうがつらかっただろう」
「はは、まあな。俺肉とか食うの好きだし、最初はショックだったよ。けど今は何見ても、美味そうだと言うのはわかるが、食いたいとは思わないんだよな」

弟はもう慣れたと話した。睡眠もそうらしい。
人は代謝が行われる。だが生物でない不死者にはその起伏が起こらない。

このように体へのあらゆる直接の影響はなくなったが、感情は別の話だ。

皮肉なことに、肉体とともに17の頃から体を蝕んできた悪魔の力がなくなり、シグリエルは重荷がとれて自由を得た気分だった。

暗い霧がかった視界が、突如クリアになったかのようだ。





午後、シグリエルはエルゲの書斎で診察を受けていた。
白衣姿の赤髪の男は眼鏡をかけ、不死者の体をじっくりと調べたあと、机前で座って話をした。

「異常は見られないな。身体機能も順応しているし、肌や眼の状態もいい。この分なら、数日後に体温調節も行えるだろう」

シグリエルも同じ見解だったため、信頼をよせる師の診断にほっとする。

その後も魔術師は膨大な記録と照らし合わせ、問診や触診を続けた。没頭していた師に身をまかせていたシグリエルだが、エルゲは予定の時間が過ぎていることに気づき、我に返った。

「すまない。君を研究対象にしてるわけじゃないんだがね、つい」
「いや、そうしてくれて構わない。きっとイリスとアディルにも役に立つ。俺もこの先研究を続けるつもりだ。またあなたにも教えを乞いたい」

素直な気持ちを告げると、師は優しい顔つきで頷く。

「もちろんだよ、シグリエル。私も君がいれば心強い。一緒に研究を続けていこう。皆のためにも」

確固とした信念で二人は頷き合い、思いを新たにしたのだった。

シグリエルはそのとき、気がかりだったことを思いきって尋ねた。

「エルゲ。あなたの調子はどうだ? 俺を覚醒させた際、失ったものがあるんじゃないか」

深い罪悪感を覗かせる弟子に、魔術師はなんてことはないという顔で認める。

「そのことなんだが。実は片手に麻痺が起こったんだ。けれど、二日もしないうちに消えてしまったよ」
「……そうなのか?」
「ああ。道理はよく分からないんだがね、情けないことに。やはり私が一番、人から遠い存在になっているのだろうと思う」

掌を確かめて肩を竦めたエルゲはまた、転生した体の長所も話した。

「足腰の痛みも消えて、視力もはっきりした。若さを思い出したよ。だが習慣は中々やめられないな」

首からかけた眼鏡を外すと、控えめに微笑む。
シグリエルも考えてから頷いた。

「習慣は人間らしさの根本な気がするよ。俺達もあなたも、皆確かに生きているんだ。形が変わったとしても……。アディルを見ていても、そう思う」

弟が不死者になった時にすでに、そう気づいていた。
シグリエルはまたこんなことも尋ねる。

「エルゲ。イリスと直接話が出来たときは、すごく嬉しかったんじゃないか?」
「ふふ。その話をするのは少々恥ずかしいんだがね。……生きていてよかったと、心からそう思ったよ。彼女がおしゃべりな娘だったということを、何十年ぶりに思い出したな」

そう話す師の柔らかな笑顔が印象的で、彼の幸福を物語っていたため、シグリエルも胸が温かくなった感覚がした。





それから二日後のことだ。
兄弟とエルゲ、イリスは住居に集まっていた。とくに兄弟は落ち着かない様子で居間にいる。

夜になり、突然来客が現れた。
大きく扉を叩き、取り乱した様子で入ってきたのは防寒着を着た黒髪の男、ミズカだった。

「……お前……っ」

ここまで自分の足でやって来た彼は、シグリエルの顔を見るなり、すでに赤くなっていた目に大粒の涙を浮かべる。
あの普段は飄々とした男が、散々泣いて泣きはらす様子を、皆は室内で呆然と見ていた。

しばらく誰も言葉をかけられなかったが、アディルは『兄貴、ハンカチ渡してやれよ』と焦り声で念話する。

シグリエルは戸惑いがちに布を友人に渡した。
ひったくるミズカは顔を拭き、鼻水までかんでゴミ箱に捨てる。

その足で中央のソファにどかりと腰を下ろした。
もうすっきりした面持ちだ。特に恥ずかしさもないらしく「あ゛ーっ」と掠れた声で唸った。

「今のはな、お前の葬式分の涙だ。水分出しすぎて喉乾いたわ。酒くれ、アディル」
「お、おう。じいさん取っていいか」
「ああ、もちろん」

棚の奥にしまってあるボトルをグラスに注ぐと、ミズカは一気に飲んだ。皆も遠巻きに囲み、シグリエルは彼の正面に座る。

じっと視線を捕らえられ、ようやく友人に対して口を開いた。

「ミズカ。皆の犠牲と協力があって、俺はマルグスを倒した。自分もやられてしまったが、今はこうしてここにいる」
「そんな親元離れた元子犬みたいに成果を報告されてもな……」

見つめ返す眼差しがもつ自責の念が、シグリエルにはよく分かっていた。

「お前がいたところで結果は同じだった。きっとお前やエルゲが参加していれば、ベルンホーンが現れたはずだ。皆殺され、今日の日もやって来なかっただろう」

その冷静な推測には皆反論できずに黙った。

上級悪魔については、最後にアディル達が一時会っただけで、人物像の全容は分からない。だがシスタの例やエルゲへの言葉から見ても、悪魔の関心や気まぐれは他者に測れるものではない気がした。

「そうかい。……まあいいか。お前が前向きなら俺はそれで構わねえよ。な、アディル」

どきりとした弟は、実際は恐れていた。兄の大切な友人にとっても、兄が不死者となることは相当なショックだろうからだ。
けれどミズカは優しい目つきをしていた。だからアディルも遠慮がちに頷く。

「まあ一緒に年取りたかったけどな、ほんとは。お前だけ若くてイケメンのままっつうのは納得いかねえだろ、はははっ」

どこか物悲しく聞こえる彼の笑い声が響くと、突如ドアがどんどん叩かれた。ミズカが横目をやり、「あ、やべえ忘れてた」ととぼけて立ち上がる。

扉を開けてやった彼の前に立っていたのは、またも皆が待ち望んでいた人物だった。
分厚いコートを羽織り、帽子を深くかぶっていたが、長剣を携えた大きな体躯からは、堅固なオーラが滲み出ている。

「まったく。外は寒いんだ。早く入れてくれよ」
「ゾーク」

誰よりもまず歩み寄ったのはエルゲだ。
中年の剣士は大きく目を見開いたが、自分よりもはるかに若い赤髪の魔術師の前で帽子を取り、会釈をした。

「伯父さん……信じられないな、本当にやってのけたのか、あなたは……俺が子供の頃に一緒にいた姿じゃないかーー」

言葉につまる甥の顔に、エルゲは手を伸ばす。
頬は戦闘の負傷で、半分が焼けただれた痕になっていた。首にも続き、体にも残っているのだと推測しつらい表情になる。

「ああ、大丈夫だよ、痛みはない。皆に会う前に直したかったんだが、医院も忙しいから後回しでいいと思ってな」

そう言ってゾークは、伯父と周りの面々に対し、安心させようと明るい顔つきで言った。

「ゾーク。よく戻ってきてくれた。私の願いを聞いてくれて、ありがとう。すまなかったな……」
「……よしてくれ、伯父さん。俺は彼らを守り切れなかったんだ。……悪かったな、二人とも」

剣士は伯父の肩にそっと手を置いたあと、兄弟に向き直った。
自分を脆く不安げな表情で見上げ、首を振るアディル。そしてまったく容貌が変わってしまった兄のシグリエル。

ゾークは思わず目頭を押さえたが、凛とした顔立ちを作ったあとにシグリエルに声をかけた。

「大丈夫か、シグリエル。こうしてまた君達と会えてよかったよ」
「ああ。俺達もそう思う。……ゾーク。ありがとう。皆を、俺とアディルを守ってくれて」

不死者となった青年にそう言われ、剣士は我慢ができなくなり、目尻を拭う。
やはり人の死は悲しいものだ。伯父も、まだこの若い青年も、元の肉体を失った。

彼らの幸福は彼ら自身のものであるが、死がそのとき悪いことでなかったとしても、悲しいことは悲しい。

「はあ。俺も酒を飲もう。いい事も悪いことも、皆一緒に飲み干してしまえばいいのさ。アディル、頼む」
「お、おう! 待ってろよおっさん!」

もっとも若いアディルは、二人の大事な仲間を一生懸命慰め、労った。

金髪の娘が大人しく座り見守る中、集まった男達は積りに積もった話を始める。

戦いの行方と上級悪魔、これまでの経緯は当然伝えたが。
ゾークがどうやって生き延びたかについては、皆強い関心を抱いていた。

「なに、簡単なことだよ。巻き込まれそうになってほとんど自爆をしたが、予め張ってあった守護結界に護られ転移したんだ。半身は損傷を免れなかったけれどね。見た目が悪いだけさ」

軽い口調の剣士を皆は心配する。この短期間でここまでの回復を見せたのは彼自身の力と治癒力によるものが大きいと思われた。

「俺のことより、組の彼らのほうがちと懸念があってな……」

ゾークはミズカを見やり、二人は曇り顔で頷き合った。

アディルがもうひとつ気になって仕方がなかったのは医院の状況だ。
あれから二週間近くが経過したが、フィトはすでにたいぶ回復し、退院とリハビリの目途が立っているという。

ミズカはもっとも苦しい容体だったのはラノウだと述べ、重症のサウレスも同じく寝たきりだったが、予後は悪くない。
だが当主の傷が癒えるには、依然として時間がかかるようだった。

そのことよりも、ミズカが言いづらいことがまだ存在した。

「……え? 会いたくないって言ってるのか?」

前のめりで話を聞いていたアディルが、呆然と固まる。当主の意向に対し、感じたことのないショックを受けたようだった。

だが考えてみれば、ここまで巻き込み、未曾有の事態になったのだ。そう思われても当然だということは理解していた。

「……アディル。きっと今だけだ、奴はまだ……」

シグリエルは弟の肩を支える。その気持ちを思いやるのは当然だが、きっと当主には別の意図があるのではと考えた。

「そうそう、たぶんそういう意味だと思うぞ。確かに側近も失って参ってはいたが、覚悟はしてただろうしな。……きっと何も出来ない姿を部下に見られるのが、恥ずかしいというか情けないんだろう。相当きつそうだったからな…」

まだ寝たきりで歩けないらしいというのを聞いて、眩暈が起こる。
アディルは彼らのことを思う余裕がなかった自分に無念や憤りすら感じた。

「だからまあ、もう少し回復するまで待ってやるといい。きっと連絡が来るはずだ」
「……ああ、わかった。俺は待つよ、いくらでも」

話をじっくり聞いたあと、そう決心した。

当主にはたくさんの物を失わせた。そこまでして自分を守ろうとしてくれたラノウに、自分もこれから変わっていく姿を見せなくてはならない。

これ以上くよくよした姿を晒すのは、兄や当主、仲間にたいして失礼だ。

次に会うときまでに、アディルは少しでも成長できているようにと、拳を握り誓ったのだった。



prev / list / next

back to top



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -