Undying | ナノ


▼ 50 帰る場所

寄り添っていた兄の体が、わずかに動いた気がした。
アディルは瞬時に目を開け、全感覚を研ぎ澄ます。

「…………兄貴?」

声を震わせるが応答はない。
だが、また兄の腕が反射的に揺れたのを感じた。

もう一度兄を呼ぶと、しばらくしてまぶたが瞬く微かな音がした。

「…………アディル……」

その声が耳に届いた時、弟の瞳はすぐに崩れて細められ、口元は震えたまま嗚咽をもらした。

「あっ、ああ、兄貴ぃっ」

胸板に掴まるアディルはただ泣いてその奇跡を喜ぶ。シグリエルはゆっくりと片腕を伸ばし、弟を抱き寄せた。

「……ここは地獄か。……いや、それならお前がいるはずがない」
「違うよ、ここはあんたの墓の中だ……兄貴はーー」

顔を上げたアディルは言葉に詰まる。
だが兄はすべてを把握したようで、「そうか。棺の中か」と答えた。

やけに冷静な兄のことを弟は心配する。

「なぜお前が一緒に入っているんだ、アディル」
「そんなの、離れたくないからに決まってんだろうがっ」

色んな感情が噴出し、つい興奮してしまったアディルは後悔する。

「ま、待ってろよ、今出してやるから」

兄はこう見えて混乱してるに違いないと、早くこの狭い棺から出さねばと、ぐっと蓋を押した。力をこめれば土ごと吹っ飛ばせるはずだ。

けれどその手を兄はそっと掴み、下ろさせた。
代わりにシグリエルが手に不思議な気をまとわせる。渦巻き鮮やかな魔力の色が、アディルにも見えるようだった。

「…………ッ!」

大きな衝撃音が響いたかと思うと、蓋ごと土が舞い上がり、ぱらぱらと落ちてくる。
目に飛び込んだのは夜空に輝く星々と、丸い月だった。

「なっ、あんたしょっぱなからすげえ事するな……」

感動の再会のはずが素で驚愕するアディルだが、先に起きた兄に起こされると、その全貌を初めて目にした。

シグリエルの肌は透けるように白い。金色の美しい髪と眉はそのままで、瞳も前より深く濃い色だが、紫だった。

「……アディル。またお前に会えると、思わなかった……」
「兄貴……俺もだ。……よかった、あんたが戻ってきてくれて、よかった……っ」

二人で向き合い座ったまま、抱きしめ合う。
まだ信じられない。兄は死んだのに、蘇った。そして感情も死者の体に備わっている。

抱擁する兄弟に遠くから人影が近づいてくる。
シグリエルはその気配に気づき、眉をひそめて凝視した。

「あの男は誰だ」

明らかに警戒する声音で立ち上がろうとする。
焦ったアディルは同じく棺から出て兄の腕を引いた。

「あれはエルゲだ。大丈夫だよ、兄貴を治してくれたんだ」

弟の声に体がぴたりと止まる。
シグリエルの瞳に映ったのは、若い顔つきをした赤髪の魔術師だ。細身に豊富な魔力を宿していることが伝わる。

「……エルゲ、だと……?」

疑いの瞳を崩さない兄は一歩一歩、彼に近づいていく。
真正面に対峙した時、エルゲの変わらぬ優しい眼差しはシグリエルに向かっていた。

「戻ってきたんだな、シグリエル。よかった。……本当は、君を生かしたかった。助けられなかったのは私のせいだ。すまない……」

悔いの滲む言葉を投げかけられると、シグリエルは深い動揺を見せた。
そして間もなく悟るのである。
自分を見つめる濃く青い瞳の形、温かい声音。
それは確かに、今まで接してきた師のものだと。

「いいや、俺が死んだのは俺のせいだ。マルグスを殺したが、自分も倒れた。アディルをどうしても守りたくて……。エルゲ、俺を救ってくれたのか」
「私はただ、出来ることをしただけだよ。どうしても君達には生きていてほしかったんだ」
「……でも、その姿は……なぜ……どうやってーー」

シグリエルの瞳が激しく揺れる。
けれど師はそっと微笑みを浮かべた。

「驚かせて申し訳ないと思うのだが、この通り、私は転生をしたんだ。これは昔の私の姿でね。……詳しい話は中でしよう。イリスも待っているよ。まずは君の状態を、注意深く見守らなければ」

そう言って兄弟を住居へと呼び、皆は一堂に会することになった。



隠れ家の住居には、出発前に兄弟で世話になったことがある。
その時と変わらぬ素朴で田舎風の雰囲気の居間には、イリスの姿があった。
彼女は無表情のままだが、入ってきたシグリエルをたいそう驚かせる。

『おかえりなさい、シグリエル。皆あなたのことを待っていたのよ』
「…………!?」

明らかに驚き止まる兄を見て、師も弟も安心したように笑った。
今の言葉は不死者同士に呼びかけたもので、四人が聞こえている。

「……イリス、今、俺に話しかけたのか」
『そうよ。あなたとやっとお話が出来て嬉しいわ。喜んだら不謹慎かもしれないけれど』

冗談ぽく告げる娘の可憐な声が、シグリエルに現実を改めてつきつける。
全身に感じる違和感以上に、自分は紛れもなく不死者になったのだと。

「ただいま。俺達をまた迎え入れてくれて、ありがとう。二人とも、本当にーー」

胸がつまる兄の隣に、アディルも並んで頭を下げる。

『あらあら。かしこまっちゃって、どうしちゃったのかしらこの子達ってば。ねえエルゲ』
「そうだな。ここはもう、君達の家でもあるんだよ。前も言ったように、自由にくつろいでほしい。……ふふ、イリス、泣かないでおくれ」
『泣いてないわよ。バラさないで』

二人の秘めたやり取りを兄弟は胸が熱くなる思いで見守ったが、言葉では言い尽くせない感謝でいっぱいだった。

「さあ、ひとまずここに座ってくれ。アディルも休むといい。君なしではこれほど上手くいかなかった」

全身全霊を尽くしてくれたのはエルゲなのに、労われたアディルは礼を言って、しばらく師に観察される兄を見守っていた。

椅子に腰かける兄は表情はあまりないが、それは元からだ。
想定よりも冷静な態度と思考能力には、エルゲも安心したようだった。

今のところ体に問題はないと分かり、胸を撫でおろす。
その後は主に兄と師が、これまでのことを話した。

「そうか……マルグスはあのまま消え、ディーエはあなたが……滅ぼしてくれたんだな」
「ああ。だが、最後に私達の前に上級悪魔が現れたんだ。ベルンホーンがね」

視線を渡されたアディルも頷き返す。
兄は当時のやり取りに衝撃を受けていたが、ひとまず最大の難敵であった悪魔に見逃されたことには安堵していた。

ミズカの支援や負傷者の状態なども教える。
シグリエルはその時すでに、あることを師に伝えなければと思っていた。

「エルゲ。ゾークはあなたの甥だということをあの時、彼から聞いたんだ」

別れ際のことを思い出し、悲痛の面持ちで打ち明ける。

「私もアディルから聞いたよ。あいつのことは心配するな。きっとまた現れるさ、そういう男なんだ。私の甥は」

彼の悲しげな微笑みを前に、シグリエルは何も言えなくなった。
自分も信じたい。どうにかして生き残っていてくれればと。

だが、実際は絶望視していた。
普通の人間が悪魔の力に取り込まれて無事でいる確率は、総じて低い。

それほど厳しい戦いなのに、師と彼の甥がそこまでして助けようとしてくれたことには、どんな礼をしても足りないと思った。

エルゲはまた自らの転生についても語る。
なぜこのような選択をしたのか。

イリスとの関係の先にある願いは、シグリエルにもよく理解できた。研究に精を出していた師の姿も記憶に新しい。

「だが、同じ魔術師として気になることがある。一体どうやって、今の姿になったんだ?」
「若い姿に…ということだな。実は私も、確証はないんだ。マルグスのように他人の体を使ったわけではない。今のこの姿は、半実体といえるものなんだ」

そう言って起立した赤髪の魔術師は短い言語を唱え、体を朧気でモヤのような人型の気の状態に変化させた。

兄弟は驚き見上げる。

「見ての通り魔力は増え、若い頃と同じほどになった。……だが思ったんだ。儀式の過程で、魔力を増幅したせいでこの姿に逆行したのではないかと。……つまり簡単に言うと、皆が見ているものは幻術に近いものにすぎない、ということかな」
「……幻術……だが確かにあなたはそこに在る。エルゲ」
「そうだよ、じいさんはちゃんと俺達の目の前にいるって、見た目も一番人間っぽいしさ!」

思わず力説した言葉にアディルはまずいと気づきごまかすが、事実だった。
エルゲが最も人と変わらぬ容姿をしており、普通にしていれば難なく紛れそうな雰囲気だ。

「ありがとう、実は少し心配していたのだが、受け入れてもらえてよかったよ。……それに老人の姿よりかは、イリスにふさわしく見えるかもしれない」

ちらと彼女に移した視線は少し気がかりな風にも見えた。

『あら、私はどちらのあなたも好きよ。ずっと一緒に生きてきたんだもの。……でもそうね、あなたの自信と活力が前より増えたみたい。それはとても嬉しいわ』

告げられるとエルゲは照れた様子だ。形を新たにした恋人同士の姿は新鮮に映った。

「ーーではそろそろ、二人を休ませてあげよう。シグリエル。君もよく知っていると思うが、体は問題ないように思えてもまだ不安定な部分がある。無理をせず、しばらく安静にしておいてくれ」
「ああ。分かった、エルゲ。しばらくあなたに世話になるよ」
「もちろんだ。アディルへの魔力の流れも良くなっていくだろう、心配いらない。それと住居は前に貸した離れを使ってくれ。さっきも言ったように、ここはもう君達の家でもある。……そして、君達を脅かすものはもう何もないんだ。だから安心していい」

エルゲは彼らのことを思い、一歩踏み込んで告げた。

結果的に不死者となり、この場の皆の生命は絶たれている。
けれど今こうして再び集い、交わし合う気持ちは嘘偽りのないものなのだと、皆は切に感じていた。

シグリエルは改めて感謝をする。
きっとこんな風に帰る場所を作ってくれる者達のことを、家族と呼ぶのではないかと、ひとり考えながら。





離れに戻った兄弟は二人きりになった。
部屋はこじんまりとしているが、内装は過ごしやすく暖色でまとめられていて、綺麗な家具やベッドが並んでいる。

だがアディルのほうはそわそわした様子だ。
白いシャツを着たシグリエルの背を見て、夢見心地になる。

「アディル」
「……えっ、ああ。兄貴、なんか欲しいもんあったらすぐに俺に言ってくれよ。ええと、大丈夫か、落ち着かないだろうけどーー」

右往左往する弟の前に来たシグリエルは、冷んやりとする手でその頬を包んだ。

「……欲しいものはお前だ、アディル」

まっすぐな言葉にアディルは赤くなるが、からかうこともとぼけることも出来なかった。
冷たい兄の手に自分の手を重ね、存在を実感する。

「…………うっ…」

こらえていたものが湧き出そうになると、兄の胸板に体がすっぽり覆われた。

「兄貴……」
「すまない。お前をひとりにした。……一番つらい思いをさせたな」
「……そうだよ、なんで俺を守ったりしたんだ、俺はあの時……!」

涙を拭く仕草で目元を撫でられ、赤らんでいく瞳がじっと見つめられる。

「悪かった。だが体が勝手に動いていた。お前にまた、傷をつけたくなかった……」

弟の肉体と魂がこれ以上傷つけられたら、今度こそ修復できないかもしれないと恐れた。
だが結果的にもっと深い傷を負わせてしまったと、兄自身の心も甚く締めつけられる。

「お前が死んでしまったら、俺はどのみち命を絶つ。……そう決めていた」

二人は最初から同じところへ行くのだと、その意思を伝える。

「知ってるよ……兄貴」

囁いたアディルは、再び強く腕に抱きしめられる。
悲しいけれど、もう兄はどこにもいかない。自分と同じ、死ぬことのない不死者となったのだと、心に刻みつけられていた。

しばらく抱き合っていると、シグリエルが弟の目線を探る。

「お前に聞きたいことがある」
「……なんだ?」
「俺は、お前がどんな姿になっても愛おしいと思う。だが、お前は……俺のこの姿が怖くないか」

突然の問いにアディルは目を白黒させた。
何を言い出すのかと思ったが、さっきの失敗を思い出す。

「あっ、もしかしてじいさんに言ったこと気にしてんのか? いや違うって、兄貴も全然おかしくねえよ! 前と同じくすげえいい男だって!」

勢いよく本音を言うが、兄の表情は芳しくない。
きっと外見が気になるのだろうと、自分の経験からアディルは鏡の前に連れていった。

「そういや、もう鏡は大丈夫なのか?」
「……ああ。今はもう、何も感じない。悪魔の力も完全に消えたようだ。それに不死者というのは、不思議だな……」

兄は鏡の前に立ち、自分をよく観察していた。
死者を見慣れているとはいえ、もっと喜怒哀楽が出るのかと思ったが、元々の性格なのか妙に落ち着いている。

瞳の色が最初から紫色であることには、「さすがエルゲだ」と師の実力に感嘆した様子だった。

「ほらな。問題ないだろ? …あ、いや。こんなふうになって、そんな気安く言えることじゃないって俺もよく分かってるけどさ…」
「いいや。お前が不死者の俺を受け入れてくれるのなら、それでいい」

兄の瞳に不思議と引きこまれていく。正直、霊気もあって人からは今遠ざかっている様相のシグリエルだが、アディルは全てを受け止められていた。

「当たり前だろ。あんたは俺の兄貴なんだからさ、ずっと。……もうずっと、一緒だよな? 俺から離れたりしないだろ?」

心細さに押されシャツを引っ張って尋ねた。
兄は瞳を人らしく揺らし、顔を頷かせる。

「当然だ。もう俺達を離すものは何もない。……お前と永遠に、共にいられる……」

切なげな唇がそっと弟に近づく。
重ね合う冷たさと温かさに、二人は心の底から確かな熱を感じた。

だが、アディルは深くなりそうな口づけに慌てる。

「ま、待て兄貴、今はまずい!」
「……どうした?」

少し下から見つめてくる目線にどきりと捕らえられる。

「俺のときはあんだけ細菌がどうのとか、綻びが云々とか、言ってたの兄貴だろーがっ」
「……ああ。そうだったな。お前が正しい」

考えたあとに認めた兄だったが、あの戦いが終わり、すべてが変わった後でも、自分への気持ちはなくなっていないのだとアディルは密かに安心してもいた。





「今は夜だよな。少し横になるか」

兄がそう提案したため、アディルも同じベッドに入り込んで横たわる。
シグリエルの温度は低温の自分よりも低く、やはり生きている者との境界を感じる。

二人は何も言わず、ただ天井を見つめていた。
兄はアディルの手を取ると、自分の腹に置き目を閉じた。

眠ることは出来ないが、このまま休むのだろうか。
懐かしくも感じる兄らしい仕草に、アディルは胸が温かく灯った。

しかし兄の横顔を見つめていると、どうしてもあの事が頭をよぎる。

「兄貴。寝てるのか。……聞こえる?」

左側にいたため、わざと左の耳に口を寄せ尋ねた。
勘のいいシグリエルは数秒後瞳を開け、顔だけ振り向かせる。

「エルゲから聞いたか」
「うん。…あんたがこっちの耳聞こえないって。今はどうだ?」

弟のもどかしげな表情を見たシグリエルは、上体を起こして肘をつき、柔らかい目つきをする。

「前と同じだが、たいしたことじゃない。お前の優しい声は聞こえている」

感覚を研ぎ澄ませれば、これまでも大きな問題はなかった。
そう告げると、弟は若干ほっとしたようだが、まだ言葉が見つからない様子で兄の胸にもぐりこんだ。

「兄貴はどれだけ俺のために色々なもん犠牲にしてんだよ」
「……アディル。仕方がない。それが愛というものだ。……俺はそれを抑えられない。お前だからーー」

シグリエルは引き寄せられるようにキスをした。
弟は今度は文句を言えずに、その愛情深い口づけにしばらく身を預けていた。

それから二人でまどろみながら、アディルは考える。
こうしていると、四日前の最悪の出来事が嘘みたいだ。
ほんのさっきまで、生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのに。

兄の静かな寝顔を見ていると嬉しくもあり、時々不安にもなった。

「なあ、ほんとに寝るなよ」

話しかけると、小さく笑うような声が聞こえた。

「寝ないさ。……今、噛みしめているんだ」

抱きしめる腕に力を入れられる。
信じろと言うように。

アディルは兄がまた目覚めると分かって嬉しかった。
だから段々と胸が弾んできて、ようやく実感した喜びに押されて、こんなことを試みた。

『おかえり、兄貴』

自然な寝顔に心の中で話しかけてみる。
聞こえていると分かっているはずだったが。

『……ただいま。アディル』

間を置いて返ってきた言葉にはっとして、目を開けた。
シグリエルはまだ瞳を閉じて眠ったままだった。

だからアディルは、確かな幸福を感じて微笑んだ。



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