Undying | ナノ


▼ 44 望み

シスタ・レイズワルドは敵が作り出した結界の中にいた。ここに飛び込むことは自殺行為だ。だがそれだけの価値があった。
仲間のフィトを助け、かつ自分が長らく抱える問いへの答えを得るために。

「やめろ……シスタ……」

流血する肩を鋼鉄の針で木に固定され、うめくフィトの姿はもう彼には映っていない。
彼の目は、黒いインクがみるみるうちに覆い真っ暗になった。

何を視ているのか。
それは待ち続けた者の姿だった。

「…………ああ。それがお前なのか? 禍々しくも、見とれるような風貌だな。…………そうだ、私はお前に聞きたいことがある。心を読めるのならば、説明は容易い……」

シスタは傍目から見たら独りで喋っている様子だ。
けれど心象風景の中で、現れた上級悪魔ベルンホーンと意思疎通をしている。

彼の疑問とは、冥界を行き来する悪魔しか知りえない事である。
今から十年ほど前、シスタの魔術仲間だった親友が儀式で命を落とした。

正確には、悪魔召喚の際に魂を攫われた形なのだが、その魂の行先を彼は今日まで夢想していた。

親友が召喚した者は中級悪魔で、契約と引き換えにした願いはシスタの命を救うというものだ。

「私は、幼い頃から医者に長生きできないと言われていた。……それについて、思う事はなかった。抗おうとも思っていなかった。家族はとっくに亡くなり、引き留めるものも無いと思っていたからだ。……だが、彼にとっては違ったようで……自分は冥界に行きたいから、連れていく代わりに私の病気を治せと」

シスタの黒く塗りつぶされた瞳が遠くを見つめる。

「好奇心だけは旺盛な、馬鹿なやつだった。悪魔を召喚した後に知らされた私は、別れを告げることも出来ないまま、奴が倒れるのを見下ろして、本当に一人になってしまったんだ……」

独白を聞くフィトは徐々に表情を歪めていく。

「ベルンホーン。あの悪魔は、約束を守ったと思うか? 名はトロイエという。……遥か上位にいるお前は知る由もないと思うが……それでも私は、あいつの行方を知りたい」

シスタは入るつもりもなかった悪魔被害救済組織に所属し、答えを探してきた。だが中級悪魔に会えたことすら、あの時以外で一度しかなかった。

だから今、この場に立っているのだ。

「…………ふふ、代わりに何が差し出せるか、か。私が持っているものといえば、この魂しかない。だがこれはやれない。お前の戦力として使われたら、彼らに迷惑が及ぶ。……だから、私を冥界に連れていってくれ。お前のために何でもしよう。マルグスが滅びたあとに」
「な……なに言い出すんだお前、やめろって! シスタ……ッ」

フィトの声は虚しく響くのみで伝わらなかった。

「ああ。どんな苦痛なことでも、むごいことでもやってやる。……私の魂は、ただ奪って消費するには、あまりに惜しいと思うぞ。少なくとも、今お前が使っている男と比べればな」

黒いローブを羽織ったシスタの口元が綺麗に歪む。漂う不気味な黒いモヤが、彼の周りを取り巻き始めた。

離れたところで見上げながら、フィトはガタガタと全身を震わす。
嫌味なやつだと思っていたが、死なせたくない。あんな理解不能なことを言っているが、自分がこのまま放置されるのは心外だ。

やはりどこまでも自分が一段上でないと気が済まないのだと、突きつけられているようで。

「やめろ、……やめろ! 馬鹿野郎がッ」

フィトは力を振り絞って手を伸ばし、魔法を放とうとした。
だが時間が止まったかのごとくフィトの眼球しか動かなくなる。

その後、すぐに視界を占めたものは。
シスタの体が内側から爆発し、肉片が辺り一帯に四散する赤い光景だった。





「うっ……!」

どさり、とアディルは硬い地面に膝をついた。
残された四人の男達はいまだ何が起きたのか分からないまま、周辺を見渡す。

先程まで戦っていた緑の沼地にはもう魔物の姿はなく、静寂が漂う。
そして二人の仲間がいなくなっていることに、皆愕然とした。

「いつもいつも……ッ。奇襲しか脳がないのか、あの野郎は!」

サウレスの悪態がこだまする。

「お前は物理的な気配しか分からないようだな。期待して損をした」

冷たい声音で言い放ち、乱暴にアディルの尻を蹴る。

「彼に当たるな。何も出来なかったのは皆一緒だ」

うなだれる若者を起こす剣士ゾークは、その体が震えていることに気づいた。
シグリエルに目をやると、彼はそばに寄って弟の瞳を確かめる。

「っ……頭が痛い……おかしい……兄貴……」
「どうした、アディル。俺の目を見ろ」

視線をじっと合わせるが、弟は落ち着きを取り戻さずに頭を抑える。
シグリエルが手首の紋章を見つめたときだった。

「影が、二つに分かれた……っ。……気持ちが悪い……」

突然アディルがそう告げ、えづく素振りをした。深く混乱しているようだ。
愕然とするシグリエルは、シスタの仕業だと思った。

「マルグスと悪魔が分離したんだ。異なる結界の中では可能なはずだと、昨日俺とシスタは話をした」

そう明かすと皆が目を見張る。この話は他の者には言えなかった。誰かが思考を読み取られたら危険過ぎるからだ。

一時的にではあるが弱体化した証だと捉え、今こそマルグスを皆で追うべきだとシグリエルは語った。

「話はあとだ。アディル、親父のほうの影の追跡は出来るか」
「…………ああ、出来る……!」

弟がギリッと歯をくいしばり、わずかに笑みを浮かべたのを見て自分の鼓動も音を立てる。
心臓は速くなり、恐れよりも機会を掴めた事実に興奮を覚えていた。

けれどシグリエルはまた、シスタのことも忘れていなかった。



昨夜、シスタは突然やって来た。
作戦についてだろうとシグリエルは廊下に出て対面する。けれど聞いた内容に耳を疑った。

「ーーそんなことが出来るのか?」
「おそらく可能だ。奴はまた皆を散らばらせようと考える。そして悪魔は人の思考に影響を及ぼすことが得意だ。……きっと狙われるのは、フィトだろう」

自分ならそうすると彼は冷静に語った。

「一見陽に見える奴ほど、分かり易い負を背負っている。本当の自分を隠すためにな。内側から壊したい悪魔や魔物にとっては格好の餌食だ。……あいつは沸点が低い。ごまかしているが常に苛立っている。山では最初に足をすくわれてもおかしくない」

周囲の精神の変化を注視していたシスタはそう言及した。

「……つまり、彼をおとりにするということか?」
「そんな面倒な事はしないさ。ただ、罠にかけられたらこちらもかける。この戦いでは、悪魔とマルグスを一時的にでも分離させることに賭けるしかない。ゲーナ族の力により、歪や隙間が生まれやすくなっているからな」

シグリエルは言葉に詰まった。
魔術師として自分よりも経験豊富な年上の男を、心配の目で見つめる。

「だが、そんなことをすればお前が……俺達はそんなふうにお前を死なせはしない」

分離させるということは上級悪魔の前にいわば丸裸で現れるということだ。シグリエルは無謀な彼の腕を引き留めるように掴む。

けれどそもそも何故そうするのか、全てを言わなかったシスタは悟りの表情で告げた。

「これは私にしか出来ない。それに君ひとりが生き残ればいいほうだ。明日はそういう戦いなんだよ、シグリエル」

改めて述べるシスタの、すでに遠くへ向かうような顔つきが、その時やけに印象に残っていた。





一行は森の中を走り抜ける。誰も消えた二人のことは口にしなかった。何が起きたのか、分からないが今追わないと二人の働きさえも無駄になる。

そう考えながら、先頭を行くアディルの足が突然ぴたりと止まった。

「おい、あっちに沼地がある。さっきと似たようなとこだ。……でも、……」

弟に振り向かれたシグリエルは、緊迫した面持ちで頷いた。
辺りは血の匂いが充満していた。沼地から漂ってくる瘴気とともに。

「……見ろ! あれはフィトじゃないか?」

ゾークが剣を抜き出し最初に近づいていった。
続く一行も、木の幹に張り付けにされている小柄な魔術師に気づく。

「フィト!」

シグリエルとゾークは急いで彼を降ろそうとする。肩から鉄を抜き出すと唸るような叫び声が響いた。
まだ息がある。しかし顔色は青白く、隈のできた目は虚ろに指差したものを見据えた。

「あ……あいつが……シスタが……」

皆は真っ赤に染まった周りの木々や地面の肉片を見下ろす。
大きく顔を歪ませ、ここで起きた惨劇を思い知った。

怒りと悲しみで勢いよく膝を叩くアディルに、言葉を失う者達。
しかしシグリエルだけは気丈にフィトに尋ねた。

「彼は誰にやられた。マルグスか」
「違う、ベルンホーンだ……冥界に、つれてけと……馬鹿野郎が……」

仲間の死を分かち合ったフィトの青い瞳に、ようやく無念の涙が溜まっていく。説明されたことは不明瞭ではあったが、シスタが自らの意思でそうしたことは明らかだった。

フィトの肩を抱いたシグリエルは、剣士と視線を交わした。

「よし、俺が彼を医院に運ぼう。君達は奴を追え。すぐに戻るよ」
「ああ、頼む」

重症者を抱き上げ、転移魔法で姿を消したゾークと約束し、残った三人はまた敵を追って走り出した。



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