Undying | ナノ


▼ 28 壊しては壊す

外から飛来物の爆発音がし、シグリエルは飛び起きた。
頭に強い痛みが走り、薄暗いテント内を見やる。

シグリエルは愕然とした。血の匂いだ。正面の各寝台で傭兵二人が、手足をだらんとさせて横たわっている。

「…………お、い」

そばへ近づくと、ゼスとエルキの両方が、胸にナイフを突き立てられて死んでいた。
シグリエルは手で口を押さえ、ふらついて後ずさる。

夢の記憶が蘇っていく。父の声。忠告と脅し。
これはーー現実だ。

「アディルッ!」

恐怖に錯乱して外に飛び出た。シグリエルが見たものは破壊された村と赤い朝焼けの空、そこに浮かんでいる父の姿だった。

黒いフードから金髪がのぞく魔術師、マルグスは転生した男の容貌で口元を吊り上げ下方を見ている。

そこには不死者の軍勢がいた。紅の民族衣装を着たゲーナ族の老若男女が。
褐色の肌は真っ白になり、白目を醜くひん剥き、自我を失った状態で走ってくる。

服ごと切り裂かれ、傷だらけとなって尻餅をついている弟に向かって。

「う、ぁ、あッ」

何人もの不死者が雪崩込み、アディルの姿が見えなくなるまで団子のように食らいつく。

シグリエルは弟の名を叫び、指文字で詠唱をし悪魔の力を全身から解き放った。すると不死者は衝撃とともに大きく吹っ飛んだ。

紫の瞳は黒色に変わり、背の陰からまばゆい針状の光が弧を描いて彼等を貫く。
巨大なドーム型の閃光檻だ。範囲内の者達の体はバラバラにされ、地に落ちて不規則に動く物体となる。

「……アディルッ! 起きろ!」

すぐさま弟に駆け寄った兄は、その変わり果てた姿に我を失いそうになった。

「兄貴、ごめん、なにも出来なかった……救えなかった……俺には……」

金の瞳はかろうじて視点を合わせようとするが、戦闘により肉体は激しく消耗し傷ついていた。

自分がこんな事態を引き起こした。ただ眠っていたせいで。
胸が張り裂けるのを感じながら、シグリエルは弟を抱きしめる腕に力を入れた。

そして見上げた深く沈む紫の瞳は、愉悦を浮かべる父を映す。

「遅いぞ、シグリエル。私の術はそんなに心地よかったか? 一番楽しい劇はもう終わった。ほら、見てみろ。お前達が仲間にしたがったゲーナ共は、お前が使い物にならなくしてしまった」

たくさんの屍の中から息絶えた巫女のディガが高く浮かび上がり、無惨に地面に落とされた。
慣れたはずの惨劇に、思考が止まっていく。

「なぜだ……どうしてこんな事を繰り返す」
「なぜだと? お前が私を殺したからだろう。お前さえあんなことをしなければ、今までもこれからも、大勢の命が死なずに済んだのにな」

ふふっ、と可笑しそうに笑うマルグスを精一杯睨みつけた。

「だがな、腹立たしいこともあるんだよ。悪魔に歯向かうこの連中の魂は、封印されていて奪えない。ああ、わざわざ伝承になぞらえて派手に殺してやったというのに、小憎たらしい奴等だ」

尊大な男の独壇場が続く中、マルグスは息子を冷ややかに見据えた。

「なんだその目は。他人が死んだところで、お前は何も感じない男だろう? そこの役立たずの弟さえいれば。……ふん、もっと使えるかと思ったが、お前がいないと悪魔の力すら宿せないらしい」

舌打ちをしてアディルに吐き捨て、父は呆れ気味に腕を組む。

「まあいい、暇つぶしにはなるか。……そうだ、思い出した。昔話をしてやろう。お前が幼い頃、遊んでいた玩具を私が壊すとよく泣いた。また作ってやると喜び、また壊すと泣く。そんなお前を見るのが好きだった」

シグリエルは父のつまらない話を聞いている間、機を伺っていた。殺す機会を。

しかし、抱える弟をそっと横たえ、慎重に身構えようとした時だった。
 
『シグリエルさん。もう少し待って。私の声を聞いて』

突然脳内に女の声が響く。衝撃を受けながらもどこかで聞いた声だと、記憶をたどった。
それはディガと懇意にしていた女性、アイーシャだった。

咄嗟にその存在を信じたシグリエルは、辛抱強く父の長話を聞くふりをしていた。

するとマルグスの心臓めがけ、鋭い音とともに一筋の矢が解き放たれる。だが既で反応した父の左手に突き刺さった。

「ッぐッ、あア゛ッ」

遠くから射られたそれはゲーナ族の特殊魔法を練り込んだ矢で、マルグスはうめき声を上げ怯み、螺旋を描いて地に落ちていく。

『今よ! 奴を狙って!』

シグリエルはすぐさま反応し詠唱を行った。
しかし朦朧とするマルグスは視線を別方向に向け、矢を構えていた彼女に手のひらから発現させた鉄槍で胸を貫いた。

アイーシャが倒れるのを目にしたが、シグリエルは満身創痍で力を最大限に解放する。
父を取り囲む範囲に黒い煙が湧きだした。それは悪魔の配下となった穢れた死霊達だ。

軍勢は瞬く間にマルグスを狙い撃ち、いっそうの苦しみを与える。
その煙はやがて大きな袋となり、食中花のごとく父を飲み込んだ。

内部でバチバチと強力な閃光を発する無数の刺が身体を突き刺し、絡め取り、抜け出せなくする。
これはシグリエルの「罰の思念」が編み出した罠だった。

中からうめき声と骨が砕ける音がし、手ごたえを感じた。
力をかなり使い、シグリエルはよろける。

「…………ふっ……ふふふ……」

けれど耳障りの悪い死霊のような声が、袋から聞こえた。
黒い罠から、黒い蜜が溢れ出した。そこから現れたのは父の手首だった。左手を無くしたマルグスは、あの転生した男の姿を再び形成し、裸で這い出てくる。

シグリエルの刺が全身に突き刺さり黒い血を流していたが、自身の魔力で再生を遂げていった。

「…………ッ」

後ずさる息子を見て、マルグスの血だらけの顔がにやりと笑う。

「いいぞ、シグリエル。強くなったな。お前の憎しみを全身に感じる。すごく痛かったよ。……お前にも味わわせてやりたかったほどだ」

桁違いの再生能力に、吐き気がし慄いた。
シグリエルの体が高く浮かび上がる。自分ではどうしようもない圧倒的な力に、ねじ伏せられるように。

「ぐっ、うっ、っ」

焼け落ちた村が見渡せるほど、高度に振り上げられた。
そして、一気に地面へと叩きつけられようとした時だった。

「兄貴ッ!!」

飛び出したアディルは、兄の体の下敷きになり、全身を強靭な肉体で支えた。
悪魔の力により瞳は真っ黒に開眼し、衝撃で足は地面にめり込んだが踏ん張っている。

「……アディル……」  
「へへっ…………間に合った……」

表情はまだ限界を示していたが、兄の無事を見て弟が微笑もうとする。
しかし父の邪悪な声が邪魔をした。

「クソ……ッ。左手がおかしい。あの女ーー忌々しい小娘が」

悪態をつき、関心を失った様子でマルグスは息子たちを見やる。

「今日も生き延びたな、シグリエル。どんどんお前のせいで人が死んでいくのを楽しみにしていろ。次は誰だろうな? ハハハッ」

父はそう嘲ると黒装束を翻し、その場から消え去った。
兄弟は破壊された村の前に立ち尽くす。

残されたのは自分達だけ。
親身になってくれたゲーナの人々は抹殺され、仲間も殺された。

すでにそう悟っていたアディルは、それでも仲間のテント内に、兄とともに急ぎ戻る。

無惨な姿で倒れているゼスとエルキを見つけると、弟は顔をくしゃくしゃにして悲鳴を上げた。

「ゼス! ゼス! なんであんたが……死ぬような奴じゃねえだろ! どうして…………起きろよ! 起きろ! うっ、うぅ……っあぁあ……」

声を出して、寝台傍にしゃがみこみ悲痛に泣き叫ぶ。

組織に入ってから今まで、誰よりも頼れる心の大きな兄貴分だった男のこんな姿を、自分が見るとは思わなかった。

アディルは見兼ねたシグリエルに体を支えられる。
手を伸ばし、大きな体の心臓に刺さったナイフをゆっくりと抜いてやった。

反対側の同じようになっているエルキにも。

「エルキ、ごめんな。ごめん……守れなかった、お前ら二人とも……ああ、あ、ぁぁっ」

涙は出ない体なのに、嗚咽を繰り返すアディルはエルキの体をさすった。
この兄弟にしてしまった仕打ちは、決して許されない。
エルキだけでも救えたらと、少しでも助けられたらと、そう願っていたのに。

アディルは一人、地べたに座り込み昨日の場面を反芻していた。

「…………アディル。すまない。…………すまない」

地面に膝をついたシグリエルは、弟の肩を引き寄せ、心を痛ませて口にする。それは弟へ、そして短い時間だったが仲間になってくれた者への言葉だった。

全て自分のせいなのは分かっている。人が死んでいくのも、弟の苦しみも。
また自分は、取り返しのつかない失敗をしたのだと。

「兄貴……っ」

アディルは兄の胸にしがみつく。背中をそっとさすり、しばらくそのままにしていた。

しかし、ふと不可思議な現象が起こる。
誰もいないはずのテント内で物音がしたのだ。

シグリエルは警戒して立ち上がる。すると、ゼスとエルキの寝台の間に、光のオーラが立ち込めた。

弟もそれを感知し、瞳を瞬いて見つめる。

「あなたは……」

二人の前に現れたのは、ゼスについていた守護霊だった。
死霊よりも姿形がおぼろげで、なにより白と虹色が混じったような眩い光に圧倒される。

その老婦人の守護霊は兄弟に話しかけてきた。

『心配しないでください、あなたたち二人とも。この子は私が連れていきます。仲間と一緒にーー』

確かに響き渡った優しい声に、唖然となる。
だがこう続けられた。

『悪いこともしてきた魂だから、心配になるけれど。私がついているから大丈夫ですよ』
「……本当か? 二人とも、頼んでもいいのか?」

すがるようなアディルに対し、守護霊は穏やかに頷いた。
兄と顔を見合わせ、表情に少しだけ安堵がもたらされる。

シグリエルは弟と同様にほっとしていた。
魂をこのままにすることは、どちらにせよ出来なかった。
霊を祓うことは可能だが、二人の魂はまだ霊魂と言える状態ではなく、完全に肉体から離れていないからだ。

守護霊が申し出てくれたことにより、仲間の魂を消滅せずに済んだことは気が休まった。

「ありがとう。ゼスもきっと、あなたに感謝するだろう。大事な存在だと言っていた」
『ふふ。知っています。……あとでゆっくり、話してみます』

そう告げて、消えゆく守護霊は最後に兄弟にこんなことを伝えた。懸念する声音で。

『気をつけてください。二人とも。私は、あの悪魔から魂を守ることで精一杯でした。あなたたちには逃げてほしい』

忠告をし、光を纏うオーラは朧げに去っていった。

シグリエルは不穏な雰囲気に包まれ、隣でこちらを見つめる弟の手を、思わず握った。



二人は長老とディガを含むゲーナ族の人々と、アイーシャの体を火葬し、村の跡に埋葬した。

とてつもなく、やるせない行為だった。
一体自分達の罪はどこまで広がるのか。親の犯している罪をどうすれば止められるのか、贖えるのか、もはや分からなくなっていた。

仲間の傭兵二人には、シグリエルは丁寧に保存魔法を施し、ラノウのもとに持ち帰り埋葬することにした。

報告をすると考えるだけでアディルの胸は張り裂けそうになるが、きちんと弔いをして経緯を伝えるのが自身にできる努めだ。

ラノウの拠点は変更されたため、兄弟は新たな地へと向かった。

その夜は、丘の下に広がる平原で野営をした。
火に薪を焚べながら、アディルはほとんど何も喋らなかった。

正面に座るシグリエルもただ弟を、じっと見つめていた。
そんな視線を感じたのか、夜も更けた頃にアディルは陰った顔つきで語り始めた。

「……昨日、夜……兄貴たちがテントに入ったあと、俺はしばらくゲーナの人達と話したりしていた。俺は半分しか血が入ってないから、少し引け目があったんだが、皆優しくしてくれたよ。文明とは離れた生活をしてるけど、満足しているって。同志がいるから、生きていけてるんだって……」

弟は悲しみを浮かべて続ける。そして手首に入った民族模様のラインを見せてくれた。

「これ、昨日アイーシャが入れてくれたんだ。入墨みたいなやつ。……俺さ、ピアスとかはたくさん開けてたけど、入墨だけはやらなかったから、最初断ったんだよ。そのとき何故かって聞かれて」

手首をなぞり、気恥ずかしそうに兄を見やった。

「正直に言ったんだ。見抜かれてそうな目つきだったからな、あの人達。……兄貴が俺の肌の色、昔好きだって言ってくれたからってさ。……純粋じゃねえ? 俺」

照れたように笑いだし、堪らずシグリエルは腰を上げ、アディルの隣に座った。
寄り添って肩を抱くと、赤らんだ弟の顔は見えづらくなる。

「兄貴。アイーシャが巫女だったんだ。これはゲーナの紋章らしい。今はまだ分からないけど、いつか力が相まったとき、何かの作用が起こるかもしれないって言っていた。……それは、俺達二人を守ってくれるって」

シグリエルは弟の話に息を呑む。
詳しく聞けば、長老一族はマルグスの存在を感じていて、わざと嘘をついたのだという。

紹介されたディガはいわば囮で、実際にアイーシャが父に対し劇的な矢を放った。
彼女の特別な能力と技は感じ取れたが、シグリエルは部族の覚悟と犠牲を思い、俯いた顔を押さえた。

ゲーナ族は全てを予知していた。神々の託宣を信じたからこそ、残された自分達に託したのだ。

アディルが続けた話は、その推測を裏付けた。

昨夜、長老が言っていた。「死は生命の通過点に過ぎないから、恐れることはない」と。

アイーシャの傍で寡黙だったディガも、こう話していた。「悪魔討伐が我らの使命だ。命を賭しても遂行する」と。

弟は伝え終えたあと、シグリエルの肩に力なく頭を寄りかからせる。二人は手を握り合わせた。

「兄貴、もうやめたい。俺には……これ以上皆を死なせられない」
「……ああ。そうだな、アディル……」

シグリエルの声は落ち着いていた。
意外でもなく、弟の気持ちは痛いほど分かっていたし、自分もそう感じていた。

最初から、父を殺したこの手が最後の始末をつけるのだということは確かなことだった。

弟を最後まで守るために、自分はいるのだから。

「……兄貴。少し休みたいんだ。眠らせてくれないか」

握った手にぎゅっと力を込め、そう頼まれてシグリエルは頷いた。
けれどその前に、弟の頬を撫でて、顔をそっと近づけ唇を重ねる。

目を閉じ、薄目を開けたアディルは、兄の紫色の瞳を見つめた。

「そばにいてくれよ……兄貴」
「当たり前だ。そばにいる、アディル」

優しくも力強い言葉に安心した弟は、流れる兄の言霊に身を委ねた。

今は、身も心も鎮める必要があると思っていた。
目覚めたあとは、また心に苦しみが訪れるかもしれない。
それでもシグリエルは、弟にいつでも安息をもたらしてやりたかった。

火から離れたところに弟を横たえ、シグリエルは立ち上がる。
すでにその瞳は、沸々とたぎる怒りに燃え上がり、真っ暗な闇を映し出していた。

「出てこい、ディーエ」

迫力のある命令は直ちに黒い煙から全身革服の悪魔を呼び出した。
ポケットに両手を突っ込み、無反省の長髪男がゆらゆらと首を揺らしている。

「よお、どうしたシグリエル。今日のお前は一味違うな。ああ、親父にひと泡吹かせて興奮してんのか? ヘヘヘッ。お前も大人の階段上れたなぁ! めでてえ、めでてえ」

この期に及んで戯れる悪魔をシグリエルは突き飛ばした。
わざとらしく吹っ飛び、仰向けに転ぶディーエの胸を、思い切り踏みつける。

「……おいおい、なんだよこの仕打ちは。そんなに窮地に陥ってんのかお前。いいじゃねえかよ、お前らは助かったんだから。はなっから他人のことなんざ気にしてる余裕ねえだろ?」

けらけらと笑いだす悪魔の胸をさらに足で押した。

「黙れ! お前は気づいていたんじゃないのか、あいつが見ていることに!」
「知らねえよっ、実体がなかった、ベルンホーンの力だッ」

怯える顔も信じられず、全てが芝居に見える。
自分に悪魔は使いこなせない、シグリエルに憤怒と虚無感が渦巻く。

「ベルンホーンは、いつ現れる。あいつと分離させることは出来ないのか」
「さあなあ? 他者が悪魔との契約を一方的に切らせるなんて聞いたことねえ」
「少しは役に立てッ! お前は俺達四つの魂を握ってるんだ!」

怒号を受けたディーエはわざとらしく腕を組み、思考する素振りを見せた。

「それはそうだけどよぉ……じゃあこうするのはどうだ。お前が仲間のフリしてやってる男共の魂くれよ。秘密で殺っちまってよ。お前は契約だけで、まだ一向に美味い魂を食らわせてくれねえ。……ああ、あの神父は小物だからな、上玉の献上待ってるぜえ」
「黙れ。仲間の魂はこれ以上やらない」

シグリエルが断言すると、悪魔は呆れた赤目をじっとりと向けた。

「はっ、仲間ねえ。いつまでそんな悠長なこと言ってられんのか……。おい、もっと俺側に来いよ、シグリエル。なんでマルグスが強いか分かるか? あいつはお前みたいな甘さが皆無だからだよ! お前ももっと悪魔らしく残虐になってみろ、ヘヘヘヘッ」

ディーエは狂ったように笑い、舌を出してシグリエルを馬鹿にする。
彼を携えた怒れる人間は、そいつの姿を夜の闇から消した。



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