▼ 24 服従者と変貌
翌日、シグリエル達は世話になった師の家を出発した。エルゲとイリスとは互いの無事を約束し、さらに強い意志を胸に旅に出る。
馬で向かう次の目的地は、父の服従者だった男のもとだ。奴も魔術師で、ある都市の聖地付近で働いていたという。
古城や聖堂が点在する旧市街に到着すると、兄弟はさっそく周辺を調べた。
「……うっ。なんかあの辺、すげえ嫌な空気が漂ってないか……」
「ああ。黒い思念が渦巻いている。アディル、これを着ろ」
荷物から黒いローブを取り出し、薄着の弟に着せて死霊達から防護した。白い斜塔の教会は一見美しい外観だが、中に入ると天井や壁、絵画などがはがれ落ち、荒れた廃墟となっていた。
ふと、丸い柱のそばに暗い表情で座る老齢の死霊を見つけ、二人は話を聞いた。
「お前達が探しているのは……神父のアダム・ターゴのことか? 私はあの男を決して許さない……この教会で私の娘と、その友達の娘にまで手を出し、攫って行方不明にしたんだ……」
教授から教えられた名前を聞き、兄弟は顔を見合わせる。
詳しく聞けば、そのターゴという男は人攫いだけでなく、窃盗や猥褻行為にも手を染めたとされる人物だった。
それほど疑惑に満ちた聖職者なのに証拠は出ず、国に裁かれることもなく教会から免職され、姿を消したという。
「ちっ、とんでもねえ悪党じゃねえか。おっさん、そいつが何処にいるか知らないか」
「きっとあそこにいる。私は執念で突き止めた。でも、何が起こったか忘れてしまった……あの妙な儀式を行っている場所に違いない。……私が憑き殺してやりたいが、ここから離れられないんだ……」
霊は無念を表し嘆いた。彼の苦労と悲しみを知った二人はまた、ここらで吹き溜まりとなっている霊の多くが、神父に恨みをもつ被害者であると悟った。
神の加護が危ぶまれるほどの積み重なる怨嗟は、シグリエルの心にも暗いものをもたらした。
娘を亡くした父から居所を聞き出した後、こう約束する。
「そいつには災いが降りかかるように仕向け、深く苦しめてやる。もう安心するといい。……あなたもここから祓ってやろうか?」
優しい声音で問うと、霊は静かに頷いた。
右手をかざし呪文を唱え、霊の姿が煙のように上っていく。
昇天した魂を兄弟は虚しい気持ちで見つめた。
しかしアディルが驚いたのは、外に出ようとした兄の外套周りに、他の死霊達が群がってきたことだ。
「う、わっ……! 危ねえ兄貴!」
「下がっていろ、アディル」
弟をかばうように立ったシグリエルは手で振り払い、古代文字を切る。
保護円から放り出された死霊はそれ以上近づけず霧散していった。
「はあ。ここ教会が多いのに、完全に空気が淀んでやがる。絶対そいつのせいだろ」
「そうだ。分かってはいたが、相当のクズらしい」
吐き捨てた台詞は憎悪と殺気が滲んでいた。それもそのはずだ。
そいつは弟を死に至らしめる起因となったのだから。
別州にある廃墟群に着いたのは、二日後だった。
途中シグリエルは、立ち寄った宿でサウレスに魔法鳥を送り、これまでの報告もした。
教授の件とこれから服従者を探し出す旨を伝え、一応場所も記した。
そしてこの日、ようやく二人は憎き襲撃事件の裏にいた人物を見つけることになる。
「なあ、本当にこんなところにいるのか。瘴気ってやつがすげえ。それに……うっ、あぁっ、悪霊がぁっ」
「アディル。そばを離れるな。目を瞑っていろ」
真っ暗な古い建物を見回りながら上階へ移動していると、弟が悲惨とも思えるほど怯えていた。
無理もない。この地は死霊術師のシグリエルなら分かることだが、散々血で濡れた儀式を行った跡があり、醜悪な臭気が染みついている。
黒魔術の儀式を行うのは、廃墟、深い森、十字路のある場所が良いとされていて、神父の男はよほど条件の良いここが気に入っていたらしく、悪事を繰り返していたのだろう。
自分が父としていた事を思い出し、胸の中が異様に気持ち悪くなってくる。
形式的には使役体である弟も思念が伝わっているのか、また悪魔の力により感覚が研ぎ澄まされているのか、ダイレクトに受けて参っている様子で、心配になった。
「この部屋だ……入るのを躊躇うほど重苦しい。お前も感じるか?」
「ああ。つうか兄貴、俺すごい夜目が利くようになってるんだが。あんたもか?」
その問いに頷く。悪魔の目とでも言えるのだろうか。
灯りにしていた火魔法を消しても、ほぼ真っ暗な夜の廃墟がはっきりと見えた。
そこでアディルがあるものを見つける。乱雑に置かれた机やガラクタのそばに横たわる、人の体だ。
「おい、死んでるぜ。なんだこいつ。男だ。……まさか神父か?」
弟は躊躇なくそれに近づき、しゃがみこんで確かめた。
死霊はあれだけ不気味がっていたのに、人間の遺体はなんとも思わないのかと、シグリエルは複雑に思った。
だが見慣れている自分も意見は言えないと思い、近くで確かめる。
その体はうつぶせに倒れていて、新しかった。薄汚れたローブを羽織った、40代ぐらいの白髪交じりの男だ。
口と腹部から血を流し、瞳孔も開いている。
「ああ、神父だな。だが死んでいない」
シグリエルは突如、外套の中からナイフを取り出し、勢いよく体に突き立てた。
仰天する弟の一方、兄の表情は憤怒にまみれ二度目も突き刺そうとする。
だが、その時下から叫び声がした。
「ぐっ、やめっ、てくださいいいいいッ」
飛び起きた男は尻もちをついたまま、シグリエル達からすごい速さで後ずさった。
立ち上がり、冷酷な顔で近づいていく兄を呆然とアディルが見やる。
あの同僚を殺した時のような暗い眼差しは、もう自分の世界に入り込んでいる証だった。
「貴様……こんな手口で俺を騙せると思ったか? 死んだふりをするなら魂まで捨てておけ」
「ひっ、来ないでくださいっ、私は悪くない、悪くないんだ! あなた達は彼の刺客でしょう!? やっぱり…殺しに来たか! どうして、どうしてなんですか、あんなに言う事を聞いたのに!」
一回り以上年上の男は兄弟に怯え、ひどく混乱している様子で叫んだ。どうやら男自身も父親の影に脅かされていたらしい。
絶体絶命だと思ったのだろう、神父アダム・ターゴは両手を掲げて詠唱をし、前方に大きな防護壁を張り、内側に二つの黒い幻影を作り出した。
シグリエルには見覚えがある。自分が父から教わったのと似た、闇の死霊召喚だ。
全身から力が溢れてくる。瞳は紫色と黒色が入れ変わり、背から黒い稲光が何本も蜘蛛のように現れ、まるで悪魔ディーエのそれが乗り移ったように、体が宙に浮いた。
「兄貴ッ!」
下方から声を出した弟の顔はもう見えなかった。
理性を失った状態でシグリエルは片手を前に出し、下へ振り下ろす。
すると神父の防護壁を貫通した雷光が、そのまま幻影の死霊体も突き刺し跡形もなく消滅させた。
ターゴも灰にしてやろうと思ったのだが、腐っても父に仕えていた魔術師らしく奴は自身を強化して護り、大きな打撃を受けて吹っ飛ぶだけで済んでいた。
「や……やめてくれ……殺さないでくれ……っ」
地に降りたシグリエルが近づき、感情のない容貌で手を伸ばそうとする。
処遇は捕らえた後で決めようと、そう思っていた。今は仲間と言える者達がいるからだ。
だがいざ男を目にすると、無理だった。
しかし、そんなシグリエルの耳に弟の声が届く。
「待て、兄貴、あんたがそんな風になる必要は……ないっ……! …………う……ッ……ああ……っ? なんだ……体がッ……」
弟の異変に目を向ける。
アディルは自身の胴に腕を回し、足をもつれさせて膝をついた。
頭をうつむかせ、深く息をするように揺れている。
「…………アディル?」
低く感情の乏しい声を兄が発した瞬間、アディルは覚醒した。
「あああああ゛ッッッ、お前がッ、俺をッ、殺した! 親父とお前がッ!!」
弟は上半身を反り返らせて、腕の力を目いっぱい入れた。逞しい足で立ち上がり、獣のような息遣いで胸を上下させる。
金色の瞳は黒が混じり、力が満ちるとやがて真っ黒に変わった。
「殺してやる! お前を! アダム・ターゴ!!」
怒りの狂戦士となった弟は猛スピードで駆け出す。神父は俊足の弟に瞬く間に捕らえられ、地面に勢いよく頭を打ち付けられた。
そして五指に首根を掴まれ、再び強打される。
「アディル」
それを見た兄は、我に返った。
自分ではなく、悪魔の力をまるでコントロール出来ていない弟のことを。
『やめろ、アディル。お前はそんな事をしなくていい』
心の中で伝え命じる。自分に人間の心が戻った瞬間だった。
アディルはぴたりと体を停止した。悲しくも、使役体としての動作だった。
「グっ、ぐっ……う、う……止めるな、兄貴……ッ」
「いいや。もういいんだ。静まれ」
シグリエルはそばに近寄り、弟の体を支えた。すると、アディルは力が抜けたように倒れ込む。
また意識を失っていた。混乱に陥るが、あの状態からは抜け出せたと抱きかかえて座る。
「……なんなんですか……あなた達は……悪魔つきか……? ああ……私はやはり……抜け出せないんだ……」
「まだ生きているのか、お前」
冷えた声が、頭から血を流し朦朧とする神父に投げかけられる。
シグリエルの心にちくりと棘が刺さっていたが、弟を抱えたまま男を見下ろす。
「ねえ、私を殺さないでくださいよ、なんでも言う事を聞きますから、お願いです、……そうだ、知っていることも全部話しますから!」
そんな事は当然だという眼差しに、ターゴは怯えて黙る。
正気に戻ったシグリエルは、この男を持ち帰り、当主らと合流するつもりだった。
どう料理しようかと考えながら、そっと弟の黒髪を撫でていた。
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